03 冷えた指先を暖めるのは誰ですか(2)
「今回は上玉ばかりだったな」
「高く売れるぞ。前回の外れ分は取り返せそうだ」
二人の男は下卑た笑みを浮かべながら、質素な作りの馬車を引く。中からは物音一つせず、まともに整備されていない道には人影もないため、男達の声と馬を走らせる音が響くだけだ。
「近頃は警備が厳しいからな……やりにくくて困るぜ」
「何でも、見回りの兵が増えたのは第二王子が原因らしいぞ。愛しの娘が平穏に暮らせる街にしたい――だとか抜かしたんだと」
「魔女に惚れてるとかいう酔狂な王子か。いい迷惑だな。大体魔女なら守ってやる必要もねーだろ」
違いない! とげらげら笑い合う。
「まあ、そろそろこの国での仕事は潮時かもな。捕まっちゃ元も子もねえ」
「そうだな、私も驚いたよ。こんな馬鹿な事をしでかす人間が我が国に残っていたとは」
突如加わった声に驚いた男達は手綱を慌てて引き、馬を止める。周囲を見渡すと、馬車の上に座り込んで不適に笑う女と目が合った。女は夕焼けを背にしているせいで顔までははっきり見えないが、真っ赤な瞳が不気味に浮かび上がっていた。
「この女……っいつの間に!?」
男達は警備の抜け道を調べ上げ、慎重に行動してきた。当然、付けられる事がないよう細心の注意も払っている。にも関わらず女の存在に全く気付かなかったのは、由々しき事態だった。
「いや待て、あの魔方陣のペンダント……っコイツ魔女だ!」
「大正解。抵抗は無意味だ。私は力加減が下手なんでな、丸焦げにしてしまうかもしれないぞ」
なんて事はない風に、恐ろしい内容をあっさりと紡ぎ出す。予想もしていなかった「魔女」の登場と、彼女の発言に一瞬怯んだ男達も、彼女の容姿を確認するや否や警戒心を解いた。何の力も持たなそうな、愛らしい顔立ちの少女だったからだ。――――愚かにも、魔女を甘く見てしまったのである。
「……彼女達を無傷で解放するなら、私も善処しよう。私とて、むやみやたらに命を奪いたいわけではない」
「はっ魔女とは言っても所詮はガキだ。引く理由がどこにある!」
「そうか」
少女は目を伏せた後、軽々と飛び降りる。真っ直ぐに立つ少女はどこからどう見てもただの子供で、何の武器も持っていない上に隙だらけだ。他の女と同様に捕らえて売ってしまえば、拝んだ事もない大金が手に入るのは間違いない。これ以上美味しい話はそうそうない、と男達は歓喜に震えそうだった。しかしそれなのに、この少女に近付いてはいけないと本能が告げている。
「それなりの場数は踏んでいるようだな。今後は外見で人を判断するのは止めた方がいい。今後があるかは、お前達の選択次第だが。どうする?」
物怖じせず、凛とした態度だった。いつまでも聞いていたいと魅了される声音に男達も思わず聞き惚れるが、すぐに正気を取り戻す。御者台から飛び降り、腰に下げている短剣に手をかけると戦闘体勢に入った。子供に馬鹿にされ、プライドを傷つけられて黙っていられるほど、男達は冷静ではない。どちらも、そういった生き方はしてきていない。戦わなければならない場面で逃げ出す負け犬になるのは御免だった。
「いいか、顔は傷つけるなよ! 生け捕りにするんだ、本物の魔女なら高く売れる」
「俺達を恨むなよ、お嬢ちゃん。恨むなら、俺達の前に現れちまった軽率な自分にしな!」
「交渉決裂だな、残念だ」
悲しげに呟いた少女に、男達は笑みを深くする。男二人を前にして降参したのだと取ったのだ。思い違いでしかなかったと、直に悔いる羽目になるのだが。
ああ、本当に残念だ。少女は心の中で繰り返し、胸元のペンダントに触れる。中央に三日月が象られた魔方陣のペンダントは、国家魔法師の証だ。同時に、一生を国に捧げろという束縛の証でもある。少女が初めて手にしたのは、気が遠くなるほど昔の話だった。そのペンダントから淡い赤色の光が生まれ、粒子が集まるようにしてロッドの形を成していく。
自身の身長よりも長い、膨大な魔力を制御するための杖。三日月の中央には赤い水晶が浮いている。それを右手に構えた少女の雰囲気は、先程までとは明らかに異なっていた。
「――――人の忠告は素直に聞いておけばよかったものを」
くすりと妖艶に微笑む少女には、幼い印象などどこにも見当たらない。髪を結んでいたリボンも解かれ、黒い髪がさらさらと風に流されている。そこにいるのは、幾多もの命を葬り去ってきた「魔女」だった。
「漆黒の髪に赤い瞳……まさかこのガキ……っ!?」
「ああでも、もう遅い。私の前で剣を抜いた事、精々あの世で後悔するんだな」
◇◇◇
「……お師匠さま、遅いですね」
待ち合わせの噴水前で立ち尽くすのは、すっかり忘れ去られているセオドリーク。女に話しかけられるのが鬱陶しい、という理由で姿隠しの魔法を使用しており、彼の姿は一般人には視認出来ないが、困ったように何度も時計を見ていた。
「何か嫌な予感もしますし……仕方ありません」
ハンカチに包んでいた彼女の懐中時計を取り出す。使う事がないよう願っている、と言ったのは紛れもない本心だったというのに、どうにも彼女は大人しくしていてくれない。懐中時計を右手の掌に置き、左手でロッドを持つと詠唱を始めた。
「対象者、ティアフルール・エレン・アンブローズ。探知せよ」
今はもうセオドリークと国の上層部しか把握していない彼女の真名を口にすると、閉じられていた懐中時計の蓋が開く。本来0時以外では重なり合わない長針と短針が、彼女のいる方角を示すようにしてぴったりと重なり合った。
「街外れの方角ですね……愛しい人の傍に赴くとしましょうか」
自分一人ならば多少荒かろうと問題はないと即座に転移魔法を発動させ、ついでに姿隠しの魔法を解く。しかし人々が彼の姿を認識する前に、一瞬でその場から消えた。
飛んだ先で広がる無惨な光景に、セオドリークは眉間に皺を寄せる。これだから、彼女を一人にするのは避けたかったのだ。
「お師匠様、お怪我はありませんか」
苦々しい気持ちを抑えて極力優しく声をかけると、彼女の目線がセオドリークに向く。この世の全てを敵と見なしているかのような強く鋭い眼差しだった。とても弟子に送るものではなかったが、セオドリークは気にする様子もない。一戦闘を終えた後に切り替えが上手くいかなかったのだな、と読み取れたからだ。
「お前の目には私が怪我をしている風に映るのか? さっさと医者にかかれ」
「ご無事なんですね、よかったです。待ち合わせ時間を過ぎてもお見えになる気配がないので心配したんですよ」
「ああ……その件については悪かったな。連絡をすべきだった」
「次回はそうしてくださいね。私の身が持ちません」
分かった、という返事を聞いて、セオドリークはようやく視線を別のところへやった。道端に転がっているのは、焼け焦げた二つの塊。元は人であったはずのそれらは髪も顔も服も焼き尽くされ、原型を留めていない。かろうじて分かるのは、二人の性別が男であった事だけである。人によっては吐き気を催している悲惨な状況にも関わらず、セオドリークの青い瞳には同情すら浮かんでいない。まるで石ころを見るかのようにどこまでも冷え切っていた。
「臭うか?」
「まあ、大分。空間を切り離しましょうか」
「頼む、女性には辛いだろう」
「了解致しました」
男達がいた場所にロッドを振りかざすセオドリークの横で、少女は馬車に向かってロッドを振る。一箇所に集められた風が馬車の扉を開け、少女は無表情で近付いていった。
「目を覚ましなさい、お嬢さん方。怖いものは何もない」
少女の言葉を合図にして、気を失っていた女性達はゆるゆると目を開ける。四人の服装は町娘といった風で、袖口が破けている者もいれば、髪が乱れている者もいた。抵抗したのだな、と少女はその時の光景を想像して顔を顰める。――丸こげ程度では不十分だったか。
「あなた、は……?」
今にも消え入りそうな、か細い声だった。安心させるようにして、少女は口元を和らげる。
「私はエイレンティア・ルーン・アンブローズ。この名と女神イシュルーチェに違って、貴方達に危害を加えたりはしない。大丈夫、貴方達は家に帰れるよ」
可能な限り柔らかな響きになるよう努め、身分証明にペンダントをちらつかせる。すると娘達も意味を察したようで、張り詰めていた空気が一気に緩んだ。中にはぼろぼろと涙を流す者もおり、エイレンティアはしばらくの間、彼女達が落ち着くのを待った。途中でセオドリークが隣に並んだのを感じながら。
「本当に、本当にありがとうございました。このご恩は一生忘れません!」
「いや、明日には忘れてくれて構わない。ああ……貴方ひょっとしてジェシカ・ブレイン嬢か?」
「え? あ、はい。そうです、けど……」
「弟によく似ているね。彼から預かっていたものを返すよ」
どうして自分の名を知っているのかと驚く彼女に、桃色のリボンを手渡す。弟と同じこげ茶の髪と瞳の彼女は、十六歳くらいだろうか。目を見張る美少女というほどではないが、素朴な美しさを持つ少女だ。だからこそ今回の事件に巻き込まれてしまったのだろうけれど。
「あ、あの、あの子は……っアレンは無事なんでしょうか!」
「ああ、傷一つないよ。家で貴方の帰りを待っているはずだ」
「そうですか……よかった」
リボンを握り締めて心底ほっとしたように息を吐き出す彼女は、弟を大事に想っているのが切々と伝わってくる。一緒にいた時に浚われてしまったのだと思い出し、彼はどうしているかと心配でたまらなかったのだろうなと納得した。心のどこかで羨ましくなる気持ちを抱きつつ、一枚の紙を取り出す。ふっと息を吹きかけると、金色の光が紙の上で走り出し、文字を描いていく。最後にエイレンティアの名を刻んだのを見届けて、真っ白な封筒にしまった。
「ジェシカ嬢、これを門番の騎士に渡すといい。上手く取り計らってくれるだろう」
「あ、はい……?」
「貴方も、他のお嬢さんも、二度と捕まってはいけないよ。さて、セオドリーク。彼女達を城に送ってくれ。お前なら出来るだろう?」
「勿論です」
一つ頷いて、セオドリークは詠唱を開始する。四人も、その上距離のある場所に飛ばそうとしているため、通常よりも長い。彼基準で考えれば、であって、他の魔法使いとは比べ物にもならないほど短いのだが。
白銀の魔方陣が四人の足元に浮かび上がり、瞬く間に広がっていく。月の下で幻想的な輝きを放つ稀少な虫、ルハトが何匹もいるように見えて、四人はぽうっと見惚れてしまう。手を伸ばしかけた時、気付けばそこは城の門前だった。
「ふむ、流石だな。ああしかし、少々失敗したか」
「失敗、ですか」
少女達がいなくなり、取り繕う必要もなくなったエイレンティアに表情はなく、声にも温かみが感じられない。しかしセオドリークが食いついたのは彼女の発言に対してのみだった。
「勘違いするな、別にお前の腕を貶したわけじゃない。完璧すぎていっそつまらないほどだ」
「では、何故でしょう」
「中身はともかく、お前は見た目がいいからな。襲われた後にお前のような男に助けられたら、女性はころりと落ちてしまうんだろう? その機会を潰してしまったと思っただけだ。手紙ではなく、お前に直接送らせるべきだったな」
「……意図を、お聞きしても?」
問いかけるセオドリークの顔は険しく、周囲の温度が二度は下がっている。並の人間ならばまともに立つ事さえ難しいだろう。しかし師であるエイレンティアはその程度では揺らがない。
「お前はいい加減、外に目を向けるべきだ。さっきも言ったが、お前の腕は完璧なんだ。攻撃くらいしか能がない私とは違って、な」
「その台詞、世の魔女達が怒り狂いますよ」
「かまわん。私の力など、人を傷つけるものでしかない」
きっぱりと断言したエイレンティアに、益々セオドリークの機嫌が悪くなる。
「心から尊敬する私の師を卑下されるのは、気分のいいものではないですね」
「そうか、それは大変だな」
「貴方の力は、傷つけるばかりではない。貴方がいなければ私の命など疾うにないと分かっていながら、そんな風に仰るのですか」
ぴくりと、彼女の片眉が上がる。セオドリークは真っ直ぐにエイレンティアを見据えてはいたが、寂しげだった。彼の人生を否定したも同然では、当然かもしれなかったけれど。
「……失言だったのは認めよう。考えを改める気はないが」
「お師匠様は頑固ですね。そこも魅力的なんですけど」
「セオドリーク、お前のそれは雛鳥の刷り込みにしか過ぎないと何度言わせる?」
「構いませんよ。きっかけが何であれ、貴方のお傍にいられるのでしたら」
ああいえばこう言う奴だな……とエイレンティアは一つ溜息をつく。一体いつからこんな性格になってしまったのか。或いは、元よりこうだったのか。
「お前はどこまでも面倒くさい奴だな、セオドリーク。師を労わろうという気持ちはないのか?」
「あるに決まっているじゃないですか。お疲れ様でした、お師匠様。……先に突っ走られたのはあの方ですか?」
「他にいない」
「ですよね。とてもあの方らしいです」
「あの子は優しい子だからな。放っておけなかったんだろう」
”あの子”を語る時、彼女の表情は柔らかい。つられて、セオドリークも微笑む。
「まあその優しさがお前を調子づかせてしまったんだが」
「私は本気ですからね、お師匠様」
「勝手にしろ、青二才が。もういい、疲れた。さっさと帰るぞ」
「はい、勝手にします。絶対に諦めませんから」
セオドリークは満足そうな笑みを浮かべて、密かに準備を整えていた転移魔法を発動させる。辿り着いたのは、とっくに見慣れた二人の家だ。
深い森の奥にひっそりと建てられ、木々に囲まれた古びた一軒家。広い畑では様々な野菜が育てられており、プランターには薬用のハーブなどが並ぶ。実用第一なのが見て取れたが、一角では赤薔薇も咲き誇っていた。師のためにと、弟子が丹精込めて世話をしている大輪の花である。
「お帰りなさい、お師匠様。お疲れ様でした」
「ああ、ただいま。お前もお帰り」
二人にとって、始まりの場所。