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15 ガラスの靴半分ずつ、わたしと私で(3)

「お師匠様? どうなさいましたか」


 セオドリークは怪訝そうに彼女の視線の先を辿る。クロイツェルと彼の妻……ではない、彼等と親しげに話している男の方だ。短く切り揃えられた藍色の髪、鋭い眼差しを持つアイビーグレイ色の瞳、クロイツェルと並んでも見劣りしない煌びやかな服装。直接話した事はなかったが、見覚えはあった。フェニーチェ国の第四王子、アシュレイ・アルド・フェニーチェ。相手もこちらに気付いたようで、にやりと愉しげに口元を歪めて近付いてくる。


「貴方がアンブローズ女史か。噂など当てにならないものだと思っていたが、あながち外れてもいないのだな」


 品定めするようにエイレンティアを眺めた後、小馬鹿にした口調で投げかける。先程会ったヘルミナも似たような性格だったが、彼女の場合は誰に対しても常にあんな調子で、ここまではっきりとした悪意を込める事はない。セオドリークは内心不愉快に思いながらも、それ以上にエイレンティアの様子が気がかりだった。


「……お初にお目にかかります。エイレンティア・ルーン・アンブローズと申します。こちらは私の弟子です」

「セオドリーク・ルーン・オルブライトと申します」

「ついでにブルーノ・ルーン・イーズデイルでーす。ルーンルーンってなんかくどいねえ。アシュレイ様もそう思いませんかー?」

「くどい、か。中々面白い事を言う」

「さっきまでもう一人いたんですけどねえ。探してきましょーか。くどさ倍増ですよぉ」

「ふむ、誰だ?」


 ブルーノとアシュレイのやり取りは実に気安く、どうやら顔見知りらしかった。


「ヘルミナ・ルーン・ベランジェ様です。ご存知ありませんか?」

「ヘルミナ……ああ、絶世の美女と名高い? それは是非ともお目にかかりたいものだな」

「そうですねえ、確かに美人ではありますけど。性癖に難があるのでオススメしませんよー呪われちゃいますよー」

「ベランジェ様の耳に入ったらイーズデイル様が呪われますよ」

「えー、じゃあ聞かなかったことにしといてください。ぼくには愛する妻と息子ともうすぐ生まれてくる娘が!」


 芝居がかった台詞で場を和ませるブルーノに、セオドリークは心の中で礼を言う。エイレンティアがどこかおかしいのを見抜いた上で話を逸らし、かつ乗ってくれているのだ。そもそも強い呪いをかけるためには対象者の名前が重要になってくるのだから、真名を伏せて生きている上に魔法抵抗も高い国家魔法師にはさほど脅威でもないのである。


「そうか。まあ俺の興味はこのちびっ子に向いているから別にいいがな」


 とはいえ、彼の気遣いが実を結ぶ事はなかったけれども。


「どうだ、我が国へ来ないか? 丁重に迎え入れてやってもいいぞ」

「ご冗談を。貴方を熱く見つめられているご令嬢に仰られてください」

「そうか、貴方が俺を熱く見つめてくれれば解決するな」

「私はこの国を離れるつもりはありません」


 あの子が生まれ育った国だから。その言葉は胸にしまってきっぱりと断る。最初から想定内だったのか、彼の表情に変化はない。侮蔑するような目も依然そのままだ。恐らく、大して取り繕う気もないのだろう。


「惜しいな。後十も成長すれば俺好みだったんだが」

「彼女は今のままでも充分に素敵な女性ですよ、アシュレイ様」


 入れ替わり立ち代り鬱陶しい、とエイレンティアとセオドリークは揃って胸中で悪態つく。リュシアンだけならまだしも、背後にはフィーネリアもくっついていた。セオドリークに会えて嬉しいのか、顔を赤くして見つめ続けている。


「本日はおめでとうございます。お招き頂きまして有難うございます」

「お忙しい中遠路遥々お越し頂き、誠に有難うございます。お会い出来て光栄です」

「お会いするのは何年ぶりでしょうか。大変ご立派になられて、見違えてしまいましたよ。昔話に花を咲かせて、といきたいところですが愛しい人を口説くのに私は邪魔のようだ。……一応健闘を祈っといてはやるが、ロリコンにはなるなよ」

「有難うございます、アッシュ様。ご心配には及びませんよ」


 最後にさりげなくリュシアンの肩を叩いて、彼はその場を後にする。まるで弟にするかのような親密さを見るに、やはりエイレンティアだけが例外のようだった。


「あの、顔色が優れませんが大丈夫でしょうか。彼が何か……?」


 完全にいなくなってから、リュシアンはエイレンティアの体調を気遣って話しかける。


「いえ、ただの世間話です」

「そうですか? それならいいんですけど……えっとあの」

「本日はおめでとうございます、リュシアン殿下。素晴らしい演説に私、聞き惚れてしまいました。こんなにもご立派になられて、陛下も誇りに思われている事でしょう。お召し物も大変よくお似合いです」


 何かを言いかけた彼の言葉を遮るようにして、セオドリークがつらつらと賛辞を述べる。一見するとこれ以上ないほど完璧で、元々は平民の出であるなど誰も信じないだろう。フィーネリアに至ってはもうとろけきっていた。だがしかし、セオドリークが今何を考えているのか大体の予想がついているブルーノは冷ややかすぎる空気に凍えそうだった。三角関係を傍観する分には面白いが、間近で繰り広げられるのは勘弁願いたいところである。


「あ、はい、有難うございます。任務、ご苦労様」


 呆気に取られていたリュシアンだったがすぐに立て直し、凛とした態度でねぎらいの言葉をかける。そして真っ直ぐにエイレンティアを見据えると右手を差し出した。


「一曲、お相手願えませんか」


 音楽が流れ続ける大広間でもよく通る、澄んだ声だった。だが青い瞳は不安げに揺れており、緊張からか汗もかいているようだった。エイレンティアは微かなためらいを捨て、あくまで事務的に答える。


「申し訳ありません。警備中ですので」


 瞬間、会場内がざわめく。パーティーの主役でもある第二王子の誘いを一刀両断したのだから、それも致し方ない事だった。会場内にいる貴族の令嬢であれば大問題である。だがエイレンティアは、正式な仕事以外の全てを拒否出来る権限を持っていた。勿論、王族すらも例外ではない。


「そ、そうですか……」


 しょんぼりと、目に見えて落ち込むリュシアンには垂れ下がった尻尾が見えるような気がした。普段の彼なら、ここで引き下がっていただろう。なんだかんだで分別は弁えた人であるし、仮に誓約がなかったとしてもしつこく迫ったりはしないはずだ。しかし、今回だけは違っていた。


「でもどうしても、貴方と踊りたいんです。あ、えっと無理強いするつもりはなくて……その、出来れば」


 声音は優しげであるものの、焦りが見え隠れしていた。想いでも告げるつもりなのか、結婚してしまう前に思い出を作りたいのか、それとも両方か。何であれ、ここまで懇願されては断りにくいのは確かである。


「申し訳ありませんが」


 そういった事はおかまいなしなのが彼女なのだけれど。


「いえ……私の方こそお仕事中に失礼しました。でも、あの」

「何か」

「一個人として、お願いします。いつか時間を作ってはもらえませんか」

「……分かりました。必ず」

「有難うございます。では、また」


 会釈して、リュシアンは別の招待客に話しかける。フィーネリアもそうしてくれる事を期待したものの、悪い意味で期待を裏切らないのが彼女だった。


「セオドリークさま、わたくしと踊ってくださいませんかっ」


 エイレンティアは「警備中」と断ったのだからセオドリークも同じように返すのは分かりきっているはずなのだが、そんな考えはないようだった。それでも会話に割り込んだりはしなかった辺り、彼女なりに気は遣っているらしい。


「ダンスは少々不慣れなものでして……フィーネリア殿下に恥をかかせるわけにはまいりませんから、申し訳ございませんが今回はご遠慮させて下さい」

「そんなっ。わたくしは気にしませんわよ」

「大切な姫君の足を踏んだとあっては、陛下にも申し訳が立ちません。私が踊れるようになった際にはまたお誘い頂けますか?」


 物柔らかな振る舞いを徹底し、最後に微笑めばフィーネリアは耳まで真っ赤にする。


「は、はいっもちろんですわっ」

「有難うございます。ところでフィーネリア殿下、あちらでバージェス卿がお呼びしているようですよ」

「あら、本当ですわね。では、わたくしは失礼しますわ」


 ご機嫌よう、とリボンとレースだらけのふわふわとしたドレスの袖を持ち上げ、お姫様らしく文句のつけどころもない姿勢で礼をするとその場から立ち去った。王族組が動く度、近衛騎士も後を追う。


「うーん、お見事。リュシアン殿下はちと気の毒な気もするけど」

「足を踏みつけまくるよりマシだろう」

「あれ、ティアちんって踊れないんだっけ。ぼくが手取り足取り指導してあげよーか?」

「いらん。踊れる気もしない」

「ん、そこまでだめなの? じゃああの子はー?」

「踊れますよ。私はあの方に教わりましたから」

「ふぅん。まあ貴族のご令嬢だもんねえ」


 てかやっぱセオくんに出来ないことってなかったんだねーと小さな声で呟かれる。返事はせず、セオドリークはただ微笑み返すだけだった。


「さってと、ぼくもそろそろ戻ろうかなあ。ふたりとも、またね」

「ああ」

「はい、また」

「それとティアちんさ、なんか思うところがあるならセオくんに吐露しときなよ。どうかと思うことは多々あるけど、頼りにならないわけじゃないでしょ」


 珍しくも真剣な顔で言い残されたため、エイレンティアとセオドリークの間に微妙な空気が流れる。


「という事で喋ってはみませんか、お師匠様」

「別に。知人に似ていただけだ」


 誰が、と尋ねる必要はなかった。改めてアシュレイの顔を思い出してみるものの、セオドリークには心当たりがない。彼女の交友関係は恐ろしく狭いし、彼女と自分が出会ってからなら全員知っている自信がある。となると、それ以前の知人だろうか。ブルーノにも分からないようだったから、ずっと昔なのかもしれない。


「……万が一にもないとは思うが、彼女と会わせない方がいい」


 その言葉に、セオドリークは軽く目を見開く。


「何か、あったのですか」

「ここでする話じゃない」


 濁すという事は、彼女にトラウマを植えつけた誰かなのだろう。大戦時代の人物か、家族か、医師か。どれであれ、セオドリークが取る行動は決まっている。


「分かりました。――――絶対に、守ります」



◇◇◇



 夜のひんやりとした風が、森を歩く二人の間を通り抜ける。普段ならば家の前に飛ぶのだが、人込みから来る酔いを冷ますには丁度いいだろうと森の入り口に飛んだのだ。


「ああいう場はどうにも肩が凝るな。服もさっさと脱いでしまいたい気分だ」

「堂々とされていて美しかったですよ。それにとてもよくお似合いですのに、勿体ない」

「皮肉か何かか? くそ、服に着られるから嫌なんだ。コルセットも滅びればいい」


 彼女は眉間に皺を寄せ、袖口のレースをさわる。品がありセンスにも溢れた一着とはいえ、一般的に「可愛い」と分類されるドレスはどうやらお気に召さなかったらしい。


「次回は飾り気を少なく、とお伝えしましょうか? あの方は楽しそうにされていましたけど」

「いや、そこまではいい。ただな、お前、わざと彼女を止めないばかりか勧めているだろうが」

「それはだって、素敵なお師匠様が見たいですし。それにあの方も配慮はされていますよ。黒はあの方は着ませんしね」

「分かっている」


 とは言いつつも割り切れない部分もあるのか、溜息混じりだった。


「……彼女を」

「はい」

「彼女を、あんな嘘と悪意だらけの世界に放り込みたいとは思わない。苦しいだけの服を着なくてもいい。でもそれも必要なのかもしれないと、時々思う」


 自分に行かせて欲しい、と懇望した彼女が思い出される。あの時セオドリークは行かなくてもいいと宥めようとしていたが、しかし同じように迷ったのは確かだった。「いずれあの子が自分の力で乗り越えなきゃならない壁だよ」というブルーノの言葉が頭に過ぎったからだ。


「大勢と触れ合うのは私が担っているから、あの子は成長する場がない。精神が脆い子供のまま、時間が止まってしまっている」


 基本人格以外の誰もが曖昧にしてきた部分だった。それを口にされ、セオドリークは何と返すべきなのか考え込んでしまう。エイレンティアの外見が十歳程度ならば、基本人格の精神年齢も同程度である。百十年以上生きていても、全く変わりはしない。外見年齢に引っ張られている部分もあるとはいえ、やはり異様だ。だがそれも当然の事なのかもしれなかった。彼女が彼女として生きた時間は短いし、外との交流は交代人格が行っていたのだから。


「私はいずれ、あの子の中に還るべきなのだろう。だが、彼女は受け止めきれるのだろうか。現実から目を背けたくて私を生み出したのに、また現実に引き戻されて立ち向かう事は出来るのだろうか」

「貴方はいつもそうやって、自分の気持ちを遠くに置くんですね」

「前に進みたいという彼女の思いは徐々に大きくなっている。だから私も、以前までと違ってすぐには出られなかった。大事にされるべきは、あの子だ。お前も私に深入りするな」

「……承諾出来ません」


 声は震えていた。だが、彼の意思は揺らがない。


「貴方の気持ちはどうなるんですか、シンティア様」


 躊躇する事なく、はっきりと彼女の名を呼ぶ。射抜くような彼女の視線が突き刺さったけれど、引くわけにはいかなかった。セオドリークにとっては、どちらの彼女もかけがえのない存在だからだ。どちらか一方を切り捨てるなどありえないし、したくもない。例えそれが不適切な感情であったとしても、彼女自身に咎められようとも、受け入れる事は出来なかった。


「そんなもの、虚構でしかないよ」


 どうしてそういう言い方をするんですか、と静かな苛立ちが芽生えたけれど、言葉にはならなかった。滅多に表情を和らげたりはしない彼女が、穏やかに笑っていたからだ。


「あの子が幸せでいてくれるならそれでいい。「私」が本当にあるとするのならば、望むのはそれだけだ」

「シンティア様……」

「いい加減に忘れろ。私はエイレンティアでいい」


 彼女は自身の名で呼ばれるのをひどく嫌う。世間からすればエイレンティアにしか見えない女の子が別の名で呼ばれれば周囲が不審がってしまうというのが理由である。基本人格のエイレンティアが日常の中で浮いてしまわないよう、そしてあくまで自分は代わりでしかないのだと言い聞かせるように、セオドリークにも一貫させていた。けれど。


「忘れません。誰が忘れてしまっても、私は覚えています」


 言い切ったセオドリークを一瞥して、「そうか」とだけ返すと歩く速度を早める。

 セオドリークと彼女の距離は、ほんの僅か。だが、二人を隔てる見えない壁がいつまでもそこにあった。

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