02 冷えた指先を暖めるのは誰ですか
「私の前で剣を抜いた事、精々あの世で後悔するんだな」
赤い瞳が不気味に光り、ロッドの先からは業火の炎が生み出された。この世の全てを憎むかのように勢いは止む事なく、燃え続ける。
「お師匠さま、準備は整いましたか? お手伝いしましょうか」
「だ、だいじょうぶなのですっ。後はこれを詰めるだけ……っうん、今でます!」
少女は大きな手提げ鞄を一つ持って、ばたばたと部屋を出る。扉の前で待っていてくれた青年に「お待たせしてごめんなさいなのです」と謝ると、青年はふっと笑って少女の頭に手を伸ばした。
「リボンが曲がっていましたよ、お師匠さま」
「ふぁ!? あ、ありがとなのです」
「いえいえ。私が急がせてしまいましたね。では、行きましょうか?」
「あっ。に、荷物っ! わたしが持ちますっ」
極自然な動作で鞄を取られ、少女は慌てる。一生懸命に訴えてはみるものの、高く掲げられてしまうと届かない。二人の間には五十cm以上の身長差があるためだ。
「あうう……」
「こういうのは男の役目なのですよ、お師匠さま。さて、転移魔法を使いますね」
「はい! ありがとうなのです、セオ」
青年は嬉しそうに目を細め、胸元のペンダントに触れる。ぽう、と淡い白銀の光がいくつも生まれ、粒子が集まるようにして徐々にロッドの形を成していく。それを握ると目を瞑って詠唱を始めた。
二人の足元に、白銀の魔方陣が浮かび上がる。常人では目にする機会もない高位魔法だ。
「――――テルト・テーション」
古びた一軒家にいたはずの二人は、あっという間に森の入り口へと場所を移す。奥へと進んでも必ず同じ場所に戻され、あの森に近づいてはいけないと恐れられる「魔女の森」だ。実のところは、絶えず張られている結界の影響で条件を満たした者しか入れないだけなのだが。
「気持ち悪くはありませんか、お師匠さま。転移魔法は独特の揺れがありますからね」
「大丈夫ですっ。それにセオの魔法はとっても安定してるのですよ。わたしはセオみたいに正確な位置には飛べないですし、揺れも大きいのです……」
少女はしゅん、と落ち込む。二人は師弟関係とはいえ、才能の面では青年の方が遥かに優れているのだ。先程の転移魔法一つにしても差は歴然である。少女も一応は使えるものの、飛ぶ先の指定は非常にアバウトで、かろうじて目的地に辿り着くだけで精一杯だった。転移魔法を使える時点で充分に素晴らしいのだが、寸分の狂いもなく思い描いた場所に飛べる弟子がいては比較してしまうのも無理からぬ話と言えよう。
「うう、わたしはお師匠さま失格ですね……」
「とんでもないですよ、お師匠さま。私は心から尊敬出来る方を師に持ちました。私以上に恵まれた魔法使いは他にいません」
きっぱりと言い切る青年の瞳は真っ直ぐで、紛れもない彼の本心なのが窺える。俯いてしまっていた少女も、こくりと小さく頷いた。差し出された青年の手を取り、二人でゆっくりと歩き出す。
緩やかなウェーブのかかった漆黒の髪を青いリボンでポニーテールにし、燃えるように赤い瞳の少女がエイレンティア・ルーン・アンブローズ。
白銀の長い髪を赤い髪留めで一つに束ね、澄み切った青い瞳の青年がセオドリーク・ルーン・オルブライト。
対照的な色を持つ二人はそれぞれ「緋色の魔女」、「守護の魔法使い」と呼ばれ、師弟であり家族でもあった。
◇◇◇
「人が多いですし、はぐれないでくださいね」
「は、はいなのですっ!」
がやがやと賑やかな人込みに紛れながら、二人は城下町を歩く。森に引き篭もって生活している二人も、一ヶ月に一度だけ街に下りる。エイレンティアが作り溜めた薬を売り、必要なものを買い揃えるためだ。
国に仕える国家魔法師である二人は、多額の研究費を受け取ってはいる。が各自半分ずつ孤児院などに寄付しており、セオドリークの残り半分は手をつけずそのまま残していた。そのためエイレンティアの残り半分と薬を売ったお金で――ありえないほどの安価で提供しているため大した額ではないが――やりくりしているのだ。当初はセオドリークも生活費を出すと強く主張したが、弟子として迎えたのはわたしなのだからだめです、とエイレンティアが断固として譲らなかった結果である。
「セオはすごいのです……」
「凄い? 私がですか?」
突如ぽつりと呟いたエイレンティアに、セオドリークは不思議そうに聞き返す。
「だってすれ違った女性がみんな顔を赤くしてます。セオがかっこいいからでしょう?」
「そうですか? 女性のみではない気がしますが……」
「そ、そうなのですっ。うう、わたしはどう思われているのでしょうか……。セオにくっつくお邪魔虫でしょうか? あ、でもわたし子供だから……あうう、何でわたしこんなに幼いんでしょう」
段々と話が逸れているのはセオドリークも気付いていたものの、外見は彼女のコンプレックスの一つでもあると知っていた。下手に口を挟むのは良くないだろうと最後まで聞く事にしている。真剣に受け止め、笑ったり馬鹿にしたりもしない。
「私はお師匠さまがどんなお姿でも変わらずお慕いしていますよ。私の隣にいて欲しい女性は貴方だけです」
「で、でもわたしセオより年上ですのにっ」
セオドリークの熱烈な告白をさらりと流してしまったエイレンティアは、自分で口にした事実に余計沈む。
強い魔力を宿す者は総じて寿命が長く、セオドリークですら既に五十年以上は生きている。当然、百年前の大戦に参加していたエイレンティアは更に長い時を生きていた。しかしセオドリークの外見年齢が二十歳前後なのに対し、エイレンティアは精々十歳程度にしか見えない。この場合、疑問が残るのはエイレンティアの方だった。多少の個人差はあるが、大体は二十歳前後で成長が急激に遅くなるためだ。幻覚魔法を使用している者を除いて、他の国家魔法師達も皆同程度の外見年齢である。
「うう……セオがわたしよりちっちゃかった時期はほんの数年だなんて……ひどいのです」
「毎日大きくなりたいと願っていた成果かもしれませんね」
幼少時のセオドリークは、エイレンティアよりも随分と身長が低かった。父も高い方ではなかったため遺伝もあるだろうが、置かれていた環境が良くなかったのも大きな原因なのだと思う。そのせいでエイレンティアに子供扱いされるのが悔しくて、毎日欠かさずミルクを飲んでいたのは今となっては懐かしい思い出の一つである。
「セオは長身に憧れてたのです? どんな外見でも、セオはセオなのですよ」
「ほら」
優しい声で返され、エイレンティアは首を傾げる。何がほらなのか分からなかったのだ。見上げた先にあったセオドリークは、どこまでも穏やかに微笑んでいた。
「お師匠さまもそうですよ」
諭すように、慰めるように、まるで愛を囁くかのように、彼は言った。そこには優しさしか感じられない。彼の言葉はエイレンティアの胸にじんわりと溶け、ほのかな熱をもたらす。
「セオはずるいのです……」
「私にしてみればお師匠さまの方がずっとずるいですよ?」
「そ、そんなことはないのですっ!」
「では、どちらもずるくないという事でいきましょうか?」
そう問いかけてくるセオドリークはどことなく楽しそうで、普段よりも幼く見えた。結局いつも返す言葉を失くしてしまうのは、エイレンティアの方だ。
――――やっぱりセオはずるいのです。そうやってわたしを甘やかすから、あなたの手をいつまでも離せないのです。
◇◇◇
魔女が作る薬は、本来ならば平民には到底渡らない代物である。手間隙がかかり、材料にも貴重なものが多々使われているのと、人間嫌いをこじらせた者が大半で金になる貴族相手にしか売ろうとしないからだ。平民に手を差し伸べる魔女など滅多にいない。だがエイレンティアはその「滅多にいない」枠に入っていた。素性を詮索しない事を条件に馴染みの薬屋に卸し、体調が悪そうな人を見つければ捨て値で売っている。今日の分も早々と売り終わり、涙を流す勢いで礼を繰り返す人々に笑顔で別れを告げた。彼らは腕のいい薬師から買っているのだと思い、それがまさか魔女の薬だとは考えもしていないだろう。フルネームは名乗らず「ティア」「セオ」という愛称を使用しているのもあって、孤児院の経営者達もどこかの貴族が寄付してくれているくらいしにか考えていないに違いない。
緋色の魔女と守護の魔法使いという異名自体は、国民達の間に幅広く知れ渡っている。しかし表舞台に立とうとはしない二人は世間に知られている部分が少なく、噂だけが先走っているために実際の人物と結びつけるのは難しい。ローブは着ずにペンダントを隠してしまえば、二人に気付く者はほぼいなかった。名を振りかざす気などないエイレンティアはそれでいいと思っていたし、権力に興味のないセオドリークも彼女の意を汲むだけだ。
「大方の用事は終わりましたし、別行動にしましょう。一時間後に中央広場の噴水前でよろしいですか?」
「はいっ」
「では、これを。使う事がないよう願っております」
セオドリークはポケットから銀色のシンプルな懐中時計を取り出し、エイレンティアに手渡す。同様にエイレンティアも花の模様が刻まれた懐中時計をセオドリークに渡した。
「大事に大事にします! 絶対に落としたりしませんっ」
「はい、私もです。ではお師匠さま、また後で」
「はい、またです!」
エイレンティアは大きく手を振り、セオドリークとは逆方向へと足を進める。相手に知られたくない買い物もあるだろうと、毎回自由時間を取るようにしているのだ。
「……本当は、貴方と一時も離れていたくないんですけどね」
小さくなっていく背中を見送りながら青年が零した本音を、少女は知らない。
「さあ、お料理の本を買わなくては! セオにばかり作らせているわけにはいきませんっ」
セオドリークの複雑な心境など欠片も理解していないエイレンティアは、「弟子離れ」するためにと模索する。まずはお料理からです! と意気込み、本屋を目指した。
「でも昔はわたしが作ってたのに……もしかして指摘出来ないほどすごくまずかったんでしょうか……」
当時はぶっきらぼうだった少年は美味しいと素直に褒めてはくれなかったものの、代わりに残さず食べてくれた。失敗した時は「塩入れすぎ」と的確に突っ込んでいてくれたから、何も言わない時は大丈夫なのだと安心していたらいつの間にか食事の支度は全て彼がするようになっていたのだ。今ではエイレンティアがキッチンに立つのはお菓子を作る時のみである。人並みには料理が出来るつもりでいたのだが、自分の勘違いだったのかもしれない。
「うう、セオは優しいからわたしに言えなかったのかも」
わたしって本当にだめだめなお師匠さまです、と深い溜息を吐く。がんばらなくちゃ、と気合を入れた時、どこかから子供の泣き声が聞こえた気がした。
「どこ、です……こっち?」
耳を澄ませ、声がする方を探る。歩調を早めながら、子供の下へ向かっていった。どんどん人通りの多い道を外れていったけれど、気にかけている余裕はない。
エイレンティアは誰も見捨てない。彼女自身も、捨てられた子だったからだ。アンブローズ――それはとうに滅びた貴族の名。次女として生を受けたエイレンティアは、生まれつき膨大な魔力を宿していた。しかしその地方では魔女は忌み嫌われており、少女は実の両親にも愛情をもらえなかった。父親にも母親にも全く似ていない容姿だったのも手伝って、不吉の子と拒絶されたのである。
だから、泣いている子は特に放っておけなかった。誰にも振り返ってもらえない寂しさを知っているから。
「みつけた、のです」
エイレンティアが声をかけると、涙を溜めた少年は目を丸くした。そばかすの残る幼めの顔立ちから見て、大体七、八歳ほどだろうか。こげ茶の髪と瞳に、黒のキャスケット。こけてしまったのか、サスペンダー付きのズボンは膝の部分が汚れている。
「お、おねえちゃんだれ……?」
「ああっ怪しいものではないのです! えーとえーと、わたしは悩めるひとの味方なのです! どうして泣いているのか、おねえちゃんに話してみるといいのですよ」
我ながらこの台詞は微妙なのでは、と内心焦りつつ、怯える姿に幼少のセオドリークを重ねてしまう。彼は誰が自分の味方なのか、探っているのだ。出来る限り怖がらせないように、敵意はないのだと証明するしかない。
「ぼくの、味方……? ほんと……?」
「はい、もちろんなのです!」
にこっ、と笑う。不信感を隠そうとしなかった少年も、年頃のさほど変わらないエイレンティアに安心したのかすぐに警戒心を解き、必死に訴え始める。
「お、おねえちゃんがっジェシーお姉ちゃんがいきなりいなくなって……! どれだけ探しても見つからないんだ……!」
「いなくなった、ですか? どういう状況だったのか、詳しく説明できます?」
てっきり少年が迷子になったのだと思っていたため、その口振りにエイレンティアは不可解そうに尋ねる。
「お母さんにたのまれて、お姉ちゃんと買い物してたんだ。それで、遠くにクレープ屋さんがみえたから、一緒に食べようよって振り返ったらお姉ちゃんがいなくなってて……!」
(はぐれた側の子供が親や兄妹のせいにする、というのはよくあるケースだって聞いたことありますけど、そういうわけでもなさそうなのです)
これは予想以上に大事かもしれない、と一抹の懸念が胸を過ぎったが、極力表情には出さないように努めた。むやみに少年の不安感を煽るべきではない。
「だいじょうぶ。お姉さんはわたしが必ず見つけ出します」
笑みを浮かべて力強く言い切り、両手をそっと少年の肩に置く。自分と同じ子供に何が出来るのかと疑っているのか、目をぱちくりさせた彼は気にせず質問を続けた。
「さて、まずはきちんと知ることからですね。あなたのお名前はなんというのです? わたしはティアですよ」
「あ……えっと、アレン……。アレン・ブレイン」
「アレンくんですね、おっけーです! おねえさんはジェシーさんですか?」
「ううん、本当はジェシカっていうんだよ。ジェシカ・ブレイン」
「ジェシカさんですね、了解なのですっ。アレンくん、ジェシカさんが日頃見つけてたものとか持ってたりしませんか? あれば探しやすくなるのですけど……」
「え、えっと、ちょっと待ってね。これでいい?」
少年はポケットからリボンを取り出し、エイレンティアに見せる。桃色の、先端にレースがついた可愛らしいデザインだ。聞けば、姉を探している最中で見つけたのを拾っておいたのだという。
「充分なのですよ。お借りしてもいいです?」
「うん、でもこれでどうやってジェシーお姉ちゃんを見つけるの……?」
「大丈夫、わたしは魔女ですもん。――対象者、ジェシカ・ブレイン。探知、追跡せよ」
リボンを受け取ったエイレンティアが囁くと、リボンがふわりと宙に浮く。持ち主の行き先を教えるようにしてゆらゆらと別方向に動き出した。
「わあ、すごい!」
「この先にお姉さんがいるはずなのです。わたしが追いかけますから、アレンくんはお家に帰ってジェシカさんを待っていてくださいね」
「えっ、ぼくも行く!」
「だめです。ね、お家に帰りなさい」
はっきりと断り、人差し指をアレンの額に当てる。淡い光が発するのと同時に、少年のこげ茶の瞳がかすかに曇ったのは、エイレンティアにしか分からない。
「うん、ぼくは先に戻ってジェシーお姉ちゃんを待ってるね」
「そうです、アレンは良い子です」
「じゃあ、ぼくは行くね」
「ええ、いってらっしゃい」
手を振るアレンに笑い返し、彼が見えなくなると人知れず溜息をついた。
「この類の魔法は使いたくないのですけど……時と場合によります、よね」
ここにセオドリークがいればきっと賛同してくれるはず、と一瞬考えて、振り払うようにぶんぶんと首を振る。依存してはいられない、彼がいない事に慣れなくてはいけないのだと言い聞かせて。
「さあ、しっかりしなくてはっ」
リボンを追って、エイレンティアは走り出す。その行動こそが彼を傷つけるのだとはまだ気付かずに。