15
私が目を覚ますと、広くて高い天井が目に入った。
部屋の中は清潔な匂いがして、静かだった。
ど、どこだここ! 意識が次第に覚醒していき、私は飛び起きようとしたが、その途端全身に痛みが走り、ベッドの中で身悶えた。なんだこのベッド、やたらふかふかしてる。
マジで何だここ。
自分が来ている服も白くて清潔そうな寝間着だし、傷のところも包帯が巻かれて手当がしてある。
部屋は広々として、高級そうな調度品がならび、大きな窓から爽やかな日が差し込んで、白いレースのカーテンがそよ風に揺れていた。お洒落な映画のワンシーンみたいだ。
寝ぼけた頭で状況を確認するにつれ、得体の知れない居心地の悪さが芽生えてくる。
パニクる私の耳に、突如室内に響く口笛の音が聞こえた。こ、この音色は!
「よう、お目覚めだな。シオンちゃん」
「バラッド!」
口笛を吹いて、どこからか現れたバラッドが私の顔を覗き込んだ。
嬉しそうな笑顔が印象的だ。今は帽子もしていないから余計に。
「心配したんだぜ~。今、医者を呼んだからさ。楽にしときな」
「いしゃ?」
「そーそー、お医者さんよ。いい子ちゃんにしてたら、後でリンゴ剥いてやろうな」
「ここ、診療所?」
「いんや。もっとすごいとこ。そら来た」
それから、大人が一斉に増えた。医者や看護師の診察を受けて、治療をされる。
気が付くといつの間にか全身の包帯を取り替えて、薬を飲まされていた。
みんな親切で優しく丁寧に、私を扱った。
最後に医者の先生が、安静にしているんですよと言って立ち去る。
「状況がさっぱりだ!」
大人しく診察を受け終わってから、私は言った。治療は大事。
診察中は席を外していたバラッドが、のこのことやって来て、ベッドサイドの椅子に腰掛ける。
「まあまあ、焦るない焦るない。そんでシオンちゃんは、どれぐらい覚えてんの?」
「何を?」
「ここに来るまでの記憶さ。ちなみに、君を運んだのは俺だったり」
「え、は、あー。それは、ありがとう」
「どういたしましてだぜ。……ま、覚えてないなら、無理に思い出さなくてもいいんだけど」
「……ん」私は思わず口ごもった。
チョコザインの事、イカ男と魔王、そしてガルザの覚醒と変身。
覚えているけれど、それをバラッドに話していいのかは、わからない。
あまり軽々しく言える内容じゃないからだ。
なので私は逆に、バラッドに質問をすることにした。
寝そべった姿勢のまま、バラッドの方を向くとバラッドが身を乗り出す。
おかげで私は、無理に大きな声で喋らなくてもよかった。
「バラッド、ガルザは?」
「あいつはピンシャンしてるよ。大丈夫」
「すぐ会える?」
「今頃ここへ大急ぎで、向かってるさ」
まずガルザのことを聞く私に、バラッドは優しい目をした。
そしてまるであやすような仕草で、肩を叩かれる。
あ、これ完全に子供扱いだ。
「むくれない、むくれない。なあに、すぐ会えるってね」
「私、どれぐらい寝てたんだ」
「……ん、三日ぐらいかな」
「そっか」
実感はないが、こうやって何日も寝こんでから目覚めるのは二度目。前の時はもっと混乱していた――何しろ前世の記憶とやらが蘇った直後で大変だったのだ。
「じゃあ、バラッド。三日前の昼にあったことを教えてよ」
「……覚えてんのかい。シオンちゃん?」
「まあまあ。とりあえず、路地がぶっ壊されたのは覚えてる」
「へえ、なーるほど……。ま、よござんしょ」
そう言うと、あの後なにが起こったのかを、バラッドが説明してくれた。
イカ男とチョコザインの戦いで、裏通りの建物がいくつか壊れた事。
でも街の人達は教会にいたから、けが人は出なかったそうだ。
ガルザと私は倒壊した建物の下敷きになったが、ガルザの翼のお陰で無事だった。
そして、イカ男はチョコザインとガルザでとっ捕まえたそうだ。
ちなみに私の怪我は打ち身や擦り傷はあれど、火傷は一つもないという。
矢継ぎ早に聞き出していると、バラッドは肩をすくめた。
うさぎ形のリンゴを一切れ差し出してきて、口元に持ってくる。
「そう慌てなさんなよ。まずは、元気になるのが先さ」
「……」
そのまま歯でくわえて受け取り、頬張る。
あ、この甘く瑞々しい食感、なんておいしいんだ。リンゴ。
私は自分がかなり空腹であることに気がついた。
「も一個いる?」
「食べる」
よこせよこせと、今度は手を伸ばしたら節々がだるくて重いのに気が付いた。
筋肉が炎症を起こしてるような感じだ。
その様子を見て、バラッドの顔に真面目な表情がかすめ、慣れた手際で上半身を起こした私の背中に枕を敷いたりして、体を楽にしてくれる。
「痛み止めが聞いてるけど、しんどいはずだぜ」
「こんなもん。筋肉痛と変わらないよ」
「そりゃ大したもんだ」
バラッドが二つ目のリンゴを剥きにかかり、私はしばらく黙々とリンゴを食べていた。
そしてそんな甲斐甲斐しいバラッドに、ようやく疑問が湧いてきて。
「……そういえば、どうしてバラッドが私の看病してるんだ」
「シオンちゃんよ。ちょいと、聞くのが遅いんでない?」
いいけどさ。とバラッドは苦い顔をして、ゆるゆると首を横に振った。
剥き終えたリンゴを皿に並べて置くと、覚悟を決めたように語りだす。
「俺の勘が鈍ったのさ。神殿に、おたくらの事を教えたのは俺だ。まさか、チョコザインが抜け出してまで、会いに行くとは思ってなかった。あんな事が起こるって知ってたら、黙ってたんだが……いや、言い訳だ。要は君をそんな目に合わせた責任が、俺にもあるって事さ」
すまなそうにバラッドが言う。だが、反対に私は安心して気が抜けた。
バラッドが味方だったのだ。こんなに心強いことはない。
チョコザインが、あの裏路地に来たのもそういう事だろう。
バラッドが、どんな指示で動いていたのかは解らないが。私とガルザに、何か感じるものが、あったのだろう。
「そうか『確かな筋の情報』て、神官長様だったのか。ははは、良かった。それで良かったんだよバラッド」
「良かっただって? おいおい、本気で言ってんのかい?」バラッドはギョッとしたように言った。
「そうさ。ふふ、お宝なんて言うから、何を探してるのかと思ったじゃないか。はっきり聞けて、ああ、安心した」
後ろにもたれかかって笑っていると、バラッドは後ろ頭を掻きながら、面食らった顔をしていた。珍奇な出来事に言葉を失い、少しの間そんな調子だった。
「あーらら、まいったもんだ。こいつは、ますます謎めいてきたってもんだぜ」
「私からしたら、バラッドの方が謎だらけだよ」
「どうだかね」
そのまま笑いかけて止めたバラッドの顔に影が差す。
両手を膝の上におろし、ギュッと握りしめると、前にも見た、熱い眼差しで私を見つめた。
「……お宝を探してるのは本当さ。だから俺は、ついついこういう事に、首突っ込んじまう。この世の神秘って奴に興味津々なのさ」
自分の中にある疑問を言い出しあぐね、それでも聞かずにはおれないというようにバラッドは言葉を続けた。
「俺もシオンちゃんに聞きたいことが、あるんだ」
「うん」私は大人しく頷いた。だが。
「……ま、それは後でもいいや」
バラッドはそう言うと、静かに椅子から立ち上がった。
私に向かって片目をつぶると、人差し指を口に当て、するすると広い部屋の中を横切って扉の方へと歩いて行った。そして素早く扉を開ける。
「よう、レディがお待ちかねだぜ……とっ」
バラッドの姿が引っ張られるように、扉の向こうへ消えた。バタン! 扉が急いで閉められる。
その向こうから、途切れ途切れに、二人の少年が言い争っているのが聞こえてきた。
「……だ、……の……!」
「そ……。……じゃ、……い」
「よ……わだ! ……う」
「……、……も……?」
こんな具合に声が聞こえてくるのだが、様子からしてどうも、のらりくらりするバラッドに、ガルザが食って掛かっているようだ。元気そうでなによりだ。
どうしたガルザ。なにを部屋に入るのを戸惑っているのか。
とはいえ、そこは幼なじみ。こちらも心得がある。
頃合いを見計らい、私は扉に向かって呼びかけた。
「ガルザー。いい加減入ってきなよ。リンゴあるぞ、リンゴー」
数秒の沈黙の後。扉がゆっくり開いてガルザが入ってきた。
腕などに包帯を巻いたりしていて、ちょっと痛々しい。
ガルザはバツの悪さを隠したぶ然とした顔で「うるせえ!」とバラッドに向かって噛み付くように捨て台詞を吐きながら、乱暴に扉を閉めた。
「……具合は」ガルザがぎこちなく切り出す。
「見た目ほど悪くないよ。お前は?」
「別に、どうってことねえよ」
私がちょいちょいと手招すると、ガルザはベッドの端に背を向いて腕組みしながら腰掛けた。
リンゴをすすめると「お前が食え」とだけ言う。
妙に空気が重い。
「シオン」
「おう」
「お前……何か聞きたいことはあるか」
「あ、そうだ。一つある」
「なんだ」
「うん。ガルザ、ここは一体どこなんだ?」
そういえば、バラッドから聞きそびれていたのだ。
私の言葉にガルザがガクッと肩を落として、そのまま仰向けに倒れそうになるのを持ち直した。ししおどしみたいな動きだった。
そこから体を反転させてこちらを向くと、ベッドを手で叩きながら勢い良く喋りだす。
「お前な! 何を言うかと思えば、なにを呑気な事を言ってやがる!」
「いやだって、見知らぬ場所だからさ。……ここどこなんだよ」
「あのなあ、くそっ、バラッドの野郎も説明しとけよ……ここは神殿だ」
おったまげ! と叫ぶ司教の声が蘇る。私もちょっと言いかけた。
改めて部屋の中を見回すと、ちょっとテンションが上がる。
「うわあ。体が平気なら、探検するのになあ。ガルザ、なんか見た?」
「寝てろ。好奇心の塊かお前は」
「わかってるよ、安静にする。でも神殿かー。すごいな」
「そんなに、大したもんじゃねえよ」
「ははは」
あんまりガルザがつまらなさそうに言うので、私は思わず笑ってしまった。
ガルザは何か言いたそうにして、また口を閉ざしてそっぽを向いた。
私はそのまま、ガルザが口を開くのを待った。
「シオン……」
静かな間があって、その内とうとうガルザが言った。なんだがとても長い時間そうしていたように思える。
「俺はマジマージの国に行く」
ああ、そうだろうな。その言葉を感慨深く聞きながら。
私は一言「そうか」と答えるのが精一杯だった。




