第23話 三日目(3) 醜いアヒルの子(ただしフェニックス)
黒い子猫:「…………ひさしぶり」
にんじゃ。それは隠れる者、知られざる者、見えざる者。
光は敵、闇は味方、ターゲットの影に潜んで任務を遂行する。
にんじゃを見つけ出すことは、誰にも出来ない。
「ヘレンちゃ〜ん、ど〜こですか〜?」
! きた!
じぶんを呼ぶ声がして更に気配をうすめる。辺りの草と木と一緒になる。
ターゲットは強い。でも、大丈夫。にんじゃは誰にも捕まえられない。
「もう〜、どこに行っちゃったんですか〜。『万象の囁き:ヘブン・ウィスパー』」
ターゲット、悪い天使が文句を言いながら魔術を発動。
あれは、風属性の探知系統魔術。知ってる。
けど、今まで見てきたものよりすごい。
家の外、魔力がずっと遠くまで広がって行くのが分かる。にんじゃじゃなかったら絶対見つかる。
おでこからちょっと汗が垂れる。
「うぅ〜、やっぱり反応が全然しませんよぉ〜。どうなってるんですか〜」
やっぱり、にんじゃ最強。わたし最強。
悪い天使は、唸りながら向こうへ去った。
しばらく様子を見てから、隠れていた家の裏庭の茂みから出た。
「ん、にんじゃのしょうり」
因みに、忍者とは他の国のスパイのこと。
よく分からないけど、昔はハルキの世界にもいたらしい。
わたしみたいに隠れるのが上手だと言っていた。後、火を吹いたり水の上を走ったり、なんかカッコいい。
どうやるのかな?今度聞いてみよう。
「………ハルキ、なにしてるかな」
いつの間にか独り言が漏れた。
ハルキ、違う世界から来た男の……子?うん、男の娘。
変な【職業】を持つ、とても変な子。城から一緒に逃げた子。そして、わたしを見つけ出してくれた………二人目の人。
牢屋で初めて会ってから三日しか経っていない、そんなにたくさん話もしてない。
でも、一緒にいるのは好き。
城にいた時も毎朝髪の毛を整えてくれる人はいた。料理を作ってくれる人もいた。
それでも、ハルキのそばはあそこより暖かくて、安心する。とても不思議。
あと、料理はハルキの方が美味しい。お昼のカレー、ヤバかった。
空を見上げたら、村の中心にある大きな木の赤い葉っぱで覆い尽くされていた。
三日前、【異領域】に間違って転移した時は死ぬかと思ったけど、大きな人に助けられてこのヘンテコな村に連れて来られた。
ここのに住む人達はみんないい人達。大きい人も悪魔の人も……天使の人は一応いい人だけど、なんか嫌い。
そして、みんなオカシイほど強い。あんなに強い人達見たことない。
ここなら安全で………城からの追っ手も来ないだろう。
『ヘレン様、自分を守ってくれて信頼できる人を見つけて。そして、その人と一緒にこの国から逃げて』
ふと、キキョウに言われた事を思い出す。
城で一人だけわたしに優しくしてくれた人。色んな事を教えてくれた。
よく分からないけど、国でこれからとても怖い事が起きるから、居ちゃいけないと言われた。
………イヤ。
胸の中が凄く冷たい。
手足がどこにあるのか分からない。
この感覚は嫌いだ。
凄く、嫌いだ。
カサカサ
「ぴ〜よ」
「ん?」
庭の隅に座り込んで居ると、いきなり近くから物音と鳴き声がした。
いや、近くなんかじゃない、殆ど耳元だ。
同時に頭がモゾモゾしたので手櫛をしたら、むんずと柔らかい何かを掴む。
「ぴっ!?」
………ちょっと強かったかも。
「……ひよこ?」
わたしの小さな手の平にちょっと余る具合で収まっていたのは、真っ黒なひよこだった。
まん丸でふわふわな毛玉に小さなくちばしとつぶらな目をひっつけ様なひよこだ。
頭から生える銀色と黄金色の二枚の長い羽が特徴的。アホ毛みたいで可愛い。
「ぴ〜よ〜」
そんなちょっと変わったひよこが今、手の中で元気なくぐったりしている。
今朝、天使の人に牧場の動物を見せてもらった……全部強い魔物に見えたけど……。
天使の人は嫌いだけど、たくさんの動物を見るのは初めてだったので興味があった。
でも、見たり触らせてもらったりしたけど、好きかどうかは良く分からない。
ちょっと困りながらひよこさんを見つめる。
傷付いてないけど、とても弱々しい。私なんかが触ってると、簡単に壊れてしまうかもしてない。それがすごく怖い。
結局、わたしはひよこさんを芝生の上に置いて行くことにした。
「ぴ、ぴ〜よ〜」
「……………」
去り際に振り返ると、ひよこさんが『み、水をくれ〜』と縋る遭難者みたいに小さな翼を伸ばしてるのが見えた。
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「どうだ、そっちは見つかったか!」
「ダメでしたよ〜。もう〜、魔術を使っても見付けられないなんて、ヘレンちゃん何処へ行っちゃったんですか〜!」
「ええい、弱音吐いて居らんでとっと探せい!家の中なら未だ良いが、畑の方に行かれたら大変じゃ!彼処には魔物が蔓延ってるんじゃぞ!」
「毎回思いますけど〜、なぜここの畑って殆どダンジョン化してるんでしょうね〜。……えっ、でも、村中に探知魔術を放ってもヘレンちゃんの生体反応がなかって言うことは、まさか……」
「考えなくても良いし考えたくも無いわ、そんなこと!!も、もしもの事があったら、ハルキに何をされるか……」
「解りました。それじゃあ私はちょっと地の果てまでヘレンちゃんを探しに行きますので、この後半世紀のことは宜しくお願いします」
「待てえぇい!!」
家に戻ると、玄関に旅に出る格好をした悪い天使と真っ青になりながらその腰にしがみつく悪魔の人がいた。
この人たちは、いつもこんな感じで変なことをしてる。ハルキに聞いたら、「気にするな」と言われてるけど、見てて楽しい。
でも、今はちょっと急いでるので気配を元に戻して声をかけた。
「ねえ」
「「ヘレン(ちゃん)!!!」」
二人に物凄い勢いで詰め寄られる。近い。ちょっと怖い。
「どうして逃げちゃったんですか〜!もう、心配したんですよ〜」
「どうもこうも、ラファエラが動物園気分で此処の牧場を見せるからじゃろう。普段大人しくしてるが、小国なら容易に滅ぶレベルだぞ、アレ」
「しーっ!ドラちゃん、それは言わない約束ですよ〜」
「何の約束じゃ、全く。大丈夫かヘレン?安心せい、もう恐ろしい事はせんから、頼むから逃げんでおくれ。そっちの方が帰って危険じゃぞ?」
「ん、べつに怖くない。それよりこれ」
わたしは、両手で包み込むように持っていた黒い羽玉を二人に見せた。
「あら〜?」
「おや?」
「ぴ〜……よ」
結局、拾ってきちゃったのだ。
ひよこさんが「ちわ〜」って挨拶するように翼をあげたが、すぐ力尽きてパタリと倒れる。
意外とよゆう?
ひよこさんを目にした二人は、最初に首を傾げ、次に目が点になり、最後に顔を真っ青にして震えだした。
どうしたんだろう?
「の、ノヴァフェニックスの雛、か。へ、ヘレンよ、汝は【異領域】にでも出たのか?」
「? ううん」
「そ、そうか。良かった」
答えたら、二人とも一気に胸を撫で下ろした。
それを見て、ちょっとムッとなる。
「この子、弱ってる。げんきにして………おねがいします」
「む?おお、そうか。すまなかったの。少し見せておくれ」
ハルキに教えてもらった通り、ちゃんとお願いしますと言うと、悪魔の人がひよこさんを手に取って真剣な表情で調べてくれた。
幼女のお願いしますは最強って、本当みたい。
少し緊張しながら待ってると、悪魔の人がこっちを向いた。
「一つ聴くが、此奴は何処で見つけたのじゃ?」
「うら庭」
「矢張りか。なら、其れしかないな」
「うそ〜。でも、あの子達って品種改良されてるんですよ〜?」
「じゃから、先祖返りということじゃろう。しかも、亜種で先祖返りときたか」
なんか、二人で納得しちゃってるけど。
「?」
「ああ、すまんすまん。今、説明するからの。そうじゃな、ヘレンは家の庭で放し飼いされてる鶏に似た鳥を見たか?」
「うん、まっ赤ですごくきれい」
「あれは、ああ見えて実はフェニックスなのじゃ」
「…………おバカさん?」
「それはどういう意味じゃ!?」
だって、フェニックスって幻の不死身の魔鳥。炎の鳥。チキンフライじゃない。
「ぷくく〜。その通りですよ〜、ヘレンちゃんは物知りですね〜。どっかのおバカさんと違って〜。どっかのおバカさんと違って〜」
「二度も言うなっ!」
「ま〜、冗談はさておきですね。ヘレンちゃんは〜、不死鳥の卵って知ってますか〜?」
「フェエニックス、たまご生むの?」
「は〜い。千年に二度くらいでしょうかね〜?でも〜、その卵はすごい魔力が含まれた素材でして〜、色々なことに使えるからもっとたくさん欲しいわけですよ〜。だから〜、フェニックスを捕まえて品種改良、要するにたくさん卵を産ませるようにしたのが〜うちの鶏ちゃん達ってことです〜」
「んぅ?」
何となく分かったけど、それとひよこさんの関係は何だろう?
さっき、ノヴァフェニックスとか言ってたけど。
「さて、我輩がおバカさんではない事が分かった所で本題に……」
「別にそんな話してませんでしたよ〜?」
「黙れい!つまり、この雛は其奴らの子で、当然フェニックスという事じゃ。最近生まれたのじゃろう。しかも、元の魔鳥フェニクスへ先祖返りした上、亜種のノヴェフェニックスときた。フェニックスは炎と光の属性を持つが、ノヴァフェニックスはそれに加えて闇属性も有しておる。ここが問題じゃな」
そう言って、悪魔の人は顔を険しくした。天使の人の方も気の毒そうな顔をしている。
「本来、フェニックスの雛の餌は母からの光属性魔力じゃ。じゃが、此奴はノヴァフェニックスで闇属性。つまり、普通のフェニックスからは成長に必要な糧を得られてないのじゃよ」
「………お腹がすいて、たおれてる?」
「いえ〜、フェニックスって死に難い魔物ですから〜、これほど衰弱するなんてそんな生易しいものじゃないと思いますよ〜」
「こ、これラファエラ!」
わたしが見つけるまで、ずっとお腹が空いたのを我慢して苦しんでたと言うこと?
そんな、酷い、可哀想。
悪魔の人の手の中でひよこさんが『お、お嬢ちゃん、そんなに心配しなくてもだいじょう……グフっ』な感じに小さな翼を挙げて倒れ込んでいた。
なんとか出来ないのかな?
でも、闇属性の魔力を食べさせてあげる必要があるのなら……
「ん、かして」
「どうした、ヘレン?何か思いついたのか?」
答えずにひよこさんを受け取る。
そして、もう一度両手に戻ってきた黒い毛玉をわたしの魔力で包み込んでみる。
黒い霧が手から出てひよこさんを隠した。
「む!?」
「これは……」
なんか二人が驚いてるけど、無視。
練り上げた魔力がどんどん減って行くのを感じる。ちょっと待つと霧が全部なくなり、わたしに熱烈な視線を向けるひよこさんが現れた。
何となく言いたいことが解ったので、また魔力を注いであげた。
何度かそれを繰り返し、体の中の魔力がだいぶ減った頃にやっとひよこさんは満足してくれたようだ。
『ふ〜、生き返ったぜ〜』な感じにぴ〜よと鳴いている。わたしは疲れたけど、元気になってくれてよかった。
ほっと息を吐く。
そこで、漸く悪魔の人と天使の人がずっと怖い顔で見守ってた事に気づいた。
「どうしたの?」
「ヘレンよ、汝は何処で誰にその魔力の使い方を教わったのじゃ?」
「……城で、騎士の人たちに」
嘘だ。
あれ?わたし、どうして今嘘を吐いてしまったんだろう?
一瞬、自分が解らなくなる。
悪魔の人は、「そうか」とだけ言って何も追及しなかったが、嘘だと気付かれたみたい。
けれど、嫌な空気を払うようにパンと手を叩いてふっと優しく笑ってくれた。
「まあ、少し驚いたがこれで雛も大丈夫じゃな。流石はフェニックスの生命力じゃ。そこでどうじゃ、ヘレン、此奴を育ててみてはどうだ?」
「そだてる?」
その提案に心底驚く。
そだてる?わたしが、この子を?
「それしかないでしょうね〜。ひよこちゃんも毎日餌がいるでしょうし〜、闇属性の純魔力を作れるヘレンちゃんが必要なのですよ〜」
「わたしが、ひつよう……」
もう一度、手の中のひよこさんを見る。
すると、何かに気づいたのか姿勢良く座り直して真っ直ぐわたしの眼を見返した。
『噛みません、吠えません、大人しくしますから拾ってください』という言葉が頭をよぎったような気がした。
「……わかった。この子はわたしがめんどう見る」
「うむ、それが良かろう。此奴も満更じゃない様子じゃしの。フェニックスに関してはそれなりに詳しいので、解らぬことがあれば遠慮せず聞くと良い」
「ん、ありがとう、あくまの人」
「あっ、悪魔の、人じゃと?」
優しい悪魔の人にありがとうを言ったら、ショックを受けたように目を見開いて動揺された。
「なに?」
「いや、その、えーっと、吾輩のこと、『悪魔の人』てはなくドラさんと呼んでくれんかえ?ほら、悪魔族なんて他にもおる訳じゃし」
「? わかった。ありがとう、ドラさん」
「うむ!いい!良い響きじゃ!」
いきなり元気になる悪魔の……ドラさん。この人、時々よくわからない。
次に、そのやりとりを見ていた悪い天使がウキウキしながら前に出た。
「それじゃ〜、私のことは『おねえ様』って呼んでくださいね〜」
「ないわー」
即答してやったら、この世の終わりの様な表情で膝から崩れ落ちた。
この人も、別の意味で何をしたいのかよく分からない。
そんな二人を置いといて、わたしは改めてひよこさんと目線を会わせて「よろしくね」と挨拶するのだった。
「ぴ〜よ」
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「ん、今日はこんなことがあったの」
「へー、そりゃあ良かったじゃねぇが」
「にゅ〜」
微笑ましくてつい枕元で頭を撫でてやると、ヘレンは気持ち良さそうに目を細める。ただ眠いだけかもしれないが。
現在、時刻は夜、バルズーク家。
午後の修行を終えた俺は、夕飯を済ませて長めの休憩をとってる途中だ。
修行の内容は変わりばえなく、相変わらず人体がいちゃいけない環境で人体がしちゃいけない筋トレでだった。
唯一の変化は、カッサンドラさんと顔を会わせるのが最初の課題の言い渡しと魔物除けの結界を張り直す時だけで、その後はずっとデルタアリエスのアリアちゃんの『もっちゃ もっちゃ もっちゃ』をBGMに自主練してる点かな。時々、治癒魔術の光弾を投げつけてくるけど。
ラファエラさんと言えば、最早修行と関わらないと決めたようだ。
後、この筋トレマラソンが朝に上半身、昼に胴体、夜に下半身を鍛える形にプランされてることが分かった。証拠はさっきまで惨殺を受けてた俺の広背筋。
それで、何故今夜は長めに休憩してるかと言うと大した理由はない、昼にちょっと冒険したお姫様直々の要望があったからだ。
寝る前に部屋で俺とお話がしたいとか。部屋つっても、俺の部屋だったが。
ついでに、自分の部屋であるにも関わらず、どんな内装だったかパッと思い出せなかったよ。
あっるぇえ?おっかしいなあ、日数を数えると一昨日のことの筈なのに、ベッドの感触が全っ然記憶にないぞぉ?
「ヘレン、ちょっと横で寝るから詰めてくんない?」
「どうぞ(ドキドキ)」
「……何ときめいてんの?」
試しに布団の中に潜り込む。
………うん、すっげー気持ちいいのにちっとも眠気が来ない。あのゲロ天使に盛られた毒がまだまだ効いてるようだ。ちくせう。
そう心の中で涙してると、先程まで話題に上がってた金銀の羽を生やした黒い毛玉がコロコロと目前でまで転がってきた。
さっきまで話題に出てたノヴァフェニックスの雛だ。
「ぴ〜よ」
「おお、近くから見るとやっぱりめんこいな、こいつ」
「ん、見てるとおもしろい」
「確かに……妙に表現力あるしな。そう言えば、名前は何にしたんだ?」
「なまえ?」
ヘレンがこっちにキョトンと表情を向ける。
次に宙に視線を彷徨わせた。
うん、これはアレだな、今考えてるやつだ。
こいつのキャラだと、また凄まじく適当でその場で思い付いた名前が出て来そうだなぁ。一応、俺も代案考えておくか。
ちょっと失礼なことを思ったりしながら思考を巡らせてると、先にヘレンが収束のついた様子で雛と視線を合わせた。
「……ルナ。なまえ、ルナにする」
「ルナ、ねぇ」
闇属性のノヴァフェニックスにルナ=月、か。
思った以上にネーミングセンスが良かったが………イマイチピンと来ねぇな。
だって、このひよこ、確かにモコモコして可愛気あるが目がえらく座ってるんだよ。
『かったるいぴよ〜、早く残業から上がりたいぴよ〜』って文句垂らしてる顔して、目元だけ完全に寂れたオッサンなんだ。
「………ピヨ助でいいんじゃねぇか?」
「ぴ〜よ」
つい、思ってた事を声に出してしまったら、ひよこがぴょんっと俺の顔に飛び乗り————
ブリブリブリ
「ぴ〜よ」
「………女の子だから、ルナのほうがいいって」
「………なあヘレン、俺の国には唐揚げっていう鶏肉料理があるんだが……」
「ぴっ!?」
「だめ」
無表情でそう言うと、ヘレンはさっとルナちゃんを自分の髪の毛の茂みの中に隠した。
冗談だ。つーか、髪、どんな使い方してんの?
俺は、再びベッドの縁に座るように上体を起こしてから無言で窓の外を見つめた。
外はすでに暗くなっており、蛍に似た淡い光が畑の上を舞っていた。
そろそろ訓練のために出掛けねぇといけねぇな。
「………まだ三日目だけどさ、ヘレンはここの生活は楽しいか?昼は逃げ回ってたとカッサンドラさんとラファエラさんから聞いたが、やっぱ知らない場所に来て不安か?」
「ううん。おもしろい人がたくさんいる、おもしろいものもたくさん。楽しい。逃げてたのは、ちょっと遊んでただけ」
「そうか。でも、家の外は危険らしいから程々にしろよ?あの人達もお前のこと心配してたからな?」
「……はい」
暗闇に浮かぶ金色の瞳が僅かに揺らぐ。それは、自分が心配されてる事実に戸惑っている答え方だった。
まるで日常からかけ離れた情景を見てるかのように、彼女の網膜に映った情報は何処にも結びつかず、虚だけが残されていた。
俺は、決心してその奥深くを探るように覗き込んだ。
「なあ、ヘレン。お前はなんであの日、あの城から逃げたんだ?」
「…………」
「この村に来た最初の夜にお前からもらった、キキョウって女の手紙。アレには、お前の事を守ってくれと書いてあった。つまり、何処から何処まで企み通りだったか分かんねぇが、城でのやり取りは俺ではなく、お前を逃がすための芝居だったんじゃねぇか?……どうして俺を連れ出した。俺は………誰からヘレンを守らなきゃいけない」
「……………わからない」
—————何故、わたしなんかが守られなくてはならないのか、解らない。
ヘレンは何も応えられない。
この時、彼女は俺の前にいながら何処か別の場所に立っていた。俺の顔を眺めながら他の何かを眺めていた。
きっとそれは、今はまだ誰も届くことの出来ない別の世界に属する物。
然し、その場所と何かには不思議と既視感を覚える。そう、遠い昔に嗅いだ、雨の匂いだ。
ならば
「まっ、細けぇことはどうでもいいがな」
「ぇ?」
そう、どうだっていいし、どうにでもなる。俺がやるべきことは決まっている。
天が地に引き摺り下ろされたような、重い重い曇天の下。足元ばっかり向いてたら、眼に映るのは濁った水溜りだけだ。
「別に言い辛いことだったり、言いたくないことだったり。そもそも何を言って良いかすら解かんねぇのなら、言わなくて良い。今は、何も答えなくていい。女の子なら、秘密の一つや二つの抱え方もしらねぇとな。だがなヘレン、これだけは覚えておけ———」
けど、もし、泣き散らす空を見上げる勇気が湧いたのなら。顔が濡れるのも構わず、辛抱強く見続ける覚悟ができたのなら———
「俺は、何時でも、何処でも、それがどんなモンでも、お前の側でお前の秘密話に付き合ってやる。お前の隣で立ってやる。お前を一人になんかしねぇ。これは、約束だ」
何時かは、きっと鮮やかな虹を見ることが出来るだろう。
お姫様は、遠い場所から帰ってくる。
誓いと言う名の一本の楔に巻かれて、強引とも思える感じに俺らの世界に帰ってくる。
雨が止むのには未だ早すぎるが、少なくとも、今なら自分の隣に立つ者の顔くらいは見上げる事が出来るだろう。
ヘレンは、今度はしっかりと俺の顔を見ながら問うた。
「どうして?」
「どうしてかって?そりゃあ、もちろん—————」
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「ふぅ〜」
布団の中で寝息を立てるヘレンをもう一度肩越しに見てからそっと部屋のドアを閉めた。
今夜は寝るまで一緒にいてほしいと言われたのでその通り付き添ったのだ。
まあ、あんなこと言った後「それじゃあお休み〜」とは行かなかったからな。
結局、あいつに纏わる一切の事情も聞き出せなかったが、俺の想いはちゃんと伝えたつもりだ。後は、彼女次第かな。
「さて、じゃあ俺は俺のやれることをしますか」
そう呟きながら自分の手の平を眺める。
見慣れ親しんだ、小さくて柔らかな女々しい手だ。
ガキの頃から家事炊事やってんのにどうしてこんなに綺麗なままなのか、改めて不思議に思ってしまうが、この綺麗な両手で今まで何とかやって来た。
強くならなくちゃいけない事は変わらねぇ。別に誰の為でもなく、これまでの自分とこれからの自分の為に。
決意を新たに、俺は夜に挑むのだった。




