第一章/その1 魔女の森
「あんたは行かないんだな」
クルガはにぎわう街の出入口でラギ馬にセフィを乗せながら聞いた。
「すいません…今グランバニル家はセフィのことも含めて仕事が山積みなんです…私が夫の支えにならなければ…」
「そうか」
クルガはセフィの後ろに軽快に乗り上げ、短く承諾した。
「ごめんね…必ず迎えに行くから…」
リオンはラギ馬にちょこんと乗ったセフィを抱きしめた。セフィはそれに答えるようにコクコクと頷く。
メサイヤは街を出てヤシャ草原を抜け、グリンウィッチの森を抜けた先にある。結構な距離がある上、あそこは野盗や獣が多い、擬似太陽が消える前には着きたい。
「行くぞ」
クルガは前に乗せたセフィに囁いたが、警戒はまだ解けていないようだ、顔を強張らせ、不安そうな顔をして母親を見ている。
「それではお願いします」リオンは深々と頭を下げ、クルガに小さな袋を手渡した
「これは?」
どうやら金貨が入っているらしい、ジャラジャラと重々しい音がする。
「路銀の足しにでもしてください、安心してください、報償のお金とは別に、個人的なお金ですから」
「それにしたって多すぎるだろう、受けとれないな」
余計な金は災いのもと、それもルールのひとつだ
「そんな…いいんです…受けとってください…」
あまりにも悲しそうな顔をするのでクルガはため息をついた
「わかった、これは預かっておく」
預かって、を強調しながら、金をズタ袋にいれ、手綱を引いた
「それじゃあな」
「……すいません…」
「……全力は尽くすつもりだ」
リオンはコクリと頷くと、眉を八の字によせ、長いスカートの裾をギュッと握った。何か言いたそうな雰囲気だったが、リオンはただ頷いているばかりだった
「あの…、どうか…お気をつけて…」
吐き出された言葉には力が無く、最後の方の言葉は広場の雑踏の中に消えていってしまう。
「ああ」
リオンの過剰な心配に疑問を感じたが、我が子を案ずる親の愛情と解釈し、クルガはラギ馬を走らせた。
「本当に…本当に…すいま…せん…」
駆けて行く馬を後ろから望みながら、リオンはその場に崩れ落ち、両の手で顔を覆うと、許しを乞うように泣きはらした…
――――――
―――
「ラギ馬ははじめてか?」
セフィははにかんだ笑みを浮かべ、コクリと頷いた。
もうヤシャ草原は半分くらいまで来たか…
クルガは上を見上げた。
どこまでも続く暗い空洞に、辺りを満遍なく照らす擬似太陽がぽつりとある。ネアンクルの街で天井しか見えなかったのは、街全体を半球型のドームが覆い被さっているからだ。その方が熱や光を貯められるため効率が良い、本来のアースヘルの天は、このようにぽっかりと開いた、広がりも、その奥も見えないばかでかい空洞なのである
「あの…」
セフィがここに来てはじめて口を開いた。高く愛らしい声だ
「なんだ」
「あなたにはご両親はいないのですか…?」
後ろを振り返って見上げるクルガの顔には迫力がある、セフィの声は少しばかり震えていた。
「いないな、随分前に死んだ、だがどうしてそんなことを聞く?」
セフィは悲しそうにうつむくと、やっと聞こえるような声で呟いた
「私と…同じ目をしてるから…」
「目?」
セフィが頷く
「あたしには…優しいお父さんやお母さんがいるけど…この角があるせいで…」
そう言って、細い髪の毛の隙間から生えた二本の角を摩った、この角だけで人間とは一線を逸している、という証明となる
「おじさんもあたしと同じ感じがするんだ…」
「……」
クルガは黙り込んだ、確かにそうかもしれない…俺は…
「あ、森が見えてきましたよ」
クルガは我に返るとラギ馬をとめた。うっそうと茂る木々が目の前に広がる、森の出入口には看板がたっていた
「グリンウィッチか…」
確かに魔女でもでてきそうな森である、まだ昼間だというのに中は深淵の黒に染まっていた。
「ここからは歩きで行く、大丈夫か?」
クルガはセフィを抱え、ラギ馬から降ろすと、ラギ馬を看板につないだ。
「はい、大丈夫です…」
セフィはクルガの手を握り、勇んで頷いた。
「森は暗い、離れるな」
クルガとセフィはグリンウィッチの森へ入っていった。
グリンウィッチははるか昔から今の深緑生い茂る姿だったと言われている、その神がかった姿からグリンウィッチ、深緑の魔女という名がついたらしい。実際に魔女を見たという噂が絶えないため、恐れをなして人々はあまり近寄りたがらない、メサイヤに向かうのに利用するためだけに使うルートなのである
「そろそろ消灯の時間だな…」
クルガが懐中太陽計をみながら呟く、この計測器で擬似太陽の沈む(消える)時間がわかる。クルガ一人ならすでにメサイヤに着いているところなのだが、セフィが途中で足をくじいたり、葉で腕を切ったりしたので、ゆっくりと慎重に進むしかなかった
「はぁ…はぁ…ごめん…なさい…」
息を荒げながらセフィは懸命にクルガについてきた。そろそろ体力の限界だろう
「今日はここで休む、明日の朝出発した方が良さそうだ」
と、太陽計を見た瞬間、擬似太陽がオフになったらしい、辺りが暗さを増した。
それを確認すると、クルガはセフィに水筒を渡し、薪を集め火をくべた、次に、ズタ袋から野宿の道具を手際よく出すと、あっけに取られるセフィをよそに、どさりと敷き布の上に腰をおろした
「見せてみろ」
「え?」
クルガはセフィの腕をとると、持って来た薬を塗りつけ、慣れた手つきで包帯を巻いた。
「っつ…!」
「痛むか?」
「だ、大丈夫です」
クルガは、そうかと短く呟くと、持って来た軽食を手渡し、力をつけておけ、と遠慮するセフィに食べるよう促した
「……すいません」
パチパチと音をたてて燃える炎の前で、膝を抱えながらセフィが呟く
「貴族のお嬢さんがここまでついて来れれば上出来だ」
クルガは消えかけた火に薪をくべた。しかし何度来ても不気味な森だ。虫の鳴き声ひとつしない。
「今日は疲れただろう、明日は早いぞ、もう寝ろ」
そう言って毛布を投げると、セフィは慣れない手つきでそれを広げた。
「あの……」
セフィは頬を赤らめ、毛布で顔半分を隠しながらもじもじしている
「なんだ?」
「その…もう少し近くで寝ても良いですか…?」
セフィが言いにくそうにぼそぼそと呟く、まあ考えてみれば10歳やそこらの子どもだ、こんなところでは心細くなるのも無理はない
「好きにしろ」
クルガがぶっきらぼうに言うと、セフィはいそいそとクルガに寄り添い、毛布を被った。しばらくすると、スースーと桃色の唇から呼気がもれる。
「ふぅ…」
クルガはため息をつくと、きっと表情を変え、静かに唸った。
「いいかげんでてきたらどうだ?」
森は静寂を保ったままだ
「…まあいい、だが俺は隙など見せん、人間観察が好きならネアンクルにでも行くんだな」
辺りのしげみがざわざわと揺れる。
「なんでわかった?え?」
獣の皮を被り、鉞をかついだリーダー格の男ががなりたてた。
「気づかれていないとでも思っていたのか?」
次々としげみから野盗が現れる、1、2、3、4……7人か…
いずれの野盗も汚らしい笑みを浮かべ、自分達の獲物を見据えていた
「くくく、お前傭兵かなにかか?人殺しの目をしてるぜ?俺と同じな」
野盗のリーダーが下卑た笑い声をあげると、クルガはピクリと反応した
「気が変わった」
「あ?」
余裕の笑みを浮かべて野盗が睨む。
「そのまま消えれば逃がそうと思ったが、来い、少しだけ遊んでやる」
「ほざけっ!」
リーダー格の男が指示を出すと、野盗達が一斉にクルガに飛びかかった
――――――
―――
擬似太陽が朝の点灯を開始したらしい、少しばかり差し込む光でセフィは目を覚ました。寄り添って寝てたはずのクルガは反対を向き、どうやら朝食の準備をしているようだ
「ふぁ…おはようございます…」
セフィは目をぐしぐしやりながらクルガに言った、クルガは短く返事をすると温かいお茶をセフィに差し出した
「あ、ありがとうございます」
お茶をすすりながら何の気なしに自分の後ろを見て、口に含んだお茶を危うく吹き出しそうになった
「こ、これ…」
セフィの後ろには7人くらいの男が仲良くぼろきれのように山積みされていた。あーうー、とうめいているから死んではいないらしい。
「口ほどにもないってのはこういうことだな」
クルガは、ははっと笑うとセフィにスープを渡した。
「それを飲み終わったら行くぞ、そいつらみたいなやつらはうじゃうじゃいるからな」
セフィはわけもわからないままコクコク頷くと、もう一度野盗の山を見た、みなしたたかに殴られ、顔面は情けなく腫れて上がっている。あれ?セフィは違和感を感じた
「その…銃は使わないのですか……」
クルガのスプーンの動きがピタリと止まる。
「あ!いえ、ちょっと気になっただけで…、あの答えたくないことならいいんです!」
セフィがあわてて手を振ると、クルガは高くそびえる木々の合間を見上げ、呟いた。
「使うまでもなかった…それだけのことだ…」
クルガがその場から今にも消えてしまいそうで、セフィは思わずクルガの袖を掴んだ。
「さぁ、そろそろ行こう」
「あ、はい…」
身支度を整え、道具をかたすと、二人は再び魔女の森を歩いていった
しばらく歩いてゆくと、看板が見えた、あと少しだ。
「もう少しで抜けられる」
「はぁ…はぁ…、はい…」
セフィは中腰になり、顔を真っ赤にさせて喘いでいた
クルガは小さくため息を漏らし、セフィの腕を引っ張ると、背中におぶった
「あ、あのっ!そんな!」
真っ赤な顔をさらに真っ赤にさせ、しどろもどろになりながらセフィがあわてる
「早く着きたいんでな」
クルガは相変わらずな無愛想で呟くと、積もり積もった腐養土を踏み締め、先に進んだ
30分くらい歩いただろうか、遠くに、一際輝く森の出口が見えた。
「お待ちなさい」
ほっとするのもつかの間、どこからともなく声がする
「誰だ」
クルガはセフィを背中から降ろし、身構えた。
「私は水のミルラ…」
「私は木のローネ…」
いつのまにかクルガの目の前に二人の女が立っている、二人ともキラキラ光る祭事のような装飾品を身につけ、清らかなベールをまとっている。ミルラと名乗った女は長く青磁のような髪をなびかせ、もう一人のローネという方は薄緑色の短い髪を揺らしていた
「この先には」
「行ってはダメ」
交互に淡々と語る様子はさながら機械のようだ
お互いの顔はいずれも神秘的な魅力があり、雪のように白い肌が幻想的だ。顔の区別がつかないほど似ている、双子だろうか
「何を言っている」
クルガは二人の女を睨みつけた。ミルラとローネはそれに物おじもせずに、続ける
「万物を創造する五行がひとつ水、ミルラ」
「万物を創造する五行がひとつ木、ローネ」
クルガの質問を無視し、ぼうっと開けた二重の瞳をたたえ、呟く。セフィはクルガの後ろに隠れていた。
「忠告はしました、ローネ」
「はい、姉さま」
二人は顔を見合わせ、再びクルガを見ると、今度は同時に喋り出す。
『あなたはどうかしら?五行のひとつ?それとも…』
途端、二人は木葉に巻かれ、それがおさまると、跡形もなく消えてしまった。
「……あれが魔女か?」
クルガは緊張を解くと、セフィを見つめた。わずかに体を震わせている
「あの…ミルラとローネって…」
おそるおそるクルガの顔をのぞきこみながら、セフィが呟く
「ああ、どっちもアースヘル七国家の名前だ」
クルガはしばらく考えたが、まるで意味がわからない、それより今はメサイヤへ行くことが先決だ
もう森の出口はすぐそこにある