表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/8

01-3/4

救急車がER入り口に後部ドアを向けて止まり、ドアが開く。

ストレッチャーに乗せられたこどもがいる。


先程までいた小春だった。


今度は父親だけがついている。


「12歳女性、2階のベランダから誤って落下、右足首骨折の疑い、左大腿部に落下時にトタン板で裂傷、出血は軽微、バイタルは120の90、心拍100、グラスゴースケールは14」

てきぱきと若い男性の救急隊員が告げる。

「…この子はさっき来たばかりだから知ってる」酒井が絞り出すように答える。

「さっきって…なにがですか?」救急隊員の中嶋が答える。

「トタン板は亜鉛メッキ製のもので古いです」と中嶋のバディの片山が答える。こちらはとても小柄な女性救急隊員だ。

このコンビを南野は「F1ネオジャパネスク」と言っているが、酒井はなんのことかよくわからない。

「よし、じゃあ外傷4号に入れましょう!」高嶺が答える。

「あとはよろしくです!」二本指で片山が敬礼する。


「こいつらです」と酒井がそっと築城に耳打ちする。

「っ…了解です酒井先生、じゃあ「書類」を取ってきます!」

「なるべく丁重に「おもてなし」しててくださいね、ながーくね」笑顔の裏に怒りが見える横田が答える。


吾妻が外傷4号に入る前に、制服警察官組にほんの短くだが、重要なことを話す。

「この手のやつらは警察官を見たら逃げるから、なるべく目立たない場所で監視をお願い」


「なるほど…了解です吾妻さん」

「制服は嫌われるのね…私たち仕事してるだけなのに…」

「ランチはお預けね…行こう岩国」

「はっ!あんぱん食べながら柱の陰で監視は…?」

「昭和かよ」


早番のシフトを終えて着替えて帰ろうとしていたチェンだが、なにか雰囲気がおかしいと思い外傷4号の前までくる。

(<くっ…こいつらか>)朝罵倒された男の顔を見てイラっとする。


外傷4号にストレッチャーが入る。

「3の合図で移すわよ、いち、に、さん!」高嶺が合図して小春を処置台に乗せる。

「出血はほとんどないのでまず全身をチェックしましょう…」と酒井が言いかけたところで絶句した。


この子はなんでこんな死にそうな顔をしているの…


小春の顔は青ざめ、痛いはずなのにそれを表情に出していない。


「いやーこいつこんどはうちのベランダから落ちちゃってさあー全くどんくさ…」と男が言いかけたところで

「治療の邪魔ですから外に出てください!」と大きな声を出す酒井。


「なん…だとてめえ!ガイジンの次はガキかよ!ふざけやがって!おい小春!」

と叫ぶ。

小春の目がカッと見開かれる。



【ツピ!警告 心室細動】


「なんと……ルナ、シヴァーム展開、DCパドル(直流除細動器)をシヴァームに乗せてこちらに」酒井の顔色が変わる。

【ツピ!シヴァーム展開 DCパドルを使用 展開中にチャージします 展開まで10秒】


処置室の天井にあるレールから、超軽量ロボットアームの「シヴァーム」が展開される。

シヴァームはカーボン複合素材のロボットアームで、通常は折りたたまれて処置室の天井に配置されている。

4つの関節を持ち、先端にはさらに3つのマニピュレータが付いている。各種検査ユニットを交換式で使用することが可能で、多くの場合はX線撮影ユニットであるが、今回はDCパドルセットを展開する。まだ試験導入の段階なので、聖路都ERでは外傷4号室にしか設置されていない。


「12歳のこどもが心室細動…なんで…」酒井がつぶやく

「推測は後で、服は最低限だけ切ってやろう」吾妻が言う。通常は服を切ってジェルを塗布するが、そこに「男性」がいる以上は不必要な肌の露出は避けたいと吾妻は考えた。


「パドルは私がやります」

「酒井先生了解、任せるわよ」そう言っている高嶺だが、目は酒井に向けずに裂傷を見ている。どうやら深くはなさそうだが傷口が汚れている。

吾妻は小春のシャツをほんの少しだけカットし、導電性ジェルをその隙間から塗布する。

「このくらい切ればいい?」

「十分です吾妻さん!」

「ルナ、100にチャージ」酒井がパドルを取り出す。電気抵抗のむらによる事故を避けるためパドルの面同士を数回こすり合わせ、吾妻がカットしたシャツ〜パドルがギリギリ入るだけの隙間〜からパドルを入れ、小春の心臓部分を上下方向から包むようにパドルを当てる。

酒井は自分の手技には自信がある…少なくともパドルに関しては。


【100はデフォルトのため既にチャージ完了】

同時にメインモニタに100J READYと白抜き赤文字で表示される。緊急度の高い情報は何よりも優先される。心拍はゼロを表示している。

「100ジュール!下がって!」酒井が右手にあるボタンを押す。


バン!


パドルから電流が走りショックが小春に伝わる。

即座にルナが反応する。


【心拍正常に復帰 心拍数105】


「よし… 洞調律どうちょうりつ…チェン先生!両親を待合室に!<絶対にそいつらを帰さないで!>」

酒井が語尾だけ英語で外傷4号の外にいたチェンに大声で伝える。

「…?…!了解!さあ、御両親はこちらで…今のはバーサーカー症候群というもので心配はありません…これは19世紀末に英国領香港で…」

とチェンがありもしない病気の名前をそれらしく口にしながら「誘導」する。


「ルナ、シヴァーム展開、患者の右足首のX線撮影を行います、ユニット起動後即時展開して」

【ツピ! シヴァーム展開 X線撮影ユニットを使用 酒井先生 再度確認 放射線を使用 15秒で撮影可能です】


シヴァームの先端が小春の右足首近くまで音もなく展開される。

撮影エリアを酒井が手動で微調整する。

撮影可能エリアはレーザーで可視化されているので、レーザーのグリッドが右足首をカバーするように酒井が確認しながら調整する。

カメラユニットの周辺には、放射線を防護する鉛製のロールカーテンが自動展開される。


「ルナ、微調整完了よ、この場に妊婦はいないので放射線量はオートで 撮影開始」


【ツピ! 0.05マイクロシーベルトでX線撮影します 放射線防護ロール展開確認 5秒カウントダウン後ゼロで撮影 警告 医療関係者はさがれ ユニットから50センチ以内には近寄るな ご、よん、さん…】

放射線被曝の危険があるので、ルナは命令口調で安全を促す。



【ゼロ 撮影終了 被曝量0.05マイクロシーベルト 映像は10秒後に確認可能となります】

「ありがとうルナ」


即時に確認できるのはいつもながらすごいなー、と他人事のように酒井が思いつつ自分のタブレットを見ようとする…

が、外傷4号のモニタに出した方が高嶺と吾妻と一緒に確認しやすそうだ。


「…第5中足骨の骨折ですね…」酒井が即時に判断する。

「…ジョーンズ骨折?」高嶺が不思議そうに撮影写真を見る。

「2階から転落しているのに、高所落下による骨折ではないという事ですね」

「…逃げるときにひねった?」

「その可能性大ですね」

「添木はチタンを使う?」吾妻が機材を準備している。

「ですね、ここは外傷は無さそうなので、チタンでお願いします」

「了解、ラインは既に確保」吾妻がベテランらしい落ち着いた確実な動きで準備する。


「推定体重は…40キロ…アセトアミノフェンを点滴で600㎎、ルナ検算お願い」


【ツピ! アセトアミノフェン600㎎、投与指示は正確です酒井先生】


「吾妻さん、アセトアミノフェン600㎎をラインに入れて…リドカインを40mg追加で、ルナ検算はいらない」

「リドカイン40㎎、アセトアミノフェン600㎎了解、いい判断ね酒井先生」


「私は左大腿部の裂傷を見るわ、ルナ、シヴァーム展開、温めた生食2リッターをパイプラインで準備して」高嶺はあえて簡単だが感染症の恐れのある裂傷を看る。


【ツピ! シヴァーム展開 洗浄ユニットを使用 10秒で展開可能です 生理食塩水は38℃】


X線撮影後ユニットを外してスタンバイ位置にいたシヴァームが、天井にあるユニット換装ステーションで今度は洗浄ユニットを装着する。

音もなくアームがスッ、スッと移動していき、ガチャンとユニットを入れ替える。

生食ラインはシヴァームのアームとともに付属されており、自動で洗浄ユニットと接続される。


【生理食塩水ラインとの接続確認、シール問題なし 手動または半自動で洗浄可能 高嶺先生選択してください】


「手動でやるのでそのまま降ろしてルナ」

ツピ!と了解音が鳴り、音もなく高嶺のほぼ真上からシヴァームが展開される。


「ルナ、洗浄中に異物が無いかを超音波でチェックして、私も目視するからダブルチェックするわよ」


【ツピ! アルトラソニックで術野をスキャンします 異物検出モード オン プライマリターゲットマテリアル 鉛】


「あの親は信用できないから、破傷風トキソイドを…0.5」高嶺が吾妻にリクエストする。洗浄の手は緩めない。

「了解、破傷風トキソイド0.5入ります」

ルナは生命維持にクリティカルだとされているもの、またはワクチンの類は、事故防止のため投薬できなくなっている。

この場合、医師や看護師が行う。もちろんできるものとできないもののリストは、全員の頭に叩き込まれている。


「あと2分で裂傷の処置は完了」高嶺が宣言する。


「…酒井先生、他は…あるかな…」吾妻が酒井に聞く。表情はややこわばっているように見える。


「…血算、生化学、血液型とクロスマッチ…毒物検査、そして…………………レイプキット」


高嶺が愕然とする。

吾妻はやはり来たか…という顔をする。


「っ…酒井先生…!い、いえ…そうね……うん、やろう」高嶺は腹を決めた。

「レイプキット準備」吾妻は既に困難に立ち向かうつもりでいる。

「ルナ、レイプキットによる証拠保全を始めるので、外傷4号はシャドウモード」グローブを替えながら酒井が言う。


【ツピ! 外傷4号はシャドウモードに移行します】

センシティブな診察の場合、扉の窓から中を見られることは誰にとっても避けたい。

その場合は扉の窓の液晶シャッターを下ろし、処置室内をまったく見えなくすることができる。


【血算の数値が出ました、血球数…】とルナが言いかけたところで

「ルナ!まずカリウム値から教えて、あとは数値ホールド」


【ツピ!カリウム値3.0mEq/L】

「はあ?3.0メックって…」酒井が絶句する。

「…食事も与えられていない…」高嶺が呆れながら裂傷を洗浄している。


小春は相変わらず喋らないが、痛みは和らいでいるように見える。アセトアミノフェンとキシロカインが効いているようだ。

意を決して酒井が椅子に座り、小春の横に椅子を動かす。


「…ねえ小春ちゃん、たぶん…何かをされていたと思うんだけど、それは言わなくていい」

「…うん」

「それでね小春ちゃん、その何かをした人をこらしめるために、どうしても証拠をそろえなくてはいけないの…どういうことかわかるかな?」

「………だいたい」

レイプキットの準備を整えたようだ。一式をトレイに乗せて吾妻が酒井の横にしゃがむ。

「これはね、あなたの未来を取り戻すためにどうしても必要なの、だから、ごめんね」

「……もう何もかもいやになって飛び降りようとしたの…でも…うまくいかなかった…もういやになったの、もういやに…」

「わかった、もういいよ小春ちゃん」酒井が小春を抱きしめる。

(あーだめだ、涙が出そう…ちくしょう…)

その時コツン、酒井の足に触れるものがあった。


吾妻の足。


吾妻は黙って酒井を見て首を軽く左右に振る。

(そうだ、ここで泣いている場合じゃない、家族の肖像はこんなものじゃないんだと証明しなければ)


溢れそうな涙をこらえて酒井は立ち上がる。

「ル、ルナ、患者の心理的負担を考え、ベッドは砕石位にしないで位置はこのままでいく、ステラップも使わない」

【ツピ! 了解です酒井先生 シヴァームによるステラップ設置もキャンセルします】


吾妻や高嶺はもちろんだが、酒井もレイプキットに関するトレーニングはジュネーブにあるWHOの本部で受けている。

あえて砕石位にはせずにタオルだけをかけて処置を行う。アチバンを投与することにしているので、安定性から考えても最適解だと酒井は判断する。


「…じゃあ、ここは私が」酒井が吾妻にハッキリと言う。

「…じゃあ、ここは酒井先生が」吾妻もハッキリと意思表示する。


吾妻が、小春の膝を優しく立て、バスタオルを腰から下にかけて視界を遮ってやる。


「酒井先生が担当するからね、私はここであなたとおしゃべりしましょう」と吾妻は先程まで酒井が座っていた椅子に座り、小春の顔に近づく。

「そして、眠るわけじゃないけど、落ち着くために薬を入れる…全然痛くないよ、点滴から入れるから」

「…うん」

「ルナ、アチバンを0.5mg、2分でスロープッシュ 呼吸抑制を特に監視」酒井がルナに指令する。

【ツピ! アチバン0.5mgを2分でスロープッシュ 呼吸モニタしつつ慎重に投与】


「高嶺先生、モニタリングよろしくです、すいません」

「ここはティーチングホスピタル…任せなさい」高嶺と酒井ではキャリアが8年ほど違う。

「痛かったら言ってね小春ちゃん ルナ、時刻記録、プライベートモード、手技中の会陰部分以外はすべて記録から排除」

【ツピ! 了解です プライベートモードへ移行 16時43分よりレイプキットが酒井先生により使用されます】


「…さっきから誰とおしゃべりしているの?」小春が初めて自分から言葉を発する。朦朧としているからなのだろうか。

「あーこれはね、ルナっていうAIなのよ。超優秀な働きをしてくれるの。そこの酒井先生の給料じゃ100万年かかっても買えないのよ」

「いや、100万年あったらさすがに買えます」と酒井が答える。なるべく軽い話に持って行きながら、プレッシャーを取り除くように努める。



「…今日もね…お父さんがね…セックスさせろと迫ってきたの…お母さんはどこかにいつも遊びに行くから…だから…私をね…」



「うん」



「…だいたい…1週間に…1回…いや2回…くらいかな…でも生理が来たときは…お前キモいからってやめてくれたの…」



「…うん」



「…だからね…危険日はね…生理だって言ってたの…」



「………うん………」



「…それでね…ホントの…せいりのとき…は…」


そこで小春は眠ってしまったように見えた。

吾妻はそっと小春の手を握る。

酒井はモニタしている高嶺を見る。高嶺はサムアップしたあとで自分の目から下に向けて指で顔をなぞる。


話を聞きながら、酒井はあふれようとする涙を必死でこらえた。

(涙は拭けない、証拠がすべて無駄になる)


「…採取終了、キット封印、精査用と緊急用と二つ」それぞれに酒井理乃:WHO嘱託、とサインをする。

「…よく頑張ったね、酒井先生」高嶺がねぎらいつつ高嶺朋世とサインをする。

「…これで永久におしまいにしてやりましょう」と吾妻が怒りをおさめながら吾妻響とサインする。

緊急用は差し当っての証拠用、精査用は裁判所が証拠として受理するものでしばらく時間がかかる。

ここでは緊急用だけが必要だ、当面は。


「少し落ち着いたら…レボノルゲストレルを1.5mg」酒井が苦々しく吾妻に伝える。

「…ノルレボね了解」唇をかみしめて吾妻が答える。



待合エリアでは、チェンが自分のタブレットを見せながら「バーサーカー症候群」の説明を父親と母親にしていた。

無論その画面はルナがアドリブで作ったフェイク画像である。

「えーですからー、この場合はー」と言いながら長々と時間稼ぎをしている。

(<理乃ちゃん、もう日本語マジ限界…早く…>)


「ったくいつまで待たせるんだよォ?早く家に帰りてえんだよ!」父親が怒鳴る。

(医療用語解説)



DCパドル

いわゆる電気ショックを与えるパドルのこと。

心臓の心室が無秩序に細動するだけで、血液を送り出せなくなる不整脈を心室細動と呼び、言うまでもなく致命的な不整脈。

これを取り除くために直流電流を胸部から心臓へ流し、心筋の電流を一瞬で正常な状態に戻すための機器。

正常な状態を洞調律という。

医療関係者の使うものは、心臓に与える総エネルギー量を設定し、抵抗を均一にするために胸にジェルを塗布して使用する。

これを自動化したものがAEDと呼ばれるもので、心室細動、エネルギー量を自動で判断し、必要な時にはショックを与える。

ジェルは一般的には必要なく、パドルがそのような素材で出来ている。

AEDを使う状況は心室細動を取り除き洞調律にして、医療関係者に引き渡すまでの時間稼ぎとなる。

さっきも書いたが致命的な状態なので、四の五の言ってはいられない。



被曝量0.05マイクロシーベルト

通常X線写真の被爆量は、胸部レントゲンで0.1「ミリ」シーベルトなので、この値はとんでもなく小さい。

シヴァームによる超狭い範囲を最低限の被爆で撮影することが可能になっている…という設定。


アセトアミノフェン

中枢神経系に直接作用し、交感神経を刺激しないタイプの鎮痛剤。

アニリン系鎮痛薬(非ピリン系)なので安全性も高い。

市販薬としてはタイレノールやカロナールなどがある。


レイプキット

レイプされた女性が法執行機関に訴え出て裁判でレイプを証明するための証拠を採取するキットのこと。

綿棒などで精液や陰毛、擦過傷などの跡を採取して保管するためのバッグまで、すべて一貫して使える。

証拠採取キットなので、男性がレイプされた際にも使える。


ノルレボ

いわゆるアフターピルと呼ばれるもの。

レボノルゲストレルの商品名。

性交後72時間以内に服用すれば、81~98%の避妊成功率があるとされる。

言い換えれば、100%ではない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ