第1.2話 永い一日の始まり
ギャハハハハ!
この世には文化的な不良と文化的ではない不良が存在する。そして、それとは関係ない全くの小物がいる。聞いただけで当人の格が知れるような笑い声が廊下で響いた時に、なんとなく俺はそう納得した。
途端、クラスメートの皆はそそくさと席に着いて教科書やノートを取り出し、そこに視線を釘付ける。決して、顔を上げようとしない。
大声で談笑しながら入ってきたのは三人の男子生徒。
彼らは一旦話を中断して、受験最中より静まり返った部屋をさぞお気に召したように見渡した。
中心にいる男は、先ほど藤堂との会話で出た黒霧カイト。
制服を派手に着崩し、金髪に染めた髪をウルフカットにした、悔しいが、端正な顔立ちの少年。親が大物政治家だから世界が自分に這いつくばるべきだと信じている阿呆。クソ悔しいが、長身で逞しい体付きだ。磨り減ればいいのに。
脇を固めるのは、ずんぐりむっくりな体格の細川次郎とゴリラとしか形容しようのない山岡太一こと、一人に一頭の腰巾着だ。
勿論、彼らは微動だしていなかった俺達四人、ではなく俺だけだな、を見た瞬間表情を一変させ露骨に舌打ちした。
違う、黒霧の野郎が舌打ちをして他の二人が同意を示すように真似たのだ。
おお、初めてこいつらに感心したぞ?
舌打ちで会話できるのだな、見事な寄生生命体だ。
そんな様子の二人と一頭に、どう見ても笑顔なのだがどの角度から見ても笑顔ではない藤堂が歩み寄った。面倒臭いが、俺も後を追う。
ん?ちょっと待て、文章可笑しいぞ?『(前略)どう見ても笑顔なのだがどの角度から見ても笑顔ではない(後略)』………すまん、そうにしか見えない。
今度は、黒霧のあんちくしょうと腰巾着二枚はニヤニヤと嫌らしく口元を歪める。小柄で華麗な少女に向ける顔ではないな。今は剃刀の切れ味の空気を漂わせているけど。
「お早う御座います黒霧さん、相も変わらず遅刻寸前ですね。何かあったのですか?」
「おいおい委員長さん、俺のことはカイト様でイイつったろうが。別に遅刻してねーから文句ねーだろう。なぁ、お前ら?」
「そうっすね。俺らにもぷらいばしーってもんがあるんでさぁ、委員長。そんなに知りたいんなら、今度俺らとお遊びに行きやすか?夜から朝まで!ギャハハハッ!」
「…………」
「そうですか。お誘いは、聞き間違えでも嬉しくないので遠慮しておきます。ところで、見ました?今朝教室に入ったら森君の机に酷い落書きがされていたのです。貴方達、何か知りませんか?」
「おおい、委員長、俺らを疑ってんの?ひでぇ言いがかりだなー、俺達他にやることそっちのけてわざわざ学校に来てるってのによぉー。なぁ、お前ら?」
「そうっすね〜、でも確かにイヤな話っすね〜。席に落書きに見舞いの花に……あれ?なんで遺影なんか……と、とにかくチビ、誰かに嫌われてんじゃねぇの?学校来ない方がいいんじゃねぇの?つか、来んなよ。チビと貧乏が移っちまう〜」
「…………」
なんとまあ、ろくでなしの常套句なこと。
ああ、藤堂がどう見ても笑顔なのだがどの角度から見ても笑顔ではない笑みを深めているよ。
早口言葉になる前におさげ美少女の表情が未知の領域に達しそうだよ。
唯一の救いは、山岡ゴリラの口数が少ないところだ。どうやら一生懸命威嚇しているらしいが愛らしいものだ。褒美に台詞を脳内で(うほっ)に変換してやろう。喜べ、俺のイメージだけでは饒舌なゴリラになれたぞ。
「普通、俺らなんかより朝一に教室にいるやつを疑うべきだろ?たとえば……柊とかなぁ?」
「ブフッ!そうですぜ委員長。つーか柊こそ怪しいじゃねーっすか。ねぐらだしいつもボッチだし。タイチもそう思うだろ?」
「ちが(うほっ)いない」
良くぬけぬけとほざきやがる。
柊誠也とは、ちょうど前の席で酸欠状態の魚のように青ざめているクラスメートだ。
もう少し外見に気を配れば二枚目になりそうなのだが、いかんせん気弱な男子高校生。簡単に言えば、俺の次に狙われそうで、実際黒霧のウンコ野郎と下僕二人の召使に成り下がっている可哀想な奴だ。
あの三馬鹿の主張はある意味正しい。野郎共は指一本動かしていない、何せ全て柊に命令してやらせているのだから。
柊は、俺の『是非友達になってみたい男子のクラスメート』リストのトップだったのに、どうしてくれるのだ、黒下痢っ!
高校初日のあの時、メチャクチャ目立って不安そうにしていた折原ではなく、教室の隅で寂しく一人ぼっちだった柊に話し掛けていればっ!絶好の獲物だっただろうが!
いや、どう考えても柊一択だったのに、何故堂々とクラス一の美少女に話し掛けたんだろう?慣れって恐ろしい。
俺は、もう一生男友達が出来ないのかもしれん。
色々と後悔していると、なんだか細川はこちらに向かってメンチを切り始めた。
メンチ、だよな?顔を近づけて歯を軋ませ、眉毛でハの字を描きながら青筋も浮かばせている。ああ、メンチだな。殺意が皆無なので危うく気が付かなかったわ。
………考えてみれば、この阿呆共とはある意味毎日関わっているのに直接話すのは初めてだな。何時も遠くからニヤニヤ見られてただけだし。
ここは、丁寧に自己紹介と行くか。
「つーかチビィ、聞こえなかったんすかぁ?テメーなんて嫌われているし、必要にされてねーから出て行けってんだ。なんでまだいるんすか、マジで空気読めよ。カイトさんは、親なしと同じ空気を吸いたくねぇんでさぁ」
「ハッ、まあ、そんな厳しいこと言ってやるなよ細川。俺様は、見ての通り寛大なんだ。廊下に叩き出して授業をさせてやるよ、チビ。慣れてるだろう?何せ家から叩き出されたんだからなぁ?」
「ギャハハ!ちげーねぇ、カイトさん優しい~、なあ、タイチ」
「クク(うほっ)ッ、こい(うほっ)つ嬉しくて泣(うほっ)きそうだぞ」
「なっ、貴方達なんて事をっ!」
流石に今の罵倒は耐え切れなかったのか、藤堂は張り付かせた笑顔を殴り捨てて鬼の血相三人を咎めようとした。
だが、そんなことする必要ない。
なぜなら……
「ぁああ゛っ!!? 何ベラベラ勝手なこと抜かしてんだ、三流漫画が便秘三日でヒリ出した、なんちゃってチンピラどもがぁっ!! 出て行けだぁ!? てめえらこそ、おウチに帰って母ちゃんの[ピーッ]からてめえらを作った時にこぼれ落ちた父ちゃんの[ピーッ]を探して、まともな遺伝子を貰った方が良いんじゃねえのかぁ!? ここは、人間様の学校っだぜ!? オツムにちゃんと入っていんのか、発情猿共!!! ええ゛っ!!!?」
そうしたら、俺がこいつらに当り散らせないじゃないか。
え?この三馬鹿のことは、毛ほども気にしていなかったんじゃないかって?嫌だなぁ、人って理由なしに怒る生き物だろう?
『番長に負けない方法その一。逆らおうとしたら半殺しにされる、許しを請いても半殺しにされる、泣いても半殺しにされる。なら意地でも逆らってやる』マイルールだぜ。
ただの自棄と言うことなかれ。
自画自賛が入るけど、やはりに実戦経験を積んだ罵しりは響きが違うな。さっきまでのエテ公どものさえずりが唯やかましいのに対し、俺のは明確な殺気が篭って適度にドスの効いた素敵な威圧だ。
低周波振動で震える窓ガラスとかも実に印象的で良い。
ははっ、至近距離でそれを受けた細川なんて尻餅ついた上、産まれたての子鹿のように四つん這いで後退していやがる。他の二人も似たような反応だ。
いやぁ、九年間文字通り血肉を注いで育てた甲斐があったぜ。
トテン
「ん?」
舞い降りた沈黙に妙に可愛らしい効果音が聞こえたので横を見る。藤堂が女の子座りでこちらに戦慄の表情を向けていた。しかも、視線を合わせた瞬間笞打ちになる勢いで顔を逸らしやがった。
あ、あれ?
よく見れば、クレスメートの半分程が避難訓練もないのに机の下で震えている。
柊に至っては、泡を吹いて気絶していた。
…………………………大げさすぎるだろ!??
どんな覇王色だよ、てめえら全員雑魚キャラか!
「は、春樹。お前、」
「お、おお、海老名。復活していたか。面倒だから折原とそこに…………何やってんだ?」
「NOOO!杏花、ダメだよっ。アレ、話した途端呪われるやつだよっ。やめようよっ、怖いよっ!」
「お、落ち着けアンジー。あたしも自信はないが、あれもきっと春樹の一面だ。あたしのショタ感知がちゃんと反応、して、ない!!?」
「絶対違うよ。春樹、悪魔にとり憑かれちゃったんだよ…………えっ、ちょっと、アレ、こっち見てない!?ねえ、こっち見てない!!?」
呼ばれて振り返れば、後ろにショタ酔い(?)が覚めた海老名と賢者モードに入った折原が立っていた。
そこまでは良いのだが、海老名も表情が恐怖に塗り潰され、折原なんて賢者モードぶち抜いてどこか幼児退行を起こして、海老名を盾に隠れている。
藤堂も俺が振り返った拍子に出来た死角を利用しながら、素早く彼女達のもとに駆け寄って折原の背後にしがみつく。
おっ、丁度身長の順に並んでいるな。次は俺の番か。
一歩近寄る。
三歩距離を取られる。
ガビーンッ
「こ、このチビ。お、俺様にそんな口をきいてたっ、タダで済むと思っているのかっ!」
ああっ、まだいうか黒霧[ピーッ]野郎!こっちは、それどころじゃないんだよ!
この際、一生ケツから離乳食決定級のトラウマを植え付けるか?
「お゛?…………」
素晴らしいフレーズを送ろうとしたが、チラッと折原達を見ると全員両腕で頭を抱えてギュッと目をつむっていた。目尻に涙が浮いている。
……………や、やり辛い。
いや、でも、ここでしっかり釘を刺さないとまたすぐ付け上がるだろうし………どうしよう俺。
「ふ、フッ。やっぱり威勢だけかよ。細川、ちょっと礼儀ってもんを教えてやれ!」
「た、タイチに任せまさぁ!」
「…(うほっ!?)……うっす」
ほら見ろ、言わんこっちゃない。
くそっ、言葉がダメなら『睨み』でどうだ!これなら、睨まれた方にしか効果がないはず。
天よぉ!我が眼輪筋に力を!!
目を血走らせて〜
ギンッッッ
「「「「「「「「ひぃぃいいいいいいぃぃぃぃぃぃぃ!!!!????(うっほぉおおおおぉ!!!??)」」」」」」」」
なんでだあぁ!?
なんで、完璧に視界から外れている奴らが教室から逃げ出そうとしているんだ!?
なんで、ポケ○ンの雑魚技が効果抜群でヒットポイント削っているんだ!?
「うわ〜ん!春樹が内なる自分に消されちゃったよ〜っ!こんなのやだよう、帰ってきてよ〜!」
「くっ、春樹には鬼畜男の娘属性があると思っていたが……まさかダイハードだったとはっ……ハアハア、こ、これも以外とイケるな」
「ちょっと貴方達!?早く謝りなさい!今ならまだ間に合う筈です!悪魔の怒りを鎮めて、可愛い春樹君を取り戻すのです!!」
「なっ、なんで俺がこんなチビに…」
「すいやせんでした!!マジですいやせんでしたあぁ!!調子に乗ってましたっ!!」
「!? お、おいっ、細川っ」
「全部こいつらが悪いんす!俺あ脅されて無理やりやってたんすっ、祟るのならこいつらにして下せえ!!」
「うほお!?」
「細川ぁ、てめえぇ!!!」
…………え、なに、このカオス?
折原が遂に泣き出して、俺の遺影を抱えながら床に座り込んでしまった。やめて、流石の俺も自分の遺影を抱かれながらマジ泣きされると居た堪れなくから。
藤堂もやめて、そんな強敵の前に仲の悪い奴らが一旦協力し合うような雰囲気出さないで。そう言うのは、俺も仲間になれそうな時にして。
……あれれ?何か違うっぽいぞ?
速やかに仲間を切り捨て、土下座する細川を踏んだり蹴ったりする黒ゲスとゴリラを見て目で笑っている。
こ、こいつ、あどけない顔でなんてえげつない事しやがる。
海老名?そんなの知らん。
やべぇよ、ヤンキー気取りのバカ共を成敗しようと思ったら成仏する側になっちまったよ。
もう手に負えない、早く先生来てくれないかな。
…………そういえば遅いな、鐘もとっくに鳴っている筈なのにどうしたんだ?
「な、なんだこれ!?ドアが開かないぞ!!!?」
「何をモタクサしている!!早くここから出せ!!………え、マジで開かない?どうなっている!?」
「死にたくない!!僕はまだ死にたくないっっ!!!」
疑問に首を傾げていると、向こうの出口が騒がしくなっていた。
…………本気で逃げ出すつもりだったのか、お前ら。しかも、そんな必死な血相で。
まさかな、この程度のことで人が猟奇殺人犯から逃げるような顔で半狂乱に叫ぶ訳がない。
HAHAHA!正に迫真の演技だ、ノリの良い奴らめ。その演技力だとハリウッドスターも目指せるな。
それよりも、ドアが開かないとはどういうことだ。三馬鹿が開けっ放しにしたドアも何時の間にか閉まってるし。
「畜生っ、どうすれば良い!?向こうの入り口は森に塞がれているし……ひぃ、目が合ったぁ!」
「頭の中に声が囁き始めたら即座に舌を噛み切れ!それか、窓から飛び降りろ!被害を食い止めるのだ!!」
「はっ!?まさか、これも奴の仕業なのか!?我々を一人も逃さないつもりか!!?」
「も、森君を返してこの悪魔!!」
「森君、私よ!谷崎舞よ!そこにいるんでしょう、そんな奴に負けないで!!」
「僕は、別に、大層な夢なんて、ないけど、死にたくないっ!!こんなところで死にたくない!!」
変だ。これだけ騒げば他のクラスの担任が様子を見に来る筈なのだが。
時計を見れば、八時半を指している。妙だ、黒虫トリオが湧いて出たのは授業開始時間の直前。
それから一分も経っていないなんて、電池切れか?
「お、おい皆んな!!窓の外を見てくれ!鳥が空中に止まっている!まるで時間が止まったかのようだ!!」
「なんだとぉ!!?いや、君、なぜ窓際にいるのだ?窓から脱出するにもここは三階だぞ?」
「いや、舌を噛み切るのはちょっと無理だから窓からと思って……」
「馬鹿者っ!!早まるな!素直に虐めを無視したことを謝れば許されるかもしれないだろう!俺も謝る!」
「そ、そうか!!森、虐められているのを見ないふりして悪かった!でも俺の親父、黒霧の派閥だから頭が上がらなかったんだ!許してくれ!!」
「私も、父が経営している病院が黒霧氏から高額の援助を受けていたのだ!『例え路地裏で倒れた浮浪者でも、病気があるのなら俺の患者だ。そいつを救えるのなら何にだって喧嘩売ってやる!』と言う父の背中を追って来たと言うのに、情けない。本当にすまなかった!この通りだ!」
「い、一条、お前そんな事情が」
「フッ、人の苦労はそれぞれだろう、二ノ宮君。」
「高校デビューして、変わろうと思って、彼女も作りたいのに、死にたくないっ!」
確かに窓の外には異常な風景が広がっている。
どう言うことだ、何が起きている。
「お、俺も悪かった!黒霧たちは怖かったし、それに、いつも女子と一緒にいるお前が羨ましくて………で、できれば、折原さんを紹介してくれたり、なんちゃって」
「あっ、ずるいぞユウスケ!!抜け駆けしやがって!森!嫌がらせを見ないふりして悪かった!俺にも折原さん紹介してくれ!」
「馬鹿か貴様ら!!この緊急時に何を言っている!!すまなかった森!ついでに藤堂さんと二人きりにさせてくれ!!」
「馬鹿なのは、お前ら全員だな。どう考えても海老名姉さん一択だろう?今度紹介してくれよ、森。あ、ついでにごめん」
妙に胸がざわつく。
朝起きたら、世界の常識が何者かに微妙に塗り替えられたような違和感を感じる。
嫌な予感なんて数え切れない程経験してきたが、この様なものは初めてだ。
一体、何が起きようとしているのだ。
違う、『ソレ』は既に始まって取り返しのつかない段階まで進んでしまっている。
そして、俺たちはその本流の真中に転げ落ちてしまったのだ。
「お、俺はどちらかと言うと森君が良い、かも?あ、冗談です、ごめんなさい。(ポッ)」
「じにだぐないよ゛うっ!ここでじぬなら、最後に童貞卒g…」
……………………………テメェら、俺は、言ったよなぁ?
……………人は……………意味なく怒れる生き物だって!
と、いうことはなんだ、テメェらは…………期待でもしているのか?楽しみで、待ち遠しくて、この俺を挑発しているのか?
んなぁあっらららぁああ゛!!全っ力で答えようじゃないかぁっ!!!
先ずは、ふっか〜い深呼吸から。
っっ、すうううううううぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ
その瞬間、無数の魔法陣のような物がどこからとなく現れ、難解な模様で俺達全員の視界を覆い尽くした。
直後そこに残されたのは、三十人分の机、椅子、筆記用具、私物。
されど、使用者である三十人の少年少女の姿形は決定的に欠落していた。
それらの道具は、まるで言葉だけ消された文章の句読点の様に、こちらの世界の物語に取り残されてしまっていたのだ。
そして、後に俺は思うのだった。
……………せめて、最後の心からの絶叫も、取り残しておきたかったな、と。