亡国と滅国
薄曇りの都に、ガチャガチャと鎧の音が谺する。
音を吸い込む物がない石造りの街並みでは、鎧の擦れる音でさえ響き渡るのか。
否、それだけが理由ではない。
この街は静かすぎた。
喧騒も、雑多な生活音もしない。
時折響き渡る獣じみた叫び声が、生物の存在を確認させる。
「来たか…」
二人一組この街の巡回だろうか、ライトプレートに盾と槍。
標準的な衛兵だろう。
アドヴェルサスは、先手を取る。
相手の手持ちは槍と盾、懐に潜り込むのが最良か。
そう考え、腰の片手剣二振りに手を伸ばす。
敵の並びは道幅に横列、切り込むなら左側。
一足飛びに正面左側の敵の右手と首を切り落とす。
この位置取りならば、敵衛兵の選択肢は盾を構えての後退唯一。
それを読み切った上でアドヴェルサスは二刀を捨て背負った大剣を抜き放ち、一閃。
盾ごと、衛兵を叩き切る。
ツヴァイヘンダー、所謂両手持ち剣である。
切れ味が鋭い訳では無い、名刀や名剣の類ですら無い無銘の大直剣。
しかし、重さと持ち主の膂力で鉄すらも断ち切る事ができる。
階段を登りたどり着いたのは空中庭園。
目指す男がそこに居た。
「来たか…アドウェルサス」
顔は見えない、純白の騎士鎧を身に纏い、腰には一本の直剣。
しかし声には、嫌というほど聞き覚えがある。
好敵手だった男、仲間だった男、親友だった男。
「何故姫を手にかけた!グウェン!貴様のせいでアルビオンは…我らの祖国アルビオンは!」
かつて栄えた国があった。
大国と呼ばれるに相応しく繁栄を誇った国だった。
国の名はアルビオン。
その国の武力の象徴として二人の高名な騎士がいた。
一人は、不屈の猛将と讃えられ。個人的な武術は勿論、軍を指揮させても右に出るものは居ないと語られる黒翼の騎士。
名をアドヴェルサス。
一人は、不敗の智将と讃えられ。心技体全てに優れ、その知略は千里を見通し、味方の損害皆無で敵軍を壊滅させられるとさえ語られる白翼の騎士。
名をグウェン。
その日、アドヴェルサスは戦いに出ていた。
国境の小競り合いを鎮圧する為である。
こういった小競り合いに有力な騎士が顔を出すのは牽制になる。
国に帰還したアドヴェルサスがその日見たものは、燃え盛る白亜の城だった。
アドヴェルサスは走った。
馬を乗り捨て、城を目指し走った。
「敵襲か!グウェンはどうした!あいつが居ながら何故こんな事に!」
城の門で城の住人の避難をさせていた衛兵に向かって叫ぶ。
「アドヴェルサス様!原因は不明、グウェン様は中に居られます、姫様も!」
「姫が中に……?」
アドヴェルサスは駆け出す。
大階段を駆け上がり姫の居室に飛び込む。
居ない。
ここではなかった。
心当たりを探す。
食堂、浴室、玉座。
何処にも居なかった。
残るは空中庭園。
扉を開けるとそこには、グウェンと姫がいた。
横たわった、豪奢なドレスを身にまとい眠るように横たわった姫の胸に突き立つのは、王家の宝剣コールブランド。
そして傍らには、その宝剣を下賜されたアルビオン最高の騎士。
ゴンドレアル城塞攻略戦においてその知略を遺憾なく発揮し寡兵をもって難攻不落の城塞を踏破した。
グウェンは、その功績を讃え宝剣を与えられた。
国家の象徴とも言える剣が、国家の担い手を害する。
そんな事があってたまるか、とアドヴェルサスは憤慨した。
しかし、これは建前だ。
本当は、本当は本当は、姫を手にかけたグウェンが憎かっただけだ。
アドヴェルサスは剣を抜いた。
怒りと憎しみに囚われた忘我の剣を。
「グウェン!貴様何をしているかァァァ!」
ただ怒りだけを乗せて、アドヴェルサスは大剣を振り抜く。
グウェンは、その暴力を容易く、そうまるで新兵に剣術を教えるが如く、直剣で捌いてしまった。
「世界を救う為だ、と言ったらお前は信じるか?アドヴェルサス」
「断じて否」
グウェンは笑った。
「だろうな。お前にはわからぬよ、アドヴェルサス。目の前の敵を屠り、勝利を欲すだけの餓狼にはな」
「わけのわからない事を言うな!そうやっていつも煙に巻いて」
「なあアドヴェルサス、俺達友達だよな?」
そう言ったグウェンは、アドヴェルサスの右足を直剣で地面に縫い付けた。
「ぐあぁ、何を」
「甘いんだよ」
そう言って、グウェンはアドヴェルサスの左頬を強かにぶん殴った。
意識はそこで暗転する。
アドヴェルサスは空中庭園に残された。
それからすぐにアルビオンは崩壊した。
強国は片翼を失い、一人の美しい姫の死を受け止められなかった。
姫の遺体は、グウェンと共に姿を消していた。
「あの時言った筈だアドヴェルサス、俺は世界を救おうとしたんだ」
「まだ世迷い言を」
「世迷い言かどうかは死んだ後、俺の活躍を見てろ」
「はっ、今日ここで死ぬのはお前だグウェン」
「なあアドヴェルサス、俺達友達だよな?」
「違うぞグウェン、俺達は敵だ」
「そうか残念だよ」
「アルビオン王国騎士団第二隊黒翼アドヴェルサス、逆賊を討ち姫の仇を取る」
「アルビオン王国騎士団第一隊白翼グウェン、正義は我に有り」
『いくぞ!!!』
男と男の誇りをかけた決闘の火蓋が切って落とされた。
先手を取るのはアドヴェルサス。
やはり彼の方が疾い。
短期決戦で決める気か、腰の二刀を縦横無尽に繰り出す。
防御の間隙を突く左、相手の剣を押し込む右。
しかし、グウェンは防御が上手い。
流れるようにアドヴェルサスの剣を受け流し、息切れしたところに鋭く一撃を差し込んでくる。
一進一退の攻防は、剣撃の音をリズム良く響かせ、男達はそれに乗るように舞う。
「相変わらずよく防ぐ男らしくねえ戦い方だ」
「ガチャガチャと煩い戦い方だ、野良犬らしい見窄らしい剣だな」
「じゃあ見せてやるよお前を殺す為だけに練り上げた剣を」
背中の剣を抜き、構える。
腰を落とし、剣を立て右胸に引きつけるように持つ。
身体の捻りを活かし最速で、最大の力を出す為の構え。
静寂の時、アドヴェルサスはこの一撃でグウェンを打倒しようとし、グウェンはこの一撃をいなし、アドヴェルサスの首を落とすつもりでいた。
暗雲が低く立ち込める。
一条の稲妻が空中庭園近くの尖塔に落ちた。
それをきっかけに両者動く。
しかし、勝負は一瞬。
アドヴェルサスの大剣が、みるみる宝剣コールブランドを切り裂いていく。
その様がグウェンには、やけにゆっくりと見えていた。
コールブランドを両断した無銘の大剣が、鎧すらも断ち切り、ゆっくりと自らの身体に沈んでいく。
その、熱く冷たい刃を肌で感じながら、静かに人生で最初の敗北を受け入れるのだった。
ああ、俺は負けたのか。
そう思った瞬間、時の停滞は破れ、元の速さで流れ始める。
「どうだグウェン、思い知ったか逆賊め!」
割れた兜の下から現れたグウェンの顔は、醜く焼け爛れたようになり、所々が黒ずんでいた。
「お前それは…」
「そうだ、俺は呪いを受けた」
「一体誰に…?」
その時背後で足音がした。
「妾の話かの?」
その声に、心臓を跳ねさせ、振り返ったアドヴェルサスが見たものは。
愛しき姫の顔をした─────悪魔だった。