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16 少年の悩ましき日々

 バカップル、とはこの夫婦の事を言うんだろうと少年はしみじみと思う。


「はいアイリ、あーん」

「あなたもあーん」

「うん、おいしい。アイリの料理は世界一だね!」

「ふふ、食べてくれる人がいるから頑張れるのよー」


 ……誰か、なんとかしてくれないだろうか。これが新婚ほやほやならばまだ我慢も出来る。ああそういう時期なのね、でスルーすればいい。だが結婚してからもう十五年も経つというのに、朝も昼も夜もずっとこの調子なのだ。十五年も見続けてるんだから慣れれば? と言う人もいるかもしれない。しかし、既に慣れた状態で「他所でやれ」と思う場合はどうすればいいのだろう。


「母さん、おかわり」

「はあーい。リンくん、成長期なんだからいっぱい食べてねー!」


 朝からいちゃつく夫婦を前に、もくもくと朝食を取る自分は充分にたくましいと思うわけである。二人の知人は「見てるだけでお腹いっぱい……」と二人と食事するのを嫌がっていたのだから。まあつまり、本当誰かどうにかしろ。


「清々しいくらいよく食べるねえ。若いっていいなー」

「おっさんくさい。俺はアンタより身長欲しいし」

「うぅ、アイリ、リンくんがいじめるよぉ。ぼくだって好きで小さいわけじゃないのにーっ」

「あらあら、わたしは好きよー? だってわたしと目線があまり変わらないっていうのは、二人で同じ世界が見られるってことだもの」

「アイリだいすきー! そうだよね、高すぎたらアイリ見下ろしちゃうもんね!」


 ……今のは喜ぶところなのか? 母には何の悪気もないのだろうが、男としては微妙な褒め言葉じゃないのか。血の繋がった実の父親ながら訳がわからん、と少年――リンデグレン・イーズデイルは目の前の男を見つめた。


「どしたの、リンくんー。あ、きみもらぶらぶしたい? いいよいいよ、父さんの胸に飛び込んでおいで!」


「はいー!」と腕を広げて待っているこれが王族の側近なのだから、世も末である。この国の筆頭魔法師であるとか、救済の魔法使いと人々に親しまれているだとか、普段の言動だけではそうは見えない。エストレーラ国の国家魔法師の一人、ブルーノ・ルーン・イーズデイルという男は非常に軽すぎる。


「ウザイ、折角のメシが冷める」

「うぅ、父さんに向かってなんてひどいこと言うのー。きみが最初に口にした言葉は「ぱぱ」だったのにぃ!」

「き、気の迷いだろそんなもん!」

「そうそう、おかーさんちょっと嫉妬しちゃったのよねえ。だってリンくんったらお父さんにばかり懐いちゃうんだものー。わたしだってリンくんとらぶらぶしたいわ。リンくん、おかーさんの胸に飛び込んできてもいいのよ?」


 母親、アイリス・イーズデイルは大きなお腹を愛しげに撫でながら、どこか拗ねたようにそんな事を言う。三十一歳とは思えないほど若々しい女性だ。だからこそ、年頃の少年としては色々勘弁してほしいのだが。


「ことわる!! つーかアンタもその腕いい加減どうにかしろよ、とびこまねーから!」

「えぇー。けち」


 けちとかそういう問題か!! リンデグレンは心の底から叫ぶ。バカップルらしく甘々なだけならまだしも、夫婦揃って突っ込みどころが多すぎる。バカップルだからこそ、なのかもしれないけれど。


「つーかそのナリで父さんとか呼ばれるの嫌じゃねーの、普通」


 ブルーノの外見年齢は精々十九歳といったところで、十五になるリンデグレンとそう大差はない。一番古い記憶の中にいる父親も、今と全く同じ容姿をしていた。実に奇妙な話だが強大な魔力を持つ者は寿命が長く、おまけに二十歳前後で成長が急激に遅くなるのだという。そのため、近頃は二人で並ぶと兄弟にしか見られなくなっていた。父さん、と呼ぶと周囲が訝しむようになったのはいつからだっただろうか。


「えぇー? ぼくはいつでも大歓迎だよー? だってリンくんはぼくの大事な大事な息子だからね!」

「ぼくたちの、よー。あなた」

「そっかごめんね、ぼくたちの大事な息子! もちろん、もうすぐ生まれてくる子も大事な娘だよー。ああぼくってしあわせもの」


 幸せの絶頂! とでも言いたげな雰囲気を作り出すこの男は、きっと世間からすれば良い父親なのだろう。妻を何より大切にして浮気などありえないし、息子にも惜しみない愛情を注いでくれる。だが、近頃は苛立って仕方がなかった。――――どこか、現実味に欠けるのだ。


「でもね、幸せって長くは続かないんだよね……。あーあ、行きたくないよぉ。あいつらぼくのことコキ使いすぎー。大体さぁ、ちょっと怪我したくらいじゃ人間死なないってー。怪我してから治すんじゃなくて怪我しないように対処する方がよっぽど有意義だとおもわないー?」

「……アンタいつか不敬罪で捕まるぞ」


 別に間違っちゃいないだろうが、王族相手に対し言い方が悪すぎる。


「リンくんってばつめたーい。ぼくと離れるの寂しくないのー?」

「さっさと行け」


 救済の魔法使い、ブルーノが最も得意とするのは治癒魔法であり、その力は常に頼りにされていた。城に住む事を強く勧められているらしいのだが「めんどくさーい。余計にコキ使われるじゃん」とばっさり断り、貴族街に建てた家からせっせと城に通っているのである。


「……ん?」

「どうしたの? あなた」

「小鳥さんの来訪だねえ」


 機嫌が良さそうに鼻歌を奏でながら、窓を少し開けるブルーノ。するとそこから純白の鳥が入ってきた。


「いらっしゃーい、チルチル」

「チルちゃん、いつもお疲れさま」


 チルル。ブルーノの旧友と言える魔女の使い魔だ。ブルーノと魔女は長い間文通を続けており、その手紙を届けるために時折こうして訪れる。使い魔同士気が合うのかどうなのか、白竜カシェは嬉しそうにチルルとじゃれあっていた。


「ああ、クッキーのレシピのお礼みたいー。アイリにってほら、押し花」

「あらあら、すてき!」

「ん、これなんか魔法がかけてあるね。お守りの類かなー」


 律儀な子だねえ、とぽつりと呟くブルーノはどこまでも優しげな顔をしていた。そんな彼を、リンデグレンは気に食わなそうに睨む。


「……アンタ、そいつとやけに仲良いよな」

「そいつ? ああ、ティアちゃんー? そいつ呼ばわりはやめたといた方がいいよぉ、セオくんがこっわいから」

「んなこと言われても、俺はどっちにも会ったことねぇし」


 彼がティアと呼ぶのが文通相手の魔女、エイレンティア。セオと呼ぶのが魔女の弟子、セオドリーク。幾度となく話を聞かされたため名前くらいはリンデグレンも覚えているが、実際に会った事はなかった。何故かブルーノが会わせたがらないからだ。


「ティアちゃんはかーわいい女の子だよ。いつも自信なさげにしててねえ、色んなことに申し訳なさを感じて日々を生きてる子。で、セオくんは見てて気持ち悪くなるくらいティアちゃんを溺愛しまくってる子ー」


 この男に気持ち悪いと言われるとは余程だな、とリンデグレンは妙に納得する。


「あらあなた、説明が足りないわ。ティアさんもいらっしゃるでしょうー?」

「うんうん、そうだね。ティアちんはねえ、ティアちゃんの中にいる子で、世間が知ってる緋色の魔女は彼女の方だったりしちゃうー。物事にはっきりした子で、あと威厳がすごいかなぁ。でもいい子だよ」

「それが分かんねぇ。二重人格とか、本当にあんの?」


 エイレンティアという少女には、二つの人格が存在しているのだという。正直なところ、とてもではないが信じ難かった。演技ではないと、どうして言い切れるのか。嘘ではないと、どうやって証明するのか。百歩譲って仮に真実であったとしても、受け入れるなど到底無理だ。


「全て作り話だったとしたら、彼女は今頃生きていないだろうね」


 だからまるで。自分だけが知っている風な口振りに反抗心が芽生えるのは当然だと思う。


「リンくん、さっきみたいな言い方はよくないわ。彼女は大きな悩みを抱えながら一生懸命生きてるのよ」

「……母さんだって会ったことないくせに」

「だってほら、きみがうっかりティアちゃんに惚れでもしたらぼく本気でセオくんに殺されかねないしー。びっくりするくらい心狭いんだよ、見た目だけなら温和そうに見えるのにね。もんのすごく格好いいんだけどね、この世の美を詰め込んだって感じなんだけどね、見た目だけなら」


 一体どんな人物なんだ、と疑問ばかりが膨らんでいく。温和そうな美青年でとんでもなく心狭くて気持ち悪いくらい魔女を溺愛? 外見と中身が伴ってなさすぎやしないだろうか。


「あとね、魔女や魔法使いになんて会いたがるもんじゃないよ。人を人とも思わない、その辺に転がってる玩具くらいにしか感じてない奴ばっかなんだから」


 ほとんど見た事もないような真剣な顔で諭され、何も言い返せなくなってしまう。それがなんだか悔しくて、無理やりに捻り出した。声は震えてしまったけれど。


「アンタだって、魔法使いじゃん」

「うん。ぼくなんてまだまだ可愛いほうなんだよぉ。ま、仕方ないんだろうけどね。長い長い年月の中、正常に生きるのはとても困難だ」


 さらりと口にされた言葉が、リンデグレンの胸に重く沈んでいく。結局のところ、ブルーノまたそちら側の人間なのだと思い知らされてしまったからだ。決して、相容れない。


「……母さん、今日も美味しかった」

「あら、もういいの?」

「ん」


 食器を水につけ、自分の部屋に戻っていくリンデグレン。その一部始終を、ブルーノは悩ましげに眺めていた。


「やっぱ反抗期ってやつなのかなぁ。親がうっとうしくなる時期ー?」

「あらあなた、意外と鈍いのねぇ」

「うん? アイリス、それどういう意味ー?」

「ひ・み・つー。こればっかりはわたし、リンくんの味方だもの」

「うううん?」


 はて、何が鈍いというのだろう。首を傾げると、チルルとカシェも揃って首を傾げた。



◇◇◇



「というわけで、最愛の奥さんに鈍いって言われたんですけど、どうしてだと思いますー? 姫」

「さあ、わからないわね。そのままの意味ではありませんか?」

「ぼくどっちかというと鋭いほうだと思うんですけどねぇ。心当たりがなさすぎるんですよねー」


 どうしたもんですかねえ? と尋ねながら、丁寧に整備された庭園で優雅に紅茶を飲む。最高級の一品は、これ以上ないほど美味だ。美味しいのだがしかし、セオドリークが淹れたお茶を飲みたいと恋しくなってくるのだから実に恐ろしい話である。


「男は女心がわからないものだ、とお姉さまが言っていたことがあるのよ。気付かないところで何かしてしまったのではないの?」

「んー、でもそれだと何でリンの味方ってなるのかさっぱりでー。ぼくが十五歳のときって何考えてたかなあ。遠い昔すぎて覚えてないなあ」

「お兄さまに聞いてみる?」

「お気持ちだけ受け取っておきますー。かたぶ……真面目な王子とは性格が違いすぎますから」


 あらそう、とやや残念そうに肩を落とすエストレーラ国の第三王女は、今年七歳になる。言葉遣いこそ丁寧ではあるのだが好奇心旺盛な性分で、お人形遊びより外で遊ぶのを好む少女だった。生傷をいくら作ろうと気にしないのだから周囲の人間が焦り、ブルーノを傍に置かせる事で解決させた。そのうちに彼女もブルーノに懐き、今ではこうしてティータイムに巻き込まれている。


「あれ?」

「どうしたの?」

「いえ大したことでは……やっぱ大したことか。ごめんなさい姫、急用を思い出しましたので御前失礼しますー」


 え? と彼女が声を上げるより先に、その場から姿を消す。主人の突然の帰宅に驚いている使用人達は気に留めず、妻を探して彼女の部屋に入る。ゆったりと椅子に座り、編み物を楽しんでいるようだった。


「アイリス、カシェがどんどん遠ざかっていくんだけど」

「あらあなた、おかえりなさーい。カーくんはリンくんがお世話してたんだけど……いないの?」

「リンが? なるほど、道理で……」

「ええと、呼び戻すことも出来るのよね? そうしたらいいんじゃないかしら」

「ん……そうだね」


 歯切れの悪い返事に、アイリスは違和感を覚える。


「何かあったの?」

「何かあったっていうか、これから起こるかもっていうかー……? 辿ってるルートがね、ちょっとねえ……。はぁ。子供って親の言うこと聞かないもんだよねー」


 やれやれと帰還の言葉を音にしようとしたブルーノだったが、その前にアイリスの人差し指がぴたりと彼の口元にふれた。


「アイリス?」


 どうして、いたずらっ子のように無邪気な顔をしているのだろうか。中々に深刻な空気を醸し出していたはずなんだけどなぁ、と内心では思いつつも最愛の妻はやはりいつでも可愛らしい。もうすぐ二児の母になるというのに、純粋な少女のようなあどけなさが抜けない彼女は見ていて飽きる事がなかった。


「きっとこれはリンくんの冒険なの。男の子は冒険して大きくなるものでしょう? だから、止めちゃダメよ」


 少々世間知らずというかずれているところも、魅力の一つだ。……ってそういう問題じゃない、とブルーノはなんとか現実に引き戻す。


「あのね、アイリス。あの子の今後の人生が全部ひっくり返ってしまうかもしれないんだよ」

「あらあらまあ、それはとても大規模な冒険ね。サンドイッチとか持たせなくて大丈夫だったかしらー? 途中でお腹がすいてしまったらどうしましょう」

「うんまあ、そこは大丈夫だと思うけど。ええとね、だから……」


 もう濁さずに説明するしか手はないのだろうか。しかし、どうしてもためらいが生まれた。自分の息子には平凡な日常を生きて欲しいとブルーノは心から願っているからだ。魔女や魔法使い、王族になど関わる事なく、大好きな人を見つけて子供を授かって最期は周りに惜しまれながら安らかに眠って欲しい。……どうか、何も歪めずに。


「ねぇあなた。リンくんもね、いつまでも無知な子供のままではないのよ。大丈夫」

「アイリス……でもぼくは」

「きっとあの子はね、あの子なりの答えを出しに行ったの。帰ってきたら「おかえり」って出迎えてあげるのも親の役目じゃないかしら」


 ね、と笑う彼女は、慈愛に満ちた立派な母親だ。恐らく、彼女もまたそうやって愛されてきたからこそなのだろう。ブルーノが知らない「温かい家庭」がどんなものなのかを、彼女は知っている。そして伝えてくれる。とても眩しくて、とても愛おしかった。


「……ぼくは良い奥さんをもらったなぁ」

「ふふ、旦那さんに愛してもらえたら、女はいつだって無敵なのよー」



◇◇◇



 しまった、もっと厚着してくるんだった。カシェの背中に乗りながら、リンデグレンは密かに後悔していた。幼い頃から度々カシェに乗せてもらっていたため上空の寒さについては理解していたのだが、ほぼ衝動的な行動であったせいで準備不足は否めない。それにあの頃は父も一緒で、冷えてくるとさり気なく魔法を使ってくれていたから油断していたのだろう。何気ない過去の出来事を思い出して、やはり父は普通の人とは違うのだと改めて考えさせられる。


「カシェ、付き合わせてわりぃな。もう少し頑張ってくれ」


 使い魔には主人の魔力が注がれており、すぐに居場所が分かるようになっているのだという。加え、どこにいても呼び戻せるらしい。だからブルーノも気付いているはずで、何もしてこないという事は黙認してくれたと取っていいのだろう。後から散々に怒られるのかもしれないが。


「……んなこと構ってられるか。俺は黙って言うこと聞けるほど大人しくねぇんだよ、くそ親父」


 知りたい事がある。知らなくてはいけない事がある。聞いても教えてくれないのなら、自分から会いに行くまでだ。


 深い深い森の中、ぽつんと建つ一軒家が見えてくる。想像していたよりもずっと質素な建物だった。たった二人で住んでいるのを考えれば、充分すぎる大きさかもしれないけれど。奥歯を噛み締めて覚悟を決め、降り立つ。



「――――俺はリン・イーズデイル。初めまして」


 どうしても会いたかった、父の旧友の少女は思わず見惚れてしまう美少女だった。顔を会わすなり、弟子に剣を突きつけられたのだけれど。


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