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この世界の名前は、<わくわくワールド>と言う。
……名前からして、ここがいかに呑気な世界であるか伝わってくるだろう。
空には浮遊大陸が浮かんでいたり、他にも不思議なものが沢山ある世界だ。雰囲気はファンタジーよりメルヘンと言った方がいい。
魔法が存在するのと同様に機械技術も発達していて、文化はまさにカオス。その上人間の他にも獣人や魚人といった様々な種族が暮らしているから、さらにカオスである。
しかしこんなでたらめな世界にも関わらず、世界は平和だ。
私達のいる辺りは古い西洋文化に似た生活をしているが、アニメ通りの世界なら海の向こうには、日本に似た国や、天使の住む浮遊島、獣人の住む森なんかもあるはずで、しかしその文化はお互い衝突することもなく、世界は均衡を保っている。
私達の暮らす、<ナンテーネ王国>の城下町も治安は悪くない。
悪くなるのは、これから数年後に魔王復活を目論む魔導士が世界征服を始めてからだ。
……。…………。
あああああ! なんなんだこの世界観は!
「大体<わくわくワールド>ってなんだコンチクショウ! 『わ』が三つも入ってるじゃねーか! 言い難いわ!」
私は路地裏の壁に張り手を入れた。壁ドンである。石の壁は硬くて手が痛かった。
おまけに通行人が驚いてこちらを見ていたので、恥ずかしくなった。
私が<この世界をアニメで見ていた自分>を思い出したのは、頭を打ち付けて意識が飛んだ時の事だった。一週間ほど寝込んだその間は、別人の一生を追体験するような夢を見ていたと思う。
目が覚めた後には大分ぼやけた記憶になっていたが、前世の自分はそれなりに苦労や問題はあったものの、大罪を犯したわけでもなく。平凡で温かな一生を送ったようだ。
その記憶は今の自分の暮らしとは掛け離れたものであったけれど、目が覚めた時には忘れていたものが蘇って、ぴたりと収まるような生々しい感覚に包まれていたのだった。だから、あれは夢なんかではなくて、私の前世なんだと思う。
なんて、やっぱり打ち所が悪くて私はおかしくなっているのかもしれない。
前世の記憶は、私の幼い常識を覆し振り回してくる。あたり前だった世界が、誰かの創作物かもしれないとか。幼なじみが悪役になるかもしれないとか。この世界のネーミングセンスが大体ダジャレとか。今まで気にもならなかったのに、こうしてついツッコミを入れてしまう。もう完全に妄想にとりつかれた危険人物じゃないか、私。
この作品はフィクションであり実在の団体とは関係ありません。アニメのナレーターさんもそう言ってたのになあ。
「教会……」
歩く内に目的地についた。裏通りの教会――古いがよく手入れをされた教会堂だ。この世界では女神セレスティーナ様が祀られている。
セレスティーナ様はわくわくワールドを守る愛の女神にして、この世の創造神である。当然アニメにも出た、というかストーリーの要になるお方である。主人公に力を授けてパワーアップさせたり、ヒロインの祈りに応えて力を貸したり、魔王を封印したりと大活躍するのだ。
ちなみにセレスティーナ様は、ふわっとしたピンクの長い髪に、優しい眼差しをした女神様である。母性を感じるような雰囲気を持つ方で、前世の私もファンだった。
教会の扉を開けて中に入ると、堂内に人気はなく静かだった。私は厳かな気配にたじろぎながら奥の祭壇のそばへ跪く。こうして自分から訪れたのは初めてだが勝手ぐらいは解る。
私は両手を握りしめて目をつぶり、祈った。
(女神様。セレスティーナ様! 聞こえてますか?)
そして心の中で呼びかけ、語りかける。
そう、この世界に起こるであろう未来のあらすじを。アニメ全44話分のネタバレトークを女神様に送るのだ。ここがアニメの通りの世界ならこの祈りも届くはずである。
(――で、魔王復活を企んでいるのはマジマージ王国の大臣にして神官のチョコザインという男です。魔王に心の弱みに付け込まれて洗脳され、王国民全員を石に変えて魔王の生贄にします。しかし、マジマージ王国の姫エレナと騎士シェイドは難を逃れて、女神様の召喚した異世界からの救世主であるユウマという少年を探す旅に出るのです)
こうして私は『魔装鎧伝ユウマ!』のあらすじを延々と女神様にリークした。そもそも、魔王の復活が阻止されれば、世界の危機なんか起こらず問題の大半は片付くはずなのである。
女神セレスティーナ様への祈りは、無駄ではないはずだ。アニメでは魔王のせいで力が弱まったり色々あるが、今はそういう問題も起こってないだろうし。今後の展開のネタバレをすることで、魔王の作戦にも対策が取れるだろう。魔王の弱点とか封印の方法とかどんどん垂れ流すぞ!ふははは!『魔装鎧伝ユウマ!』始まらずにして完!
そんな事を考えているが、はたから見れば、私の祈る姿は敬虔な信者に見えるかもしれない。これほど神様の存在を確信して、必死に訴えかけるのは初めてだけれど。
あらかたのネタバレを終えると私は、固く握った手をさらに握りしめた。強く強く、願いをかけて祈る。
(女神様。お願いです。どうかこの世界に魔王を復活させないで下さい。私の大事な幼なじみを助けて下さい。ガルザを救って下さい)
夕暮れに教会が閉まるまで、私は祈り続けた。
ずっと女神様からの答えがないか、耳を澄ましたけれどアニメみたいに声は聞こえてこなかった。
教会から帰ると、孤児院の前でガルザが待っていた。
帰りが遅いのを心配してくれていたようで、無愛想に「どこに行ってたんだよ」と聞いてくる。「教会で世界平和を祈ってきた。やるだけはやった」と答えると、私の顔を怪訝な表情で見つめた後、熱を測られた。
うん。完全に変人街道を突き進んでるな、私。