婚約破棄された風紀委員長は洗練の魔法にかかる
「いつも口うるさいな、カロリーヌは!」
手ひどい罵声を浴びせられた。
学園のホールは、貴族の令嬢や令息であふれかえっている。騎士科の背の高い生徒が面白そうにこちらを覗き込み、淑女科の生徒たちは扇を広げてひそひそと噂し合っている。私と同じ領地経営科の生徒は一様に「またか」と言わんばかりの表情だ。
私の前にいるのは、婚約者のヴィクトル。伯爵家の令息だが、家は借金まみれだ。領地からの収入は良いのだが、ご両親もヴィクトルを始めとした息子や娘たちも、揃って派手に装うことと、大規模なパーティーを開くことが好きなためである。このままでは破産だ、と、お父上が私の父に泣きついて、多額の持参金と引き換えに結婚が決まった。
我が家は同じ伯爵家でも、ヴィクトルの家に比べれば家格は落ちる。しかし領地経営は順調だったし、父も私も質実剛健をモットーに生きている。領民たちに感謝される安い税を保ちつつ、飢饉が来ても数年は持ちこたえられる程度の蓄えができていた。
だがヴィクトルは、この婚約に不満だった。それは私のせいだ。
私のあだ名は「風紀委員長」。はるか昔に廃止された生徒の役職を揶揄するように、そう呼ばれていた。
髪を固く編んでまとめ、化粧はせず、眼鏡をかけて、制服をリボンから靴にいたるまで、隙なくぴしりと着込む。卒業とデビュタントを控え、美しく装う生徒もいる中、私だけは質実剛健を保っていた。
領民から徴収する税金で贅沢をしてはいけない、という思いがあったし、何より四人の弟妹の手本となりたかった。母が跡継ぎの弟を産んですぐに亡くなったので、私は十二歳のときから、母の代わりとなって父の領地経営を手伝いつつ、乳母や家政婦長の手を借りて弟妹を育ててきた。
「常に領民のことを考え、贅沢はせず、自分の役割を考えながら生きる。貴族とはそういうものですよ」
亡き母が、いつも口にしていた言葉だ。私はこの言葉を何より大切にしている。だから学園でも、それを実践してきただけなのだが。
「紅ひとつ引かず、分厚い眼鏡をかけ、女だてらに領地経営科で学び、そのくせ成績は一位ときている。俺を立てるつもりがなくて、生意気だ」
地味に装うから、多額の持参金が用意できたのだけれど。学園の勉強も、すぐに領地経営に役立てられることばかりだから、一生懸命学んでいるだけなのに。
「貴様のような女と人生を共にするなど、地獄でしかない。婚約は破棄させてもらう!」
ヴィクトルはそう言い放った。生徒たちがざわつく。
「落ち着いて、ヴィクトル。婚約を破棄したら、あなたの家の借金はどうなるの?」
「領地からの収入でなんとでもなる! 憲兵のような女に金で買われるなど、まっぴらだ!」
野次馬が集まりはじめた。もう駄目かもしれない。
ヴィクトルのことを愛しているかと聞かれたら、否、と答えるだろう。家同士の決めた結婚に愛はないのが通例だ。だが、父はこの縁談を喜んでいたし、私も嫁いだら、ヴィクトルの家のために、財政の立て直しをはかるつもりだった。それが、こんなことになるなんて。
「憲兵のような女、ねえ?」
突然、背後で声がした。香水の匂いがふわりと漂う。
「僕にはそう見えないけれどな」
レナルドという、子爵家の跡継ぎだった。制服をアレンジして、シャツはオーダーメイドの白絹、上着は流行の細身に作らせている。クラバットには銀のピンを一本だけ留めていて、それがむしろ優雅に見えた。
「なんだ、レナルド。この女に興味があるのか?」
ヴィクトルが気色ばむ。レナルドは柔らかな微笑みを崩さず、ヴィクトルに告げた。
「とても興味深いと思っているよ。美しい女性じゃないか」
「この女が? 馬鹿馬鹿しい。本気でそう思っているのならば、お前にくれてやる!」
ホールの生徒たちのざわめきが、いっそう高くなった。その中をかいくぐるように、ヴィクトルは姿を消す。婚約破棄は確定だ。父に何と言ったらいいのだろう。
途方に暮れていると、レナルドに肩を叩かれた。
「ねえ、ちょっと付き合ってくれない?」
◇◇◇
「まあまあレナルド様、どうなさいましたの、素敵なお嬢さんを連れて」
連れていかれたのは、高級店が立ち並ぶ一画にある小さな店だった。鏡と椅子、そして化粧道具が並んでいて、店主らしい前掛けをした中年の女性が微笑んでいた。
「やあマルグリット。彼女を磨き立てて欲しいんだ。髪をほどいて、柔らかなイメージに結い上げて、うん、そうだ。この前雑誌に出ていた、隣国の流行のスタイルがいい。化粧は僕がするよ」
「ちょっと待ってください」
私は慌てて声をあげた。勝手なことをされては困る。
「綺麗になれるよ?」
「困ります」
なおも抵抗すると、レナルドは困ったような微笑みを浮かべた。
「このサロンは、子爵家で実験的に始めたものなんだ。女性の髪型からドレス、靴や小物にいたるまで全てコーディ―ネイトさせてもらう場所なのだけれど、なかなか貴族の顧客がつかなくてね」
「こんな贅沢なところにお支払いする料金など、持ち合わせておりません」
「料金はいらないよ。ただ、コーディ―ネイトさせてもらえればいいんだ。こんなに美しく変わることができた、という広告代わりになるから」
ぐいぐい来るレナルドに根負けして、私は椅子に腰を下ろした。固く編んだ髪がほどかれて、丁寧にブラッシングされていく。
「制服のブラウスはこれだね。リボンはこの色に変えた方がいい」
カーテンの向こうで着替えさせられる。戻ってくると、レナルドは私の顔をじっくりと見た。
「次は化粧だけれど、まずは眼鏡を外そう」
どきりとした。伊達眼鏡だと、レナルドはなぜ知っているのだろう。
「……眼鏡は、そのままで」
「うん? ダメだよ。君の瞳は素敵じゃないか」
「だって、垂れ目で、まるで子犬みたいで、嫌いなんです」
レナルドは「子犬?」と、笑い出した。
「子犬は可愛いじゃないか。それを引き立てる化粧をさせてよ」
強引に眼鏡を外され、化粧を施されていく。まつ毛の一本一本にまで手間をかけられて、私の顔はどんどん変わっていった。
「さあ、できた」
全身を鏡に映す。私とは思えない美しい女性が、そこにいた。亡き母譲りの亜麻色の髪は、最新流行を少し柔らかい印象に変えた髪型に結われていた。少し大きいのがコンプレックスだった足も、足が痛くならない程度に高くした踵のある靴で、むしろ美しく見えていた。
そして何より驚いたのは、顔だった。「馬鹿な子犬みたいだ」とヴィクトルにからかわれてから、ずっと眼鏡で隠していた瞳が、ぱっちりと可愛らしく引き立てられている。垂れているのを隠さない化粧をしていることが、優しい印象を与えていた。
「うん、いいね。じゃあ、お茶でも飲もう」
レナルドは私の手を取って、サロンの外に出た。向かいにあるカフェに、そのまま連れていかれる。道行く人々も、カフェの客も、皆が私たちを見た。
(お美しいカップルですこと)
(どちらのご令嬢かしら?)
貴婦人たちが囁きあう。こんな風に注目を集めたことはなかったから、胸がどきどきした。
手早く紅茶とケーキを注文したレナルドは、他愛もないお喋りを始めた。学園の先生のことだとか、級友のことだとか、何でもない会話だ。いつもの私なら、時間の無駄だと思ってしまっただろう。けれど今日は、とてもお喋りが楽しくて、つい引き込まれるように話してしまった。
「もうこんな時間!」
時計を見て慌てる。父が書類を抱えて、待ちくたびれているだろう。
「帰らなきゃダメかい? じゃあ、馬車で送るよ」
レナルドは子爵家の家紋が入った馬車をカフェに回して、私を家まで送ってくれた。
玄関をくぐると、弟妹がわっと集まってきた。
「お姉様、とても美人になってる!」
すぐ下の妹、マリエットが目を丸くする。二番目の妹のナディーヌは「いい匂いがする!」と化粧品や香水の匂いを嗅ぎ、末の妹のクリスティーヌは「すごーい!」と、私の周りを飛びはねた。
「……あねうえ」
乳母に手をひかれて、五歳の弟ユーグがやってきた。ユーグはぱたぱたと私に走り寄り、ぎゅっと抱きつく。
「いつもこのあねうえでいてほしい! 僕、きれいなあねうえがだいすき!」
弟妹がわあわあ騒いでいると、廊下の奥から父が出てきた。
「騒がしいぞ、どうし……!?」
父はまじまじと私を見て、立ち止まった。叱られる、と、思ったのだが、涙声で告げられた。
「カロリーヌ。やはり美しいのだな。母にそっくりだ。いつも仕事ばかりで、華やかに装うことを、奪ってしまってすまない……」
「とんでもないわ、お父様」
私は父の手を取り、首を振った。
「今日は同級生に頼まれて、こんな格好になってきただけよ。また明日からは質実剛健に戻るわ」
だが、そうはならなかった。翌朝私が朝食をとっていると、レナルドがやってきたのだ。
「おはよう、カロリーヌ。よかったら、今日も手伝わせてくれないか?」
「学園に化粧をして行くの?」
驚いて声をあげると「淑女科は、みんな化粧をしているじゃないか」と涼しくかわされた。
「私は領地経営科よ」
「うん、知っているよ。僕も領地経営科だしね」
領地経営科に、女は私しかいない。跡継ぎの男子に混じって学び続けてきた。今さら化粧をしていくなんて、気が引ける。
「いいじゃないか。化粧をしたって、成績が落ちるわけじゃないんだ」
父に助けを求めようとしたが、逆にレナルドに頭を下げている。
「カロリーヌを、美しく装わせてやってくれないか」
「はい!」
家政婦長がにっこりと笑いながら、私を化粧室に連れていった。レナルドは家政婦長に「こんな風に髪を結って」と、姿絵を手渡した。そして自分は、私の顔に化粧を施していく。
「昨日より、もっと可愛くできたよ」
そのまま子爵家の馬車に乗せられ、二人で登校する羽目になった。馬車を降りると、男子生徒も女子生徒も私たちを驚いた顔で見た。
「あんな女子いたか?」
「転校生かしら」
「レナルドの知り合いか?」
「次のパーティーで、ダンスを申し込みたい」
「もちろんだ。あんな美人、そうそういないぞ」
昨日まで私を「風紀委員長」と揶揄していた生徒たちが、羨望と憧れの視線を浴びせてくる。少しうんざりして教室へ向かうと、ばったりとヴィクトルに出くわした。
「レナルド、こちらの美人は誰だ?」
レナルドはにやにや笑うばかりで答えない。ヴィクトルは私の手を取ろうとした。
「淑女科の生徒かな? よければ名前を教えてくれ。我が家のパーティーに招待したい」
「ヴィクトル。それは困るよ」
ヴィクトルの手をはたき落とすように、レナルドは私の手を取った。ヴィクトルは怒りの含まれた口調で「どういうことだ」と尋ねた。
「俺が誰を招待しようと、自由だろう。お前につべこべ言われる理由はない」
「だって君は、彼女を僕にくれたじゃないか」
「くれた?」
私の手を握りしめ、レナルドは高々と宣言する。
「昨日、僕に言ったよ。『くれてやる!』って。婚約も破棄したのだろう?」
あっけにとられたヴィクトルは、私の顔を穴が開きそうなほど見つめてから、蚊の鳴くような声で呟いた。
「まさか……カロリーヌ?」
「そうだよ。風紀委員長だの、憲兵のような女だのと罵倒して、婚約破棄をした相手を、パーティーに招待するのかい?」
そしてレナルドは「行こう」と、私の手を握ったまま、廊下を歩いていった。ヴィクトルが「そんな……」とうわごとのように言う声が、背中に響いたけれど、私はもう振り返らなかった。
◇◇◇
「カロリーヌ、綺麗だよ」
レナルドが目を細める。
ヴィクトルと私の婚約は正式に破棄され、持参金の話もなくなった。相変わらず借金に追われているらしい、という噂だけは聞いている。
そして私はというと、レナルドに着こなしや化粧を学んで、誰かの手を借りなくとも美しく装えるようになった。私の変身ぶりが、学園のみならず社交界にまで届き、子爵家のサロンは繁盛を極め、半年先まで予約でいっぱいという状態になった。人を増やし、支店も出しても追いつかず、レナルドはうれしい悲鳴をあげている。
私とレナルドは学園を卒業した。その頃には私の装いだけでなく、サロンの経営についても話すようになっていた。レナルドは私の意見をいつも尊重してくれる。そして、化粧をしていない時でも「本当に綺麗だね」「美しいよ」と声をかけてくれる。
いつの間にか、私はレナルドを深く愛するようになっていた。
そして今日は、女性が最も美しくなる日――レナルドと私の、結婚式だ。
父は既にハンカチをぐっしょりと濡らしている。弟妹たちは笑顔で「おめでとう」と声をかけてくれた。
私は長いヴェールを引いて、レナルドの横に立った。ウェディングドレスもブーケも化粧も、二人で何度も話し合って決めた。
もう伊達眼鏡をかけた風紀委員長は、どこにもいない。その代わりに、幸せな新婦が、ステンドグラス越しの光を浴びている。




