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百億の夜をこえて  作者: masuga
第一章
3/4

白い薔薇の誓い3

 屋敷に戻ると、聡様は近くに居た女中に僕の父、森井勲もりいいさおの居所を聞く。一条家を取り仕切る執事だから常に多忙で屋敷内に居ない場合もある。

 僕も父に早く追いつきたいが、15という年齢ではなかなか難しい。尋常中学校に通いながら、執事としての勉強もしなきゃいけない。それでも僕がしっかりしなければ聡様を護れない。気持ちだけ焦っていく。


「森井さんは確か客間で広樹様のお見合いの準備をされてましたよ」

 僕より少し年齢が上の女中が明るい笑顔で聡様に答える。聡様は女中に「ありがとう」と言って通り過ぎる。僕は聡様の後をついていく。

 聡様と幼馴染なのは嬉しいけど、僕がもう少し年上だったら、今よりもっと聡様を護ってあげられるのに。こればかりはどうしようもない事なのだけれど。


 一階の奥の客間。僕がこの屋敷で玄関の次に豪華な扉を叩く。

「巧です。お父上。聡様が御用がおありなのでお連れしました」

 中開きの扉が開かれ、父が聡様に声を掛ける。

「聡様、どうかされましたか?」

 僕は隣に居た聡様を先に部屋に入れ、扉を閉めた。

「森井、僕、薔薇園で薔薇の中に入ってしまって棘に刺されたみたいなんだ」

 すると、父は一条家のおかかえ医師に診てもらってくださいと言い、今は広樹様の部屋にいると教えてくれた。


「わかったよ、森井。ありがとう。お兄様の部屋に行ってみるね」

 聡様は元気よく父に告げると、僕の方を向き、

「巧も一緒に行ってくれるよね?」

「はい。勿論です」

 当然だ。僕は即答する。


 広樹様の部屋は二階の一番奥にある。広樹様の容態が最近よろしくなくて、日中のほとんどを部屋のベッドで過ごされている。食事も食堂ではなく、女中が部屋に運んでいる。広樹様の顔、そういえばここ一週間見てないな。



「お兄様、今日のお見合い大丈夫なのかな」

 聡様と広樹様は兄弟仲が良く、幼い頃は僕も交えてよく遊んでもらっていた。広樹様も奥方の章子様と同じで面倒見がよく、優しい方。

 頭も良く、学習院がっこうではクラス一番の成績を誇っていた。頭脳だけじゃなく、武道の方も秀でていて、特に剣術は院内の定期的な大会で常に優秀な成績を収めるなどして、文武両道を掲げている学習院がっこうで、周囲から一目置かれる存在だった。

 だが、昔から病気を患いやすく、中等科に進まれてからは休学を繰り返していた。

そんな広樹様を聡様はいつも案じられている。


「親戚会議の決定ですからね…」


 親戚会議。


 それは、家の存続と名誉を守るために開かれる、法的にも強い権限を持った厳格な合議制の裁判所のような場所で、制定されている法や、華族だけに適用される「華族令」によって、その役割や規則が決められている。

 結婚の許可や跡継ぎ(養子)の決定も当主が病弱、または子供がいない場合、誰を次の当主にするか等もここで決められるのだ。

 しかも、親族会議はただの話し合いではなく、決定事項は書類にまとめられ、実印を押して宮内省(華族を管理する官庁)に届け出る必要があった。つまりは国が見張っているのだ。

 親族会議の長老たちによって「一刻も早く結婚せよ」と決まれば、そのように動くしかないのが実情だ。当主の意見よりも親族会議での意見が上になる。



「巧はどう思う?僕はお兄様に無理はして欲しくない」

 聡様らしい言葉だ。

「僕もそう思います。ですが親戚会議は非常に重く…」

「わかってるよ、わかってるけどさ」

 聡様は頭を何度か横に振る。

「兄様が無理してお体を悪くするのだけは嫌なんだ」

 聡様の情け深さが天に届いて欲しい。章子様、そして雪絵様。どうかどうか聡様の想いを汲んでください。


 聡様は広樹様の部屋の扉を軽く叩く。

「聡です。お兄様、それにお医者様の石井様入ってもいいでしょうか」

「どうぞ」

 この声は医者の石井のしわがれた声だ。よわい62だ。貫禄が声から伝わってくる。聡様はその声に反応し、重厚な扉を開く。

 そこに居たのは、ベッドに横たわる広樹様と初老の白衣を着た医者の石井だ。広樹様は心なしか僕が見た姿よりはお元気そうに見える。僕は聡様を先に広樹様の部屋に入れ、扉を閉める。


「聡…。今日も元気そうだね、良かった」

 広樹様は聡様に声を掛ける。広樹様も聡様に優しい。

「何か御用ですかな?聡様」

 医者の石井が聡様に尋ねる。

「僕、薔薇園に行ったんだけど、その時薔薇の棘に刺さってしまったんです。僕は何ともないんだけど、執事の森井や巧がお医者様に診せた方がいいって言うので…」

「ふうむ」

 石井は聡様の手を取り、聡様の様子を伺っている。


「どうなんですか、先生」

 たまらず僕が石井に聞く。

「腫れてもおらんし、見たところ棘のようなものも刺さっていない。でも一応とげ抜き膏は塗っておいた方が良さそうですな」

「とげ抜き膏ですか」

「市販されとる薬じゃ。それを和紙に塗って患部に貼ると棘を吸い出してくれる。確か今日は持って来た筈」


 そう言うと、聡様の手を放し、石井は持ってきていた鞄の中をあさり始めた。

「聡、大丈夫か、本当に痛くないのか」

 広樹様が心配そうに聡様に尋ねる。聡様はにこりと愛らしい笑顔を見せながら、

「大丈夫です、お兄様。全く痛くもかゆくもありません」


 石井は鞄をあさり続けている。そう大きくもない鞄に一体何が詰まっているのだろう。


「お兄様こそ大丈夫なのですか。今日はお見合いだと…」

「うん。だいぶ今日は調子がいいんだ。多分大丈夫だと思う」

「ご無理はしないでください」

「大丈夫だよ、聡。自分の結婚相手だからね、僕もいいところを見せないと」

 広樹様は静かに笑む。その笑みを見ながらも聡様は不安そうな顔を作る。

「僕は心配です。また叔父様たちが強引に話を進めてお兄様を困らせるんじゃないかと」

 広樹様は笑みを崩さず、

「わかっているよ、聡。でも僕も結婚適齢期だ。叔父様たちが騒ぐのも仕方がない」

「でも…」

「大丈夫だよ、聡。僕だってこの一条家の嫡男だ。…本当に優しいね、聡は。雪絵さんにそっくりだ」


 雪絵様も心遣いの出来た人だった。広樹様のお母様である本妻の章子様同様、広樹様も雪絵様と仲が良かった。まあ、雪絵様も京都の富豪の娘であったから、元々品性は市井の民とは比べ物にならないくらい高い人ではあり、広樹様も懐いていた。

 それに一条家は普通の公家華族が自尊心だけ高くいわば「お高くとまっている」人とは違い、自尊心だけではなく、懐が広く温かい方ばかりで、奉公人である僕らにもその愛情を注いでいくれる。僕の森井一族が祖父代々お仕えしていて、誇りに思う方々だ。…本家は。これから集まってくるだろう叔父を含め分家はそうもいかない。皆が皆、一般の公家のように自尊心だけで生きているような人ばかりじゃないと願いたい。



 僕は広樹様と聡様の姿を見ながら、一人、白い薔薇に誓った事を言い聞かせる。

 聡様、貴方だけは護りぬく、と。

次回の更新は6/2の19時からになります。

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