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 タライに汲んできた冷たい水で、いつもよりも念入りに顔を洗う。順番待ちをする子と場所を変わって、横にかかる手ぬぐいで顔を拭いた。そこへ後から起きてきたガルザと目が合い「おはよう」と声をかける。ガルザは軽く片手を上げて応えた。


 外はきれいに晴れていた。


 この日の裏通りは慌ただしく、どこもてんてこ舞いのようだった。

 普段ならこんなに天気の良い日は、みんなでシーツや毛布を洗濯して外に干しておくのだが、今日はそんな場合ではなさそうだ。


 朝食を食べ終わった後、玄関ポーチに私とガルザは並んで腰掛けた。

 ここからだと、孤児院の門から隣近所の景色がよく見える。


「で、お前も神官様のありがたい話とやらを、聞きに行くのか」とガルザ。

「行かないよ。お前と一緒にいる」

「そうかい。俺はてっきりお前も大はしゃぎ、してるもんだと思ってたがな」


 建物や路地に飾りつけられた色とりどりの布で作られたガーランドや、他の飾りを視線で示しながら、うんざりしたようにガルザが言った。せせこましく薄汚れていた裏通りの、精一杯のおしゃれだ。


 たった二日でよくここまで仕上げたものだと感心してしまう。


「この間までなんの興味もありません、て態度だったのによ」ガルザはせせら笑った。

「変わり身が早いよな。たくましい」

「大人って馬鹿ばっかりだな」


 通りの向こうから、ばたばたと足音がしたかと思うと<チョコザイン様 ようこそナンテーネへ>と書かれた看板を抱えた大人が、教会の方向へ走って行くのが見えた。


 そんな様子を呆れながら見物できるのも、子供の特権かもしれない。

 白けた表情を浮かべるガルザと一緒に、私もぼんやり町の様子を眺める。


「じいさん達も行くんだろ。お前、ずいぶん気にしてたのに、本当について行かないのか」

「うん……いいんだ」私は首を横に振った。


 孤児院を運営する老夫婦――じいちゃんとばあちゃんも、今日はチョコザインの訪問の様子を見に教会へ行くらしい。「せっかくだからねえ」とのんびり言う二人に、私は気を付けるようにと忠告した。「偉い人が来て、人が大勢いたら危ないことが、起こるかもしれないんだからね」くれぐれも気を付けて、と念を押す私に、二人は「シオンは心配屋さんじゃのう」と微笑んだのだった。ここの子供達も、みんな二人に付いていくようだ。


 私にとって、孤児院のみんなは家族同然だ。危険が起こるなら守りたい。

 だが、それでも私の最優先はガルザなのである。


 バラッドはあれから姿を見せなかった。私の方からも、教会に行かず会いにも行かなかった。手紙だけは用意して、今も懐にしまってある。今日を無事に過ごせたら、渡しに行こうと思う。


 バラッドはグレーゾーンだ。この間の話からして、本人に悪気がなくても、何かに首を突っ込んでいるのは確かで、おいそれと信用していい相手ではない。


 などとまた私が思案していると、ガルザに頬を指で突つかれた。


「お前は本当に、考えこむのが好きだなあ」ガルザは呆れたように言った。

「うーん」唸りながら、私は首をひねる。

「頭を使うなとは言わねえが、ほどほどにしとけ」


 そう言いながら、ガルザが立ち上がる。私も後に続くと、自然といつもの路地裏に行こう、という事になった。


 ところが、普段と違って賑やかな裏通り。先日のパレードの時ほどではないが、人が多い。いつもの場所へいくのにも、倍の時間が掛かり、おまけに辿り着いた先には先客がいたのだ。


 その男を見て、ガルザが舌打ちをした。私は思わずガルザの腕を掴んだ。

 全身を覆うローブ姿、影の掛かった顔にはサングラス。こそこそとした様子で、あたりを伺いながら壁を背にカニ歩きをしている。


 不審者である。まごうことなき不審者である。


 キョロキョロしていた男の顔がこちらへ向いた。目が合ってしまい、私とガルザは咄嗟にお互いをかばい合うように動く。そのまま逃げ出そうとすると、不審な男が叫んだ。


「待つのだ! 私は怪しいものではなーい!」

「どこからどう見ても怪しいだろうが!」間髪入れずに、ガルザが言い返した。

 こいつは本当に勇敢というか、向かってくる相手には歯向かっていくスタイルというか。

 なんにせよ、ガルザの言葉に男はショックを受けたようだった。

「ウムムム……」

 そのまま男はカニ歩きの姿勢から、こちらへ勢い良く向き直る。思わず背筋がビクッとして、私はいつでも飛び出せるように身構えた。しかし男は、こちらの態度を見てそのままの姿勢で固まった。


「むむむ……。いかん、こんなに幼い子等を怯えさせてしまうとは……!」


 苦悶のにじむ声であった。ついでに、はっきりとしたよく通る声だ。身分のある人物だからだろう、堅苦しい言葉遣いが板についている。

 よく見ればローブ姿でも解る。がっしりとした大きな体。身なりも清潔で、落ち着いていれば威厳のある人なのだろうな、と思わせる出で立ちである。今は混乱する熊のような有り様であるが。


 冷たいものが背筋を伝う。私は、自分が汗をかいているのに気が付いた。


「……やはり。変装とはいえ、このサングラスはやめておくべきであったな」


 何とか私達を怯えさせないようにしたいのか、そろりとした仕草で、男はサングラスを外した。彫りの深い顔立ちが露わになる。


「私はチョコザイン。君達に一つ頼みたい事があるのだ……」


 突然私達の前に現れたチョコザインは、澄んだ瞳でそう言った。

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