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01 お師匠さまと弟子の日常 ★

挿絵(By みてみん)

 敵は当然の事、味方にすら恐れられた一人の魔女がいる。百年前に隣国との間で起こった大戦において数多の兵を薙ぎ払い、終戦へと導いた存在だ。


 魔女は他者を寄せ付けない圧倒的な力を持っていた。誰よりも強く、誰よりも人の命を奪った。誰よりも美しかった。血を連想させる魔女の瞳の色と、魔女の得意魔法が炎であった事から、彼女は畏怖と敬意を込めてこう呼ばれる。


 緋色の魔女、と。


「きゃああああ!」


 麗らかな午後。一人の少女のか弱い悲鳴が、森の奥にひっそりと建てられた家中に響き渡る。


「お師匠さま、エイレンティアさまっ! いかがなさいました!?」

「せ、せお……っ」


 少女は、ドアを壊しかねない勢いで現れた青年に状況を説明しようとする。しかし震える声では上手く伝えられず、先に察した青年は少女を自分の背に庇う。腰から短剣を引き抜いて的を定め、目にも留まらぬ速さで壁に向かって投げつけた。


 見事に心臓を貫かれた毒蜘蛛は、呆気なく絶命する。無表情で見届けた青年は短い詠唱を紡いで跡形もなく燃やした。短剣を回収するついでに修復魔法も使用し、刺さった跡すら消してみせる。ここに至るまで、所要時間はほんの僅か。流れるように完成された動きだった。


「お師匠さま、もう大丈夫ですよ」

「ほ、ほんとうですか……? どこにもいないですか……?」

「私はお師匠さまに嘘をついた事などありませんよ?」

「い、いえっ断じてセオを疑っているわけではないのですっ! た、ただまだいたらどうしようって思っただけで……っ」


 しどろもどろになりながらも弁解する少女に、青年はふふと笑う。


「分かっています。お師匠さまはお優しい方ですからね。ほら、いないでしょう?」


 穏やかな声を信じて、少女は彼の大きな背中から恐る恐る顔を出す。彼が言った通り生き物がいた形跡もなく、ほっと胸を撫で下ろした。蜘蛛自体が苦手なわけではないのだが、紫色をしたいかにも毒があります! といった見た目の巨大な蜘蛛が突如目の前に下りてきたのでは叫ばずにはいられなかったのだ。


「ありがとうございました、セオ。え、あれ、でもっ。セオ、もしかしてさっき魔法使ってましたです?」

「はい。私が使うものですので、初級もいいところですが」

「ご、ご、ごめんなさい……っ! 本当ならわたしが守らないといけませんのにっ。そうですよね、魔法を使えばよかったのですっ。なのにわたしったらそんなことにも気付かずセオに手間をかけさせて……っ。あうう、お師匠さま失格なのです……」


 とうとう大粒の涙を零し始めてしまった少女に、青年は困った風に眉を下げる。膝をついてしゃがみこむと、長い指で少女の涙を掬った。少女が泣き止むまで、何度も、何度も。


「お師匠さまは、びっくりしてしまったんですよね。私はお師匠さまの声を聞いて何かあったに違いないと心構えをしていたおかげで対処出来たんですよ。逆の立場なら、お師匠さまは私を助けてくださるでしょう?」

「そ、それはもちろんです! 当たり前です!」

「ね、助け合いですよ。ですのでどうか泣き止んでください。貴方の涙を見るのは辛いんです」


 辛い、と心底切実そうに言われ、少女は必死に心を落ち着かせようとする。健気なその姿はなんともいじらしく、青年は少女の頬をそっと愛おしげに撫で、少女もくすぐったそうに受け入れた。泣き止んだ後、二人で微笑み合う。


「丁度いい時間ですし、ティータイムにするのはどうでしょうか?」

「はいっ! 今日はですね、ラズルの実でパイを焼いてみたのですっ」

「それでお師匠さまから甘い匂いがするのですね。楽しみです」


 立ち上がった青年に手を差し出され、少女は極自然な仕草で彼の手を取る。まるで恋人のように、夫婦のように、兄妹のように、或いはその全てかのように深い慈しみを持って、二人は歩き出した。しかし、二人の間柄を示すのに最適な言葉はこの中にはない。


 少女の名はエイレンティア・ルーン・アンブローズ。青年の名はセオドリーク・ルーン・オルブライト。国に認められた者のみが名乗るのを許されるルーンの名を与えられた魔女と魔法使いの正しい関係は、「師弟」であった。


◇◇◇


 ああ、可愛い。本当に可愛い。既に何十回、何百回、何千回と繰り返してきた言葉を、セオドリークは今日も噛み締める。小さな口に甘いお菓子を含む彼女は、それはもう目に入れても痛くないほどに可愛らしい。時折不安げにこちらを見る彼女に「とても美味しいです」と嘘偽りない賛辞を述べれば、薄っすらと頬を染めてはにかんでくれる。これを幸せと呼ばずして、何と呼ぶ? セオドリークはつい緩んでしまいそうになる自分の顔を引き締めながら、彼女のペースに合わせてゆっくりとパイを口に運んだ。


 何ものにも代え難い、大切な時間。彼女とこうして一緒にいられるようになって、何十年が過ぎただろうか。その間、彼女の容姿に変化はない。


 闇を思わせる艶やかな黒髪は緩やかに波打ち、青いリボンによって高い位置で結ばれている。血を連想させる瞳は零れ落ちんばかりに大きく、いつも自信なさげにしているためか恐ろしい印象は全く抱かせない。真珠のように透き通った肌も、すっと通った鼻も、形の良い桜色の唇も、彼女を「可憐な美少女」という枠に当てはめるだけだ。彼女が着れば清楚なワンピースにも見える真っ白なローブと、魔女の証である中央に三日月を象った魔方陣のペンダントがなければ、貴族のお嬢様だと言っても誰一人として信じて疑わないに違いない。


 十歳程度の可憐な美少女が「緋色の魔女」本人なのだとは、まさか誰も信じないだろうが。


 エイレンティア・ルーン・アンブローズ。攻撃魔法を使わせれば右に出る者はいないとまで言われる、優れた魔女。英雄と崇められ、大戦から百年経っても尚語り継がれる、その人。


 しかし普段の彼女は非常に温厚的で、弟子であるセオドリークにも気遣いを持って接する。人を見下したり傲慢な態度を取る魔女や魔法使いが多い中、極めて珍しい性格の持ち主だった。とはいえ、人目を避けて森の奥にある今にも崩れ落ちそうな家で自給自足をしていた人である。 それを考えればやはり戦場を生き残った逞しい女性というべきなのだが、とてもそうは見えない。原因は言うまでもなく、この外見と言動だろう。


「あなた、ひどい怪我ですっ! あうう、わたし治癒魔法はほとんど使えないのです……っお家に帰って手当てしないとっ」


 まだ幼い頃、母親に捨てられた森で魔物に襲われ、生き倒れていたところを彼女に助けられたセオドリークでもしばらくの間半信半疑だったのだから。しかも実は当時でさえ六十歳を超えていただなんて、何の冗談かと思ったものだ。強い魔力を宿す者は総じて寿命が長いのだと説明されても、簡単に受け入れられるものではなかった。身を守れるようにと魔法を教えられ、自分も彼女と同じく成長が遅いのを実感してからは、納得するしかなくなったけれども。


「今日も美味しかったです、お師匠さま」

「セオが淹れてくれる紅茶も美味しかったのですっ。どうやったらこの味が出るのか不思議なのです」

「ふふ、ちょっとしたコツがあるんですよ」

「コツ、ですか!? それはなんでしょうかっ」

「秘密ですよ、お師匠さま。バラしてしまったら私がお師匠さまのために出来る事が減ってしまいます」


 詳細を話してしまえば、ほぼ間違いなく、いや確実にセオドリークのためにとお茶を淹れてくれるようになるのが目に見えている。それはそれで嬉しいものだが、セオドリークは彼女に尽くしていたかった。昔彼女に命を救われた者として、弟子として、そして――――。


「……減ったほうがいいのです」

「お師匠さま?」

「い、いいえっ。なんでもないのです! お皿、片付けますっ」


 貴方は一体何を悩んでいるのですか。その問いは、ばたばたとキッチンへ向かっていた彼女には届かなかった。


◇◇◇


 セオドリーク・ルーン・オルブライトは実に良く出来た子だとエイレンティアは常々思う。


 赤い髪留めで一つに結ばれた白銀の長い髪、高級なサファイアを想像させる澄んだ青い瞳、優しげな目元、低すぎず高すぎない柔らかな声。幼い頃から戦場に身を置き、長い間森に引き篭もっているエイレンティアは外見の美醜には疎かったものの、彼が整った顔立ちをしているくらいは分かる。街を歩けば、女性の視線が痛いまでに突き刺さるからだ。また彼は攻撃魔法が得意ではないという理由で体を鍛えており、細身ながらも引き締まった体つきをしている。剣の腕は騎士団でも高く評価されていたのだと聞く。それでいて頭は切れて家事炊事まで完璧ときては、文句の付けどころもない。


 彼との出会いを、忘れた日はない。全身傷だらけで倒れている少年を最初に見つけた時は、息絶えているのかと思ったものだ。それほどまでに、酷い状態だった。埋葬してあげなくてはと彼の腕を掴んだ時、彼が力なく身動きしたのが分かった。――この子は確かに生きてる、でもこのままじゃ危ない! そう判断したエイレンティアは迷いなく転移魔法を使い、彼を自宅に招き入れて治療を施した。


 しかしエイレンティアは、攻撃魔法には長けていたが治癒魔法はさっぱりと言っていいほど使えなかった。そのため次に街に下りたら売ろうと作っておいた魔法薬の数々を躊躇なく使い、三日三晩寝ずに傍にいて面倒を見た。献身的な看病の甲斐もあり少年は無事命を取り留め、日常生活を送れるまでに回復したのである。元気になれば街に送るつもりでいたのだが、身寄りのなかった彼が拒んだのもあって、ならばとエイレンティアは少年を最初で最後の弟子として迎えたのだった。


(振り返ってみても、わたしも大胆な選択をしたものです。うう、そのせいでセオを苦しめてしまうなんて)

 やがて魔法の力に目覚めた少年は、素晴らしい弟子に育った。始めこそ満足に読み書きも出来なかったものの、エイレンティアが教える内容を蕾が水を吸うようにどんどん吸収していき、開花したのである。残念ながら攻撃魔法の才には恵まれなかったが、代わりに防御魔法や治癒魔法を使いこなした。特に防御魔法においては右に出る者はいないとされ、「守護の魔法使い」と誇り高い名で尊敬もされている。こんな場所に留まらせるのは勿体ない逸材。なのに彼が外へ出て行こうとはしないのは自分が頼りないせいだとエイレンティアは考えていた。


 これといって取り柄もない自分。たかだか毒蜘蛛くらいで泣いてしまう弱虫な自分。だから彼はエイレンティアを心配して離れたくても離れられないのだ、師匠として、彼の保護者として、もっとしっかりしなくては! それが最近の彼女の「悩みの正体」だった。彼にしてみれば、思わず溜息をつきたくなる見事な勘違いっぷりだったが。


「お師匠さま、少々お聞きしたい事が……」

「はうぁ!?」


 考え事をしていた最中に話しかけられ、驚いたエイレンティアは手にしていた皿を落としてしまう。ぱりんっ! と食器が割れる音がやけに大きく響いた。


「お怪我はありませんか、お師匠さま!」

「だ、だいじょうぶ、ですっ。あああごめんなさいセオ……っ」

「いえ、私などに謝罪は必要はありませんよ。私が修復魔法をかけますからお師匠さまはお休みに……ああ、お怪我をなさっていますね」


 人差し指に走る切り傷を見つけた彼は、「だ、大丈夫なのですっ!」と慌てて訴えるエイレンティアの言葉は聞かなかった振りをして治癒魔法をかける。人差し指は淡い光で包まれ、光が消える頃にはすっかり傷も癒えていた。


「あ、ありがとなのです。けどいくらわたしでもこの程度なら治せますのに……」

「駄目です。跡が残るかもしれないでしょう」


 それはつまり、治癒魔法が下手だと貶してるも同義である。間違ってはいない、いないのだが、エイレンティアが落ち込んでしまうのも当然だった。しょぼん、と項垂れた少女の白く儚い手を、セオドリークは自身の両手で包み込む。


「私は貴方が大事なんです。行く当てもない私を助けてくださった貴方のために出来る事があるのなら、これ以上の幸福はありません」


 真剣な声音で紡がれたそれはまるで、愛の告白。熱の篭った眼差しを向けられたのがエイレンティア以外の女性ならば、うっとりと見惚れているだろう。が平静を取り戻したエイレンティアは、花が綻ぶように微笑んだ。


「わたしも貴方が大事なのですよ、セオ」


 言っている内容こそ似通って聞こえるが、込められた想いはどこまでも交わっていない。その事に気付いているのはセオドリークだけだ。


「ティア……俺はそうじゃなくて、」

「それにセオは色んなことをしてくれてます。お料理もお掃除も畑のお世話までしてもらって、何度お礼を言っても足りないのです。結界だって本来はわたしが張るべきものですのに、セオのおかげで魔物の侵入はなくなった上に国の使いの方しか森に入れないようにしてくれました。ありがとう、セオ」


 最愛の人にここまで純粋に感謝され、セオドリークが反論出来るわけもない。そんな彼の心の中でだけ否定するのなら、彼は決して聖人ではなかった。そもそも防御魔法に特化したのもエイレンティアを守りたかったからだし、昔は荒れていた性格を矯正して家事炊事に励んだのも、エイレンティアに自分は役に立つと知ってもらって傍に置いてもらいたかったからだ。


 セオドリークにとって、エイレンティアが世界の全て。彼女がいてくれるなら後はどうでもいい。地位も名誉も何の価値もない。この箱庭で、いつまでも彼女と過ごしていたい。その願いが、いつか叶えばいい。


「私には、身に余るお言葉です。ですが、有難く頂戴致します。……ありがとう、ございます。お師匠さま」

「はい!」


 ああ今日も負けた……と肩を落としながらも、セオドリークは幸せで満たされていた。


 訳有りの少女と、少女以上に曲者かもしれない青年のすれ違いの日々はまだまだ終わりを見せない。

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