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07 来客告げる雨音、きみを待つ

「んしょ、んしょっ」


 今日はパンでも焼こうと、エイレンティアは踏み台に乗って一生懸命に生地をこねる。ミルの実を沢山入れたパンは、幼少時のセオドリークの好物の一つだった。きっと喜んでくれるはず――そう考えると自然と口元が緩んでしまう。


 貴方には数え切れないほどのものを頂きましたよ、と彼は言う。でもそれは、エイレンティアも同じだった。誰かのために何かをするのはこんなにも楽しくて心地良いのだと、教えてくれたのは彼だからだ。大切な、誰よりも大切な家族。叶うなら、どうかこのまま――……


「……う?」


 不意に外からした音に気付き、手を止めて窓の方を見る。音の正体を確かめると、慌てて駆け出した。


「せおっセオっ! 雨なのですっ! お洗濯物が濡れちゃうのです~~っ」


 せっかく干したのにー! と涙目になりつつも急いで取り込む。そのうちに、ローズガーデンの方にいたセオドリークも駆けつけてくれた。


「うー間に合わなかったのです」


 取り込んでいる最中にも雨は激しさを増し、洗濯物はおろかエイレンティアもろともびしょ濡れである。朝は晴れていたからと、シーツまで洗ったのが仇になってしまった。量が少なければ、ここまで濡れてしまう前に回収出来たのに。


「大丈夫です、また洗えば済む事ですよ。それよりもお師匠さま、寒くはありませんか?」

「だ、だいじょうぶで……う、くしゅんっ」


 堪えきれずに、小さなくしゃみが漏れる。魔法をかけてあるローブを着ていれば話は違ったものの、エプロンを着る際に脱いでしまっていたのである。そのせいでワンピースにまで雨が染み込んでしまい、肌寒さが彼女を襲った。腕をさするエイレンティアを見て、セオドリークは何かを考え込む。音もなく空を見上げた後、そっと彼女を自分の方に引き寄せた。


「ふに?」


 労わるように、ゆっくりと優しく背を撫でる。その度、エイレンティアの体がぽかぽかと温まっていく。ああ魔法を使ってくれているのだと、安心して身を預けた。セオドリークにしてみれば、なんともいえない心境だったのだが。


 彼女が腕の中に納まってくれているのは最大限の信頼の現れだと、分かってはいる。がそれは、セオドリークが望むものとは違う形でだ。本当は博愛ではなく慕情だと知ったら、彼女はどうするだろうか。今のように、笑顔を見せてくれるのだろうか。想像してしまい、つい抱きしめる手に力が入る。 壊れてしまうくらいなら、ずっとこのままこうしていられたらいいのに。


 しかし時は残酷なもので、彼の願いは届かない。


「セオ?」


 空気が急に張り詰め、エイレンティアは不思議そうにセオドリークの名を呼ぶ。


「……誰か、来ましたね」

「え? ど、どなたでしょうか。国の方でしょうか。なにかあったのかもっ」

「いえこの魔力反応は……イーズデイル様でしょうね」

「わあ、ルノですか!? 最近会ってなかったのです、嬉しいです!」


 大喜びするエイレンティアを、セオドリークは複雑そうに見つめる。二人の時間を邪魔された事も勿論だったが、魔女の森を訪れた人物にも大いに問題があったからだ。


「わ、わっ、あぶなっ」


 ばっさばっさ、がっしゃん、どーんっ。


 何か気になる音を混ぜて、強烈な地響きが二人の家を揺らす。ああ来てしまった……と頭痛がするのを抑えながらも、エイレンティアの手を引いて外へ出る。そこにいたのは、セオドリークが予想した通りの人物だった。


「やー、ひっさしぶり! 元気してたー?」


 木々が倒れまくっている現状をまるっと無視し、にっこにこと機嫌が良さそうに手を振る男性は、ブルーノ・ルーン・イーズデイル。隣国エストレーラ国の筆頭魔法師と呼べる存在であり、エイレンティアの旧友だ。


「お久しぶりなのです、ルノ!」

「ご無沙汰しております、イーズデイル様」


 にこやかに笑い返しながら――セオドリークの笑みは冷え冷えとしていたが――彼との距離を詰めていく。


「カシェくんもお久しぶりなのです! お元気そうでよかったです」


 エイレンティアに大人しく撫でられているのは、ブルーノの使い魔のカシェ。巨大な白竜は先程の地響きの正体だった。通常竜は人には懐かないが、息耐える直前の母竜に託された卵から育てられたカシェは育て親のブルーノのみに限らずエイレンティアにも心を許してくれている。


「いつもありがとうなのです。疲れたでしょう?」


 隣国からでは普通に来るには時間がかかりすぎる、転移魔法を使おうにも遠すぎる、という理由で、ブルーノは愛竜と共に訪れる。そのため彼の着地用に平地を用意してあるのだが、どうにも着地が下手なのか毎回毎回違う場所に訪れるのは最早お約束だった。


「ティアちゃんに会えたら疲れも吹っ飛ぶってものだよ。でも雨ざーざーで焦ったよ。って、あれ、二人とも濡れてないねえ?」

「セオが魔法使ってくれてるのですよ。ルノはだいじょぶです? タオル持って来ましょうか?」

「んーん、ぼくはへいきー。濡れたのはこの子」


 ブルーノが指を鳴らせば、ぽんっと音を立ててカシェが手のひらサイズに変わる。魔法具でもある首元に巻かれたリボンとつぶらな瞳も相まって、まるでぬいぐるみが動いているかのような可愛らしさだ。


「このサイズなら守護魔法かけられるし問題なしーだよー。おっきい時にかけても維持できるだけの魔力はぼくにはないんだよねえ。そこの優秀なお弟子さんと違って」

「お褒め頂き、有難うございます」

「どういたしましてー」


 互いに笑顔であるにも関わらず、和やかとは言い難い。だが恒例のやり取りだとエイレンティアは気に留めなかった。以前は気にしてはらはらしていたものの、「男同士のじゃれ合いみたいなもんだよー。へいきへいき」と彼独特の気の抜けた口調で言われ、セオドリークも同意したためである。


「さ、挨拶もすんだしー。家の中いれて?」

「はいです!」

「……何故お師匠さまの手を取るんです?」

「だってきみと並ぶのやなんだもんー。なんだよーちょーっと身長あるからってー」


 エイレンティアの左にセオドリーク、右にはブルーノ。男性としては低めなブルーノは、身長差が生まれてしまうのを嫌って長身のセオドリークの隣に並ぼうとはしなかった。小柄のエイレンティアの隣なら自分も高く見える! が彼の主張である。とはいえセオドリークが言いたかったのは「手を繋ぐな」だったわけだが、話を逸らされてしまい渋々妥協した。エイレンティアの前で過度に突っ込んでしまっては、不仲だと取られてしまいかねないからだ。どれほど不本意であっても、それだけは避けなければならなかった。


 ふわふわとあちこちに跳ねる青い髪を一つに結び、引きずってしまうほどに長く黒いローブと同色の帽子。顔立ちは平凡を抜けきらないが、右に紫、左に黄のオッドアイが人目を惹く。加えイーズデイルとは王家に連なる者のファミリーネームである。かつては相当の地位にいたのだろうが、セオドリークにはどうでもいい事だ。最も重要なのは、彼が「エイレンティア」の唯一の友達だという事実のみであった。


「おーいつ来ても丁寧に片付けられてるねえ。ティアちゃんひとりの時はひっどい有様だったものだけど」


 家の中に足を踏み入れたブルーノは、カシェを肩に乗せて興味深そうに辺りを見渡す。


「うう……わ、忘れてくださいなのです……」

「へーきへーき。欠点のひとつやふたつ、飛んで二十くらいあっても魅力的な人は魅力的なもんだよ。欠点がない完璧超人の方がなんか嘘くさいじゃないー?」


 ねえ? と可愛らしく首を傾げて彼は尋ねる。実際のところはエイレンティアに向けた言葉ではなく、セオドリークへだとセオドリークだけが気付いていた。


「そういうものなのです?」


 裏を読めなかったエイレンティアは、聞き返してしまったけれど。


「あっ、パン! パンそのままにしてきちゃったのです~~っ」


 ちょっと待っててくださいね! と、二人の手を離しばたばたと奥へと消えていく。残された二人は、微笑ましそうに見守っていた。


「いやあかわいいねえ。癒しだねえ。こういうの下町では萌えーっていうんだっけ? 萌え萌えびーむ?」

「お師匠さまを不純な目で見るのは止めて頂けますか」

「よくいうよ、きみが一番不純なくせにー。あ、欠点ないってことはなかったか。きみのそれ、有り余る長所を打ち消しちゃってるもんねえ。寧ろマイナス?」


 困ったもんだねえ、と彼はけらけらと笑う。エイレンティアが見ていないのなら構わないと、セオドリークは盛大に眉を顰めた。


「ねね、ティアちゃんが気付かない程度にさりげなーくなにげなーくひんやりした魔法ぶつけてくるのやめないー?」

「ではまずその言動をどうにかしてください」

「えー? これはぼくの個性だよー? 個性は大事だよー? じゃないと埋もれちゃうんだよー。大体きみさー、結界超えるときにぼくが解除できるぎっりぎりのトラップしかけてくるのやめなよねー。凡人には地味にすんごく大変なんだよ?」

「そうですか、それはよかったです」


 にっこり。


 美しい笑みを浮かべるセオドリークだったが、目は全く笑っていない。「さっさと帰れ」というオーラが全身から溢れていた。残念ながら、この程度で揺らぐブルーノではないのだけれど。


「セオくん、男の嫉妬は見苦しいよぉ。実態を知ったらティアちゃんが泣いちゃうよ?」

「あの方は貴方を大切なご友人だと認識されていますからね。ですので私も譲歩しているじゃないですか」

「そうなんだろうけどさぁ、きみの愛って重ーい。ついでに気持ちわるーい。きみがそんな風だから、あの子が思い悩むんじゃないのー」

「それはどういう――……」

「セオっもしかして生地に魔法かけてくれてましたかっ」


 会話の途中でエイレンティアが現れ、セオドリークは態度を一変させる。隣でうわぁ……と声がしたのは、聞こえなかった振りをした。


「はい。発酵してはいけないと思いまして」

「ありがとうですっ!」

「いえいえ、弟子として当然の事ですよ」


 ブルーノがこの場にいる事などすっかり忘れてしまったかのように、彼の視界にはエイレンティアしか写っていない。というよりも本気でエイレンティア以外はどうでもいいのだろう。世界の全てを彼女に向けているセオドリークの眼差しは甘ったるく、とうに見慣れているはずのブルーノですらも胸焼けしそうだった。――これで親愛だと思い込んでるんだから、ティアちゃんも大物だよねえ。


「ティアちゃんパン作ってたんだねえ、残念。次は事前に連絡するからさ、ぼくにも焼いてくれる?」

「はいっもちろんです!」

「やった、楽しみが増えたよー。そうだこれ、ぼくの奥さんからー」


 ブルーノは手提げ袋をエイレンティアに渡す。ピンクの花柄は可愛らしく、彼の妻の好みが窺えた。


「わあ、アイリスさんからですかっ。嬉しいです、ありがとうです!」


 アイリス・イーズデイル。ブルーノの最愛の妻の名だ。


「アイリスさんにお礼言っておいてくださいです。でも出来れば、直接お伝えしたいのですけど……」

「んー、ティアちゃんひとりならぼくも喜んで会わせるんだけどねえ。セオくんがねー。アイリがぼく以外の男に靡くわけはないけど、でもあんなに素敵な女性を世の中の男性がほっとくわけもないじゃないー?」

「ルノはやきもち焼きです?」

「だってぼくアイリ大好きだもんー。あ、当然リンくんも大好きだよ。ぼくとアイリの子供だしね。いわゆる反抗期ってやつなのか、おとうさーんって呼んでくれなくなっちゃったけど。子供の成長ってはやいよね、ぼくにしてみればちょっとの時間なのに」


 最後の台詞に少しだけ哀愁が紛れていたのを、エイレンティアは聞き逃さなかった。魔法使いであり長命なのは家族の中でブルーノのみで、彼は一人だけ異なる時間を歩んでいるのだ。それもあってか普段ブルーノはほとんどの時間を家族と過ごし、エイレンティアとも手紙でのやり取りが主になっている。たまに気まぐれで会いに来てくれる際は決まって一人なため、彼の家族と会った事はなかった。彼が自分の家族を深く愛しているのは、手紙の文面からも充分に滲み出ていたけれど。


 心のどこかで、彼が羨ましいとも思う。それはきっと、エイレンティアには縁のなかった感情だからだ。


「……では、私が紅茶を淹れましょう。イーズデイル様、ミルクティーでよろしいですか?」

「アイリのクッキーに合うならなんでもいーよー。美味しいの期待してるね」

「中身は先に言ってください。了解しました。お師匠さま、行きましょう?」

「え? あ、はいです」


 再びエイレンティアの手を取り、キッチンに向かうセオドリーク。彼らを、ブルーノは何かを言いたげにじっと眺めていた。

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