01-2/4
チェンは最初から気になっていたが、どうもこの親子の様子はおかしい。
娘は目をチェンに合わさずに、ずっと父母を交互に見ている感じだ。
( <虐待…?> )
とチェンは考えたが、それにしてはおびえているという感じがない。
「 <んー、ルナ>」
【 <ツピ!既にバックグラウンドの調査準備完了、命令があればすべて開示します>】
「おいてめえら!さっきから中国語で話してんじゃねえよ!」
( <チッうるせえ野郎だな、広東語だよバカ>)
陳は内心毒づきながら、
「私は来週の香港スーパー競馬の予想を聞いていたのですよ。なあ、ルナ?」
【ツピ!はいそのとおりです 私は「ファミリーズアフェアー」激推しです 手堅く掛けて手堅くゲットです】
「 <やっべ、君マジでできる奴だねえ>」
推しの競走馬の名前を出したからではない。この状況で「ファミリーズアフェアー」という架空の競走馬の名前を出してきたからである。
「 <このクソ野郎、犯罪歴はあったか?>」
【アクセスできる範囲では特段の記録はありませんでした】
「クソガイジンが!仕事してろってんだよ!」
「は、申し訳ございません。なにぶん給料が安いものですから( <てめえよりはもらってるけどな>)」
カーテン1号では看護師長の吾妻がスタンバイしていた。
「お名前伺ってもいいかな?」吾妻が優しく少女に問いかける。
「…町山小春」聖路都に来院して初めて少女が口を開く。
「そっか、よろしくね小春さん」吾妻は喋りつつ、父と母、そしてこの娘の雰囲気が普通ではないことに気が付いている。
言葉で揺さぶるべきか、ここは慎重に行くべきか。
「私は看護師の吾妻、ここはチェン先生と私がいます。チェン先生が処置しますので、よろしくね」
「おいなんだよお前ら、なんで2人もいるんだよ?」父親が何かを気にしているように見える。
「医師だけでなく看護師を同席させる規則ですので」にべもなくチェンが答える。
「医師だけでなく看護師が同席する規則ですので」顔色一つ変えずに吾妻が答える。
「…ふうん…ドッジボールで突き指ね…(<ドッジボールとは>)氷か何かで冷やしたの?」チェンが指を優しく触りながら訪ねる。
「……いっ、いえ、あの…はい…」目を合わせないで小春が答える。
( <骨折はなさそうだが…末梢循環不良だ…ちゃんと食べてるのかな…>)
「引っ張ったりしてないかな?」吾妻が訪ねる。
「えっあの、はい、大丈夫です、と、友達の…ひ…響ちゃんがそう言ったから」
「あら、お友達は響ちゃんというの?私も響なのよ」と吾妻が笑って答える…が目は笑っていない。
「あまり動かさなければ問題は無いと思いますが、靱帯損傷の恐れもあるのでX線で写真を撮りましょう」
とチェンが言った瞬間に
「あぁ?写真だと?ふざけんないくらかかると思ってんだてめえら!わざとカネ水増しか?」父親が威圧するように答える。
「いえ、念のためなのですが( <こいつマジうるせえ、肛門にリドカインぶち込んでやりてえ> )」チェンが静かに答えるが、
「もういい、静かにしてればいいんだな!おい帰るぞ!」と小春をひったくるようにして連れていく。
「…よろしいのですか?」
「うるせえんだよこいつ!」
帰る前に、小春は酒井と目が合う。
「えっ、もう終わりですか??」と酒井が口にするが、小春の目が何かを訴えかけているように…いや、そう感じただけか…
受付の野川からひったくるように保険証を取って帰っていく。
「あんだ?あのオヤジ……」野川が毒付く。
酒井とチェンが追いかけてくるが、もう既に親子はいなかった。
「ちくしょー!引き止められなかった!」酒井も毒付く。
「ちょっと怪しさを感じるわよね」受付エリアに来た吾妻もつぶやく。
「怪しいってやっぱり」酒井が尋ねる。
「DV」吾妻があっさりと言う。
「執拗なまでのX線拒否、過去の虐待があったらバレるからね」と続ける。
「でもなあー証拠が何一つないんだよなあー!」酒井が地団駄を踏む。
「なんか…騒がしかったけど、どうしたの?」出口まで築城を見送ろうとしていた高嶺が受付にやって来る。
「DVの疑いがあるケースなんですけど…なにも証拠がないんですよ」酒井が悔しそうに言う。
「うーん…だったらどうにもできないわねえ…あざとか骨折の跡とかがあれば証拠になるけどね」
「いや、あの親子はどう考えても怪しいです。あの子は目も合わせなかった」チェンも口をはさむ。
「というより、従順でなにもできなかった…といった方がいいかしらね」吾妻がつぶやく。
「…と言うと?」眉を吊り上げて酒井が聞く。
「あの子、私のIDカードの名前を見て友達の響ちゃんが、って言ったのよ、あきらかに嘘だわ」吾妻がちらっと築城のほうを見る。
「…えっ、あっ、私は刑事課なので何とも言えないのですが、おっしゃる通りに証拠が無いと刑事課は動けません」少し申し訳なさそうに築城は言って、さらに話を続ける。
「しかしなにかありそうだということであれば、うちの生活安全課から警察官を出しますので協議しましょう。そこまでは別に許可など要りません」
「誰でしたっけ?」名前が思い出せない高嶺が聞く。
「生活安全課の横田巡査長です。今日は出勤していると思うので電話してみますね」
「…え…いや…詩織ちゃんの後ろにいるんだけど…」小柄でラフな格好をした女性が話しかける。
「うっわびっくりした…!なおちゃんなんでここに」
「えーいや、この人をちょっと見にね…ね、野川さん」
横田は受付のカウンター内にいる野川を手のひらで差してニコニコしながら言う。
「んだよ…ちゃんと真面目にやってるってばよ…」野川が心底いやそうな顔をしながら椅子から立ち上がる。
「まあまあモナリザちゃん…だってあなたは私が逮捕したからねえ…ちゃんとアフターケアーしないと」邪気が無いので却って気持ち悪い笑顔を向けて横田が話す。
「…はっ??タイホ??」酒井が目を丸くして言う。
「あーさかいせんせーは知らなかったかー、まあいいや…実はあーしね…」ゲス顔をし野川が喋ろうとするのを遮り、
「はい、おしまいー!モナリザちゃんはちゃんと罪を償いましたからねー」と腕でバッテンをして横田が言う。
「まあ…それは後で話しましょう…この件は…みんなラウンジに行きましょう」高嶺が気を遣うように…いや実はあまり気は遣っていないが…とにかくラウンジに行くことを提案する。この件は受付のようなエリアで話すべきことではない。
「それにしても見事に女子ばかりですね…」本宮が感心したようにつぶやく。
眼福…まさに眼福だわ!と思っているが、それは口にしない。
高嶺、チェン、酒井、吾妻、築城、横田、野川、そして本宮。
「…あと2人ばかり増えるかもね」左手の指を2本立てて築城がおどける。
…
…
白いBaby-Gを見たら15:40と表示されている。
「あー、もう16時前ですよ……。お昼、なににしましょうかー? 三沢ぶちょー?」
パトカーの助手席にいるポニーテールの警察官が運転している警察官に尋ねる。
「んーそうだなあ……さっきの事故処理で完全にランチタイム逃したしねえ……」 三沢はハンドルを握りながら気だるげに答える。
「…昨日の吞み過ぎでまだ胃がきついのよねー…もう歳ね…」
三沢はちょっとどころではなく、記憶が無くなる寸前まで吞んでいた。
「そんな27で歳とか…あ、なんか昨晩オシャレして寮の門限ガン無視してどこか行きましたよね?んー?さーてーはー??」ポニテ警察官がニヤニヤしながら聞く。
「あーうっさいわね!失敗よ失敗!とんでもないハズレ男だったわ!いいところはカネ払いだけかしら、腹立ったから吞めるだけ呑んでカネ出させて帰ってきたわよ!」
「おおぅ……それはそれは……」ポニテ警察官、岩国が気の毒だと思ったのは三沢ではなく、底なしに呑む三沢の呑み代を払わされた挙句、かなりいい女に見える三沢にスルーされた男に対してである。下手すると6桁コースだったかもしれない。
「正直…私ホントたべらんない…できればきつねうどん…」きつねうどんという飾らないメニューには似合わない、マニッシュなベリーショートの黒髪の毛先をいじりながら三沢は答える。バッサリ切ったばかりなのでまだこの髪には慣れない…が、髪を洗ったり乾かしたりするのがとてつもなく楽なのはいいことだと三沢は思っていた。
ザザッと無線が鳴る。
『翡翠橋中央指令より各PCへ』
「うげえー来るな来るな来るな来るな」岩国が呪文を唱える。
『聖路都国際病院へ最寄りのPC、応答願う』
「あーうちらだわ…ほれ岩国」めんどくさそうに岩国に応答対応を投げる。
「…こちら翡翠橋4号PC、中央どうぞ」ふてくされるように岩国が応答する。
『聖路都国際病院ERにて、訪れた患者に家庭内暴力と思しき事案の疑いありと、あー当院の医師より翡翠橋署刑事課捜査員に対し通報あり、貴局に置かれては速やかに臨場されたし』
「4号PC了解…現着は5分後、以上」
「ああー!嘘でしょー!? 朝からおにぎり4つしか食べてないのにーせっかく外で食べようと思ってジャケット着てきたのにー!」
「いや食いすぎだろ岩国」
『中央より4号PCへ、あー貴局無線のボタンの確認を願いたい』
「おい、またやったねあんた?」
「ボタン押しっぱなしだった……『4号PCりょうかい…』」
おにぎりやきつねうどんはともかく、家庭内暴力の疑いが病院からあったという事は、実際に確認することは必須だと岩国も三沢も思っていた。
…
…
「さて…というわけなんだけど、まずはあの子の家を訪問してみようか」横田がラウンジの中で皆に言う。誰も座っていない。
怒れる女が8人、立って輪になり議論している。尋常な絵面ではない。
「気になるのが「従順すぎる」のよね」吾妻がペットボトルを手でいじりながら言う。
「つまり……フォーン反応よね」高嶺がまたしても砂糖をどばーっと入れたコーヒーを飲む。
「もうあきらめて流されているという感じでしょうか?」酒井はストローを差した牛乳パックから牛乳を飲んでいる。まだ背は伸びるかもというかすかな期待をこめて。
「だいたい…目を見ればわかるんですけどね…私はちらっとしか見えなかった」築城は缶コーラを手に持っているがまだ開けていない。
「 (<さすがに死んだ目をしてたとは言えないな…>)あまり精気のない目…だね…」チェンが答える。マグカップで紅茶を飲んでいる。
「それは私たち現場の警察官はたくさん見てます、だから見たらすぐわかりますね」三沢は二日酔いが収まりつつあるのか、エナジードリンクを飲んでいる。
「…行きましょうよ!とりあえず見に行きましょう!」岩国が缶コーヒーを飲み終わってこぶしを握り締めている。
「よし、じゃあこうしましょう」この中で最年長者の高嶺が提案を始める。
「まず住所を調べるには保険証…なんだけど…これ偽造です」吐き捨てるように言う。
一同「はああああ??」と呆れ果てる。さっき一緒に見ていた築城を除いては。
「じゃあもうそれだけで犯罪ですよね、なんでしたっけ」三沢がいきり立つ。
「とりあえず……詐欺と公文書偽造ね…手配済みです」築城がタブレットで確認している。
「しかし逃げたから…相手がわからない」吾妻が手のひらをこぶしでパシンと叩く。かなり苛立っているようだ。
「んー、わかったよあいつ」バーンとラウンジの扉を開けて入って野川が入ってくる。
「ルナでちょっと調べたんだわ、保険証の偽造とそのルート、そして過去の他の病院の残ってるデータ、自費治療分もコミコミで突き合わせた」
「…なんでそんなのができるの?」高嶺が怪訝そうに聞く。
「あーし、なんでそこのなおちゃんに捕まったか…それを聞けば納得するだろ?…ほら、これが名前、これが住所、さあいってこーい地方公務員の諸君!」
絶句する築城。目を閉じてやれやれと頭を振る横田。
「よし、じゃあ私が逮捕状請求するわ。証拠は十分、ちょっとルナの画像をダウンロードしてお借りできますか?」築城が高嶺にリクエストする。
「…はいこれ」とSDカードを築城に渡す高嶺。
「…!仕事が早い!!」
「これで逮捕状取れると思うから…がんばろう」
「ですね!ありがとうございます。くs…ひどい奴を何とか押さえないと」
「…詩織ちゃんちょっと暴走気味だよ?口は禍の元だよ?」
「とのことですよ三沢さん!」2本目の缶コーヒーも飲み干した岩国が言う。
「うっさいわ!…我々はどうすれば?」
本宮がバーンとラウンジの扉を開けて入ってくる。
「き、救急車が来ます!軽傷1、こどもです!」
肛門にリドカイン
仮に1000mgを肛門(直腸)から入れても即死はしない…と思うが…多分死ぬ。
直腸は吸収が極めて早く、下大静脈に直接入るため、じわじわと死ぬかな…という感じ。直腸から1000mgだと…うーん、ボーダーかなという気がする。見識者のご意見を聞きたい。
ダメ。ゼッタイ。
DV
ドメスティック・バイオレンス、家庭内暴力。性別、年齢、家族関係に関係なく、家庭内で行われる暴力はすべてDVとしてみなされる。家庭内は警察力(法的抑止力)が入りにくいため、見えにくくて危険な犯罪と言える。
フォーン反応
Fawn response、相手の行動や顔色を伺うような反応のこと。迎合行動ともいう。DVのような場合、相手に嫌われないようにしたいから…とあえて暴力を受け入れてしまうケースがあり、それらをフォーン反応と呼ぶ場合が多い。
逮捕状
警察などの捜査機関が被疑者を強制的に逮捕する際に、裁判所の裁判官が事前に発行する許可書のこと。
警察力が個人を捕まえて勾留する(逮捕する)のは思ったよりも重大かつ深刻な侵害行為で、日本国憲法でも禁止されている(33条)。ただし裁判所が「捕まえてもいいよ、そいつ悪いことしてっから、ああ証拠もあるよ」と認めた場合は警察によって逮捕できることになっている。効力は7日間。逮捕状なしで逮捕できるのは現行犯だけであり、現行犯逮捕は一般人でも逮捕できる(私人逮捕)。
これを悪用して面白おかしく私人逮捕する動画があるが…ダメ。ゼッタイ。




