第4話 一矢報いる 後編
人と人の交流は、何時でもシンプル且つ円滑に進むとは限らない。
特に、そこに利害が関われば尚更だ。故に、古代から人は己の望みと相手の要望を天秤に掛け、最大限の利益を引き出す為の対話の技術を磨いたのだ。
これを交渉術と呼ぶ。
かくいう俺も社会を渡るために交渉術を学んだ。元小元中で。
喉にランボーナイフをピトッとされて交渉術。眉間にアサルトラ……エアガンをグリっとされて交渉術。切られたらヤバい命綱をギーコギーコされて交渉術。C4プラスチック爆弾をパッチンされて交渉術。
だからこそ、ちょと焦った。
槍を突き付けられただけで慌てふためくクラスートにちょっと焦った。
え?これ、様式美じゃないの?
「くっ、何てことだ!」
「嘘でしょう!?嫌よ、家に返して!!」
「死にたくないっ!奴隷になんてなりたくない!!」
「ハッ、誰がこんな雑魚共怖がるかよ。やれ!山岡!」
「うっす!(うほっうほっ)」
「俺も行くっすよ!」
狼狽える異世界組。その中状況判断も戦力分析も頭の回転もなっていない猿共が真っ先に突込む。
だが、山岡ゴリラが片目に痣を作った騎士に殴りかかった途端、
バコンッ
人体から聞こえてはいけない打撲音が鳴り響き、1メートル90センチ掛ける90キロの一頭のゴリラが、綺麗な放物線を描きながら吹っ飛んだ。
今しがた目に映った現象が理解に及ばず、硬直する黒霧に細川。
その光景に、死んだ魚の顔をしたオッサンが表情を変えずに告げる。
「一応忠告しますが、召喚の間での戯れ合いが我々の実力と勘違いしないで頂きたい」
どんだけ!?人があんだけ飛んだのなんて見た事……あっ、あるな、うん。実体験で。
「チッ、どおりで骨を折る勢いで蹴ったのに手応えねえと思ったら……おい春樹。外の方にも騎士とかいたか?」
「普通にいたな」
「私たち三人で退路は開けないかしら」
「無理ですね、他の騎士でも厳しいのにヴィクトルさんとキキョウさんも居るのでお手上げです」
瞬時に俺達四人は即行で逃走を試みるが、条件が有利ではない。
やはり、こいつらにはあの二人の危険性を感じ取れるか。
なら何で殴ったんだろうね。
例え城から脱出できても次は街、続いて国から出なければならない。第一行き先がない。
そもそも、実際召喚された時点で状況は詰みに等しいのだろう。
だが、俺達の最終目的自体は知らない地への逃亡ではない、日本へ帰ることだ。
なら、勝ち取るべきはそれを実行するための最低限の自由と行動範囲 。うまく口車
に乗せて好条件を得られないだろうか。
ん?なんでそんなに冷静なのかって?
ははは、問答無用で襲われない分、ヤンキー共のイジメに比べれば可愛いものさ。ははは、はぁ。
「おい、団長さん。そもそも何で俺達を……」
「貴方は喋るな」
「!?」
な、何だ、今の殺気は!?
まるで幾千幾万の刃を彷彿させる鋭利な気配。最早別人と化したヴィクトルが取るに足らない物を見るように俺の問いを妨げる。
「貴方の行いには、いささか度が過ぎる物があります。それ以上何も言わず、大人しくしていなさい」
「……また随分と警戒されてるな、えぇ?まさか近衛騎士団長サマは俺のようなチビにビビってんのか?」
やっば、状況反射で喧嘩腰になってしまった。
ええい、ままよ。
「聞かない振りをしますので、それ以上言わないで下さい。私の肛門括約筋は、そこまで強固ではありませんよ?」
「ケッ、合法的な脅しとは、作画に国家権力はやる事がちが…………今、なんつった?」
「全く、飛んだ猫の皮を被った化け物を呼び寄せてしまったものだ。報告に上がった魔術を用いない精神攻撃に人名だけで命を奪える力。何よりあの威圧。貴方はアレですか?その少女のような容姿の裏に死神でも潜んでいるのですか?初陣以来ですよ、直腸が重力崩壊しそうになったのは」
「退職しやがれ、クソ団長!!」
何なんだ、どいつもこいつも!?
この国の軍人は便通の良さが特徴なのか?敵兵に糞でも叩きつけるのが基本戦術か?
頼むからちゃんとトイレへ行ってくれよ!
いや、落ち着け。
これは、一条の時と同じだ。ペースを乱されるな。
「いきなり大声を出さないで下さい、心臓に悪い。何か聞きたかったのでは?話を反らすのは礼儀知らずのすることですよ」
「テメエだけには礼儀を語られたくねえ!何で俺たちは異世界拉致なんて珍妙な事件に巻き込まれたって聞きてぇんだ!」
「俗な言い方をすれば、魔王討伐のためですね。我々の手に負えない強力な魔物なので貴方方勇者の力を求めたのです。要するに戦力増加です」
「家畜一匹絞めたことのない素人に少年兵をやらせるのか?」
「心配に及びません、世界を渡る際に強大な力が宿った筈ですから。少々鍛えれば無類の強さが手に入るでしょう……貴方には必要なさそうですがね」
テンプレ物だが、この苦境で『チートキター』ってウザい奇声を挙げる阿呆がいたら絞め殺してやる。一歩はプロの勇者に近付けるだろう。
第一、奴隷に落とそうとしている時点で勇者じゃねぇだろ。正直に肉壁と言いやがれ。
「ふん!そんな事に付き合う義理はないな!俺は勝手にさせてもらうぜ!」
そこでどう空気を読み間違えたのか、ラノベの“一人で別行動する俺マジカッケー”系主人公のようなことを言いながら抜け出そうとする少年、鳳錬。
長い前髪がウザイ、凝った名前のせいか格好付けたがる悪癖を持つヤツである。
彼は、眉間に突きつけられた槍の穂先と数秒睨めっこしてから、そのままUターンでグループに戻って、「フッ」と前髪を掻き揚げた。
何しに行ったんだよ、お前……って、血!血!ちょっと刺されてるぞ!
鳳に別段何か思った気配もなく、クソ団長は続ける。
「まあまあ、そう警戒しないでくださいよ。正直言って、我々は既に貴方方を完全隷属する事を諦めてます。と言うか不可能です。元々、そう簡単な術式ではないのですよ」
「あ?どういう事だ」
「この世界には、霊長類の意思行動を永続的に支配する魔術は存在しないのです。魂は愚か、人間の精神って凄く複雑なのですよ?稀有な例外として、召喚魔術で『人』を召喚し使役する裏技があるのですが、それは貴方によって阻止されてしまいましたからね」
「ハッ!それは悪かったな。で?んじゃあ、その腕輪はなんなんだよ」
「当分の保険ですよ。具体的には、位置特定と音声作動の懲罰機能の魔具。奴隷商人が扱う物と比べて実に緩い束縛です。元からお子様方は我々大人に協力する他道などありませんから」
「俺はそう思わないが?」
「私はそう思います。だって帰りたいでしょう?元の世界に」
終始表情を一切動かさずにクソッタレ団長はそう言うのだった。
成る程、なら逆らえないな。
ここにいるのは、自立性の低い少年少女。しかもその数人は財閥や旧家の御曹司だ。どんな要求を強制されても日本へ帰るために従わないとな。
よし、このビチ糞タレ変態野郎は絶対ぶん殴る、刺す、48階から突き落とす、最後に日本に連れて帰って東京湾に沈めてやる。
弁明の余地などない、こんなうまい話が偶然であってたまるか!
絶対召喚対象の年齢とか選択しただろ!元の世界との血縁の深さも査定したのか?確信犯じゃねぇか!
案の定、帰還の可能性に皆は飛び付いた。
「帰る方法があるのか!?ならば今すぐ元の世界に帰してくれ、我々はただの学生だぞ!!」
「智の言う通りだぜ!勇者かなんだか知らねぇが出来ねぇよ、そんなの!」
「元の世界に家族だっているのよ!」
「私は家督を継がなければならないのだ!」
「死にたくない!生きて帰りたい!!」
「申し訳ありませんが、帰還の魔術など用意していませんよ」
「「「「なっ!!?」」」」
一条や二ノ宮英治を始めとする者達が抗議の声を上げるが、クソ団長はまた平然と驚愕の暴露で一刀両断する。
「異世界召喚術は、我が国家が今年開発した魔術です。魔術の研究に関しては最先端国家でしてね。長い歴史だけが取り柄と言う訳ではないのですよ」
「な、なら従う意味が……」
「ありますよ?この国で召喚術が発見されたのなら、その逆の送還術に最も近いのもまたこの国。この場に留まる理由は充分にあります。現に、術式の研究は既に開始されていますからね」
「嘘言わないで!!都合の良いこと言って飼い殺しにする積もりでしょう!!」
「疑り深いですね。良い傾向です。ならば、右も左も分からない世界に出て、独自で帰還の方法を探しますか?ご自由にどうぞ、出口はあそこです。最終的にはここに戻って徒労に終わるだけの話。後はそうですね、機密研究書類の観覧の許可を取ってあげましょうか?その場合、国から出せなくなりますけどね」
つまり、どう転んでもこの国の戦力として居座る結果になる。
しかし、最後の提案はなんだ?
万が一、この中の誰かが帰還法に辿り着けたらどうする気なんだ。鼻から偽造書類で騙す気なのか、あるいは俺達には出来ないと相当の自信があるのか。
考えたくもないが、帰るのは理論上不可能なのかもしれない。
現時点で解る事と言えば、結局俺達があの腕輪を嵌めなければいけない事と、この一連の事件のきな臭さだけか。
「春樹……」
呼ばれて振り向くと、思った通り噛み潰した苦虫を苦汁で流し込んだ顔をした三人が目に入った。
「…………ぁぁ」
そんな彼女達を数秒眺めて俺は決意を固める。
野郎ども、必ず後悔させてやる。
「……で?向こうさんはあんな事言っているけど、どう思う?」
「どうもこうも、怪しさが滲み出ている所の話ではありません。ほとんど滴っていますよ」
「それでも言いなりにならなきゃいけねぇのが腹立たしい。クソッ」
「でも、最悪の完全隷属は逃れたからまだ希望はあるわ。春樹のファインプレーね。やっぱり殴っておいて良かった」
結局そうなるな。
自由度と強制度が非常に微妙に混ざり合った要求だが、知識も力もない今ならこれ以上は望めない。他の奴らと話し合っても大体似通った結論に辿り着いた。
成り行きで皆の代弁者のような立場になった一条が前へ出た。
「ヴィクトル団長、最終確認だ。我々は、この地に魔王と呼ばれる危険生物と戦う為に召喚された。まさか、他国との戦争に動員する気はあるまいな?人を殺せと命令されたら、どんな苦痛を与えられようと反抗するぞ」
「まあ、それは貴方方の選択次第ですね。先程も言いましたが、恐らく送還術式はこの国でしか得られません。ハッタリではありませんよ?敵国の侵略を受けて滅亡寸前まで追いやられたら、剣を取らなければならないでしょう」
「……そうか。次はその腕輪だ。位置特定の機能と音声で作動する罰の機能。察するに、それらの機能を操れるのは国王と貴方のような軍の上層部か?」
「その通りです。貴方方の訓練を受け持つ教官達も使用権がありますので、ちゃんと言うこと聞いて下さいね。繰り返して言いますが、あくまで保険。本来、このような道具は首に装着するものです。そんなに嫌なら、いざという時に手首の骨を粉砕して取り出すか手ごと切り落とせばいい話です。それくらい、高位の治癒魔術で元通りになりますから」
「て、手ごと……」
そうか、元通りになるなら手を切り落とせば良いのか。なら問題ないな。
………ん?なんで、そんな狂人を見るような目をするんだ?手首の関節を外す縄抜けの術が少し過激になっただけじゃないか。
高層ビルにロープ一本で吊るされた時、それをやろうとして手首を折って泣きそうになったなぁ。
後日、病院の請求書を見た時は本気で泣いたなぁ。
「あ、ああ解った。その腕輪を……」
「待った一条。まだ承諾するには早過ぎる」
俺は、タイミングを見計らって会話に割り込む。
そうだ、自由を奪われる前にまだやらなければいけない事がある。
クソ団長がウンザリした顔をしてるが、むしろ大歓迎だ。
「森君?何を言っているのだい?口惜しいが、もう確認することはない筈だ」
「ああ、だが俺はこれだけじゃ信用できないね。だって、腹黒どころか糞に至って真っ黒な奴だぜ?堂々と嘘をついている可能性がある」
「確かにあり得るが……それを言ったら、また振り出しに戻るぞ?最悪、向こうが武力行使に出るかもしれん」
「まあ、ここは任せな。おいクソ団長、てめえなら腕輪を外すのも自在なんだろ?なら、部下に付けて実演してくれ。そしたら安全かどうか判断できる」
「誰が排泄物まで真っ黒のクソ団長ですか。それが物事の頼み方ですか」
「まさか、こんな仕打ちを受けて朋友でも期待したのか?クソ団長」
「……はあ、こんなことする意味なんてないのですが……」
文句を垂らしながらやる気のなさに磨きを掛けてクソ団長は玉座の隣から降りて来た。
そして、皆にも良く見えるように俺と一条の前に立つ騎士に目配せして、腕輪を嵌めた。
「はい、貴方は今月減給ですよ」
「クソがあああ!!」
『止まれ』
そう声にした瞬間、殴り掛かった騎士は苦痛に表情を歪ませ倒れる。
しかし数秒後、胸を押さえながらもフラフラと無事立ち上がった。
「お疲れ様です。ご覧の通り、操り人形とかになってませんよ。不安は解消できましたか?お坊ちゃん?」
「いや、今の見てあんたの統率の方が心配なんだが……まあ、いいか」
俺はツッコミながら、魔具を外された騎士を天辺から爪先まで注意深く観察して、ごく自然に左腕をクソ団長に差し出した。
隣の一条と背後にいるクラスメートに緊張が走る。
奴は、何も疑わず手にしている物を今度は俺に嵌め直す。
一見金属の輪は、まるでゴム製のリストバンドのように形を変形させ肌に密着する。
確かに、これなら手を切断しないと外れそうにないな。
「さてと、これでようやく……」
刹那!俺の右足が!深部腱反射を刺激されたかのように、垂直に跳ね上がった!
この場にいる皆がスローモーションで視認した。
最速で、最適の力を込めた、上履きのつま先が、最短距離を走り、最良角度で、眼前のクソ面下げた野郎の左玉袋にぃっ!!
コキン(金・属音)
ヘクサドラゴン王国近衛騎士団団長ヴィクトル・アリア・ゲラルヴァンは、その場で膝から崩れ落ちたのだった。
数瞬漂う沈黙。
「おお、確かに行動自体は妨害されていないな。いやぁ、これで一安心だぜ。」
「「「「「だ、団長おおぉぉぉ!!??」」」」」
俺達を包囲していた騎士が頓狂な叫び声を上げながら駆けつける。
が、もう遅い!
貴様らの大将の片魂は、この異世界からの来訪者、森春樹が貰い受けた!!
「舐めるなよクソ団長。日本の高校生とニートは、異世界にさえ行けば神も殺せるって覚えておけ」
漸く一矢報いた俺は、そう吐き捨てながら死体(死んでない)に背を向け、不敵な笑みで皆にサムズアップを送った。
折原、藤堂、海老名の三人は勿論、他の奴らも畏怖の念を込めて答えてくれる。
………キキョウ副団長よ、何故貴様も親指を立てるのだ。
うん、良いねこの仲間意識が芽生える瞬間の一体感。一人は覗いて。
これで、こいつらの気も少しは軽くなっただろう。
思えば、この類の青春の場面を求めてあのセレブ高校に入学したんだったなあ。
自作殺戮兵器を試し撃ちされていた中学から遠い所に来たものだ。遠すぎるな。
さて、一段落終わったのはいいが………………俺ら、なんでこんな口論していたんだっけ?
「ん?」
「ひっ!」
何となく、謁見の間全体に視線を巡らせてたら、玉座の脇にある入り口付近でこちらをチラ見するオッサンと目が会う。
そいつは、目を引くほど豪華な衣装に身を包み冠を被っていた。
……………国王ずっとスタンバッテいたんかい!!??