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【ツピ!東京消防庁から入電、交差点で自動車同士の交通事故発生、けが人は2名でどちらも軽傷、骨折等認められず、当院の患者受け入れ態勢を聞いています】

受付で対話型AIのルナ(LUNA)の自動音声が聞こえる。


「あーしおちゃんも本宮もとみやさんもいないのか…」南野がつぶやく。

受付は出払っているのか、2人で回すはずのERの昼間受付にはだれもいない。

さっき罵声を上げていたモンペ中年を警備に引き渡しているのだろう。塩ちゃんは慣れているが、本宮さんはそろそろ産休に入る佐々ささきさんの代わりに来る学生バイトだ…

ビビッてやめてもらっては困るな…

そう思いつつ、南野が発声する。


「ルナ、俺だ」

【ツピ!おはようございます南野先生】


「現在の職員稼働数と受け入れ可能患者数はいかほどか?」

【現在はスタッフドクター3、研修医1、看護師5、オンコールで外科医1麻酔医1の稼働数です したがって重症2、軽傷5の受け入れが可能です】

「了解、では当該内容でルナ自身が無線で伝達されたし」

ツピ!

と了解音が鳴る。


「でもこれ現場でトリアージした数よね、ホントはどうなのかしら…」北条が受付内部のディスプレイを見上げて話す。

ディスプレイには現在の受け入れ態勢と救急搬送の要請がリストになって出ている。

確かに軽傷は2と出ている。

巧みに配置されていて、外からはディスプレイの内容は全くわからない。

「うーん…事故起こした車種などの状況がわからないからな…そこはなんとも」と南野が言ったそばからバーンとER入り口の観音扉が開き、ストレッチャーが入ってくる。2名の東京消防庁の救急隊員が付き添う。

「よしまず一つ目は私が頂く、二つ目は南野先生、お願い」

「おいおい北条、トリアージ無しで決めるのかい?」

「ガラガラポンよ!あなた好きでしょ?」北条がニコッと笑う。

少々困った顔をしている南野を華麗にスルーして、北条が救急隊員から申し送りを聞く。

「信号機のある交差点で出合い頭に衝突、こちらは40代女性でおそらく赤信号側、免許証では槙野と書いてあります。エアバッグは動作しましたがそのあと頭部を強打し意識不明、推定出血量は50㏄以下、現場で挿管、バイタルは165の110で心拍110、グラスゴースケールは7、痛みに反応」

「赤信号…ね…」あきれつつ北条がストレッチャー上の患者を見る。確かに挿管されてバッグ~手動のポンプ状の人工呼吸器~されている。前頭部に裂傷はあり出血してはいるが、見る限りは大きな怪我はなさそうだ。

「よし私が引き継ぐわ。ありがとう南雲なぐもさん」

「それじゃあよろしく!北条先生乙です!」女性としては背がやや高い北条をさらに見下ろす形で颯爽と挨拶するのは、聖路都によく搬入に来る南雲だ。南雲は山本という別の救急隊員とバディなので、南野は「海軍」と呼んでいる。理由は北条にはわからない。

「まきのさーん、まきのさーん?聞こえますかー?ここは病院ですよー…って聞こえてないわね」ストレッチャーに寄り添いながら北条が患者に話しかけるが、やはり意識は無いようだ。


北条が一応確認のために、「外傷!どこが開いてるの?」と声を大きくして受付の方角に向けて聞く。

「いっ1号から3号までです!4号は西園寺先生がした…遺体処置中です!あと10分で4号は空きます!」受付からちょっと気弱そうな女の子の声が聞こえる。本宮はバイトに入って1か月、ようやく慣れてきたようだが、明らかに死体と言いかけたのはご愛嬌だ。

「よし…2号に入れましょう…サラ!2号に行きましょう!」

「はっ…はい!先生!」薄いラヴェンダーのヒジャーブを頭部に巻いた若い女性が慌てて外傷2号室に入る。


若い女性がまず確認する

「ルナ、私です」

【ツピ!おはようございますアルサウード先生】


「えーあー、 <アラビア語で話しましょうルナ> 」

【ツピ! <アラビア語了解です、アルサウード先生> 】


挿絵(By みてみん)



「 <頭部を強打して意識喪失し、そのあとに挿管からバッグなので頸椎損傷も懸念されます…まずは頸椎四方向の写真を撮ります…ポータブルのX線を使いましょう> 」

ツピ!

「んもー、サラ!それじゃわからないでしょう私たちが…」

「はっ、はい、まずは頸椎四方向の写真を撮るためにポータブルX線を使います」

「うん…その前に?」北条が首をかしげてアルサウードを見つめる。

「あっ、まずはチェックです!血算、生化学、血液型とクロスマッチ、アルコール検査と毒物検査、ですね!」

「頭部のCTはどうしようかサラ?」

「出血なし…瞳孔は…反射ありですから、一時的な昏倒と思われます、緊急性はそこまで高くなし…です!」

「オッケーよサラ、赤信号で事故だからアルコールは確認すべきね、…若干酒の匂いもするし」

【 <ツピ!ポータブルX線は3階放射線科から30秒で到着します、追加のCTスキャンをリザーブしますか?> 】


「あー…アラビア語わからないから…ルナ!日本語とアラビア語で状況説明お願い」

【ツピ!了解しました北条先生、<アルサウード先生>】


バッグを続けていたが患者が意識が戻りつつある。それを北条が見て少し安堵の表情を浮かべる。

「意識回復…自発呼吸が戻りつつあるから…抜管しても問題なさそうね…サラ、抜管しなさい」

「はい、了解です!酸素飽和度は99です、行きます」

そしてアルサウードは流暢な日本語で患者に呼びかける。

「まきのさん、私は医師のアルサウードです。今から呼吸を助けていた管を抜きます、いちにのさんで大きく息を吐いてください、よろしいですか?」

患者は理由はわからないが憮然としている。私の日本語が悪いのかしら?と北条をチラ見するが、北条は首を横に軽く振ってそれを否定する。

「いち、にの、さん…」一気にチューブを引き抜く。患者は少しせき込んだがすぐに普通の呼吸に戻る。

アルサウードは妙な匂いにすぐに気が付く。宗教的な嫌悪感はあるがあえて隠している。でもこれは…明らかにアルコール。

「ルナ、バイタルを確認してください」今度はアラビア語ではなく日本語でルナを呼ぶ。

【ツピ!血圧120の90、心拍98、酸素飽和度100】


「良好です…ところでルナ、先ほどの血液検体からアルコール濃度はもう出ましたか?」

突然患者が叫び出す。「てめえ…っ!言うな……言うなっ!!!!」

どうやら患者は自分の声で音声認識されると思ったのだろう。

しかしルナは完全にそれを無視して読み上げる。

ルナは、あらかじめ登録指定ある人物の声以外は一切命令を受け付けない。警告すらしない。

【血中アルコール濃度は150、したがって呼気アルコール濃度は1.5と推定されます】


「…はい失格ー、警察呼びましょう」呆れた顔で北条がアルサウードに向け話す。

「…飲み過ぎというレベルではありませんね…私にはどうしてもアルコールは理解できません…」

「そのほうが幸せかもね……そしてねサラ、昔は救急隊は現場で挿管もできなかったのよ…」

「えっそんな…本当ですか北条先生?」

「ええ、法規制がガチガチでね」

「……それは救命措置ではないのではないでしょうか。気道確保を待つなんて……」

「そうね、いろいろ遅れていたの。今は緩和されて当たり前になったけど、それだけでもいろいろと反対意見もあったのよ。人間がそこで死にかけているのにね」

「< ああアッラーよ……知恵を授かったのにそれを使わない人間の愚かさをお許しください > 」

アルサウードには人間の命よりも法的規制が優先されていたことが信じられず、アッラーもそれを許さないと思ったのだろう。

二人の後ろでは暴れて逃げようとしている患者がいるが、すでに数名の屈強な看護師によって事実上抑制されている。



手際よくアルサウードが「患者」の頭部裂傷を措置している。局部麻酔が効かないのだろう、しきりに暴れようとするが、アルサウードは気にも留めずに縫合していく。

北条はさりげなく警察を呼んでいる。外傷2号室は屈強な看護師と警備により立哨されている。

その隣の外傷1号室では、これが昼前の戯言のように思われるくらいの驚くべき状況に南野と西園寺が直面していた。


数分前

「ガラガラポンよ!あなた好きでしょ?」北条がニヤリと笑う

華麗にスルーされた南野だったが、2台目のストレッチャーに向かう…


強烈な違和感。

なんだこれ、なんだ?


こちらは男性の救急隊員が申し送りをする。「交差点で出合い頭に衝突、こちらは氏名不明ですが恐らく20代後半男性…」

南野はもどかしくそれを遮り「佐藤ちゃん、それよりその車、なにを積んでた?わからないのか?」

「いえ、ただの白ナンバーのアルファードなんスけど、運転手1名です」

「違う中だ、中に何を積んでいた?液体は無かったか?」

「そういえば少しエナメルみたいな…いや違うっスね…甘い匂いが………あっ!!!!」しまったという顔をする佐藤。

もう一人の新人隊員を呼ぼうとする佐藤だったが、いつも組んでいる小林ではない。新人だからテンパっているのか?


「おいそこのストレッチャー止まれ!中に入れるな!」

そう叫ぶ南野をよそに、ER入り口の自動扉の観音扉がバーンと開いてストレッチャーが建物内に入ってしまう。


ストレッチャーに近づいて患者を見ようとしている西園寺が見えた。


「西園寺!!!もう入ったそのストレッチャー、外傷1号に入れて陰圧にしろ、ベンチレーション全開!」


ほんの一瞬だけ訝しい顔をした西園寺だったが、すぐに事態を理解した。

「了解!モノは何ですか南野先生!」

「揮発性有機化合物、おそらくベンゼン」

「っ…!なんで入れちゃうんですか!」

「知らん!もうストレッチャー入れてやがった!」

ストレッチャーを勢い良く押し込んだ救急隊員風の男は、南野が叫ぶのとほぼ同時に、閉まりかける自動ドアの隙間をすり抜けて背後の闇へ消えていく。


一瞬、南野と目が合う。

大きめのマスクをしてゴーグルをしている。面が割れないようにするためだろう。

そのゴーグルの奥にはおびえ切った目…南野にはそう見えたが…


「チッ…逃げ足の速い野郎だ…!」 追いかけたいが、今は目の前の猛毒ベンゼンが最優先だ。どうせルナがすべてを「記録」しているだろう。

南野は歯噛みしながらも決断を下す。

「逃げた馬鹿野郎はどうでもいい、こっちを優先だ西園寺!」


肩をすくめる仕草を見せた西園寺は、あっさりと覚悟を決めた顔をして、南野に話す。

「スタッフドクターの権限でNBC危機管理レベル3で行きます、WHOの南野甑なんの こしきディレクター、異存はありますか?」

「なし」あっさり答える南野。まるでラーメンにアブラ入れますか?という質問に答えているかのような平静さだ。

「デュアル・コントロール・プリンシパルのプロトコール終了、ルナ、現時刻をもってNBCレベル3を発動し、ERを閉鎖する!時刻確認、全パラメータ記録開始」


ツピ!とルナはいつも通り了解音を鳴らすが、ディスプレイのある場所では黄色の帯に3と書かれた危機管理レベルの表示が出ている。

【ツピ!ERのすべての外傷室と処置エリアを閉鎖します NBC危機管理レベル3で閉鎖プロトコール進行、関係機関への通達開始】


「本宮さん!ER閉鎖!NBC危機管理レベル3、確認、5段階中の3、二重復唱たのむ!」

「えっ…あっ…了解です!ルナ、レセプションの本宮です、い…ERをNBCレベル3で閉鎖します!」初めて自分が言う緊急事態の宣言だったが、それゆえに本宮は若干テンパっている。

【ツピ!了解です本宮さん、既に西園寺先生によってER閉鎖が宣言されていますので、オールベリファイドで閉鎖プロトコールを継続します ERはNBC危機管理レベル3で閉鎖されます】


本宮は(なにこれどうしよう、今夜「バイト」行けるかな…)と思い戸惑う。


受付エリアのディスプレイに

『ER閉鎖』と表示される。

待合エリアにいる人間には内容はわからないが、大変な事態が進行中なのは理解できる。


(医療用語解説)

モンペ

モンスターペイシェントのこと。医療従事者に対して度を越した暴言や暴力、理不尽な要求をする患者のこと。一般的にはモンペはモンスターペアレント(親)を指すことの方が多い。

共通点は、どちらも馬鹿野郎という点。


オンコール

On-call。勤務時間外に対応するために待機している状態のこと。電話一本で深夜に呼び出される。ここでは別の科からERに応援に出せる医師の数という意味でも使っている。


トリアージ

患者の状態に応じてやる、やらない、どこで治療する、しないを決める選別のこと。

誰が受け持つかなどの選別もトリアージと呼ばれることが多い。


ストレッチャー

患者を寝たままで移動させるために、滑車の付いた足を持つベッドの総称。その多くは折りたたむことができる。特に救急車に乗るタイプ(ほとんどのストレッチャー)は足が折りたためるようになっている。


バイタル

生命の維持に必要な生命徴候のこと。基本的には体温・血圧・脈拍・呼吸の4つ。


グラスゴースケール

グラスゴーコーマスケール(GCS)の略。日本ではGCSと呼ばれることがほとんど。意識レベルを数値で示したもので、最低が3点、正常の場合は15が満点。呼びかけに応じるか、痛みに反応するかなどが明確にスコア化されているため容易に判別することが可能。考えた人マジでアタマいいな。8点以下だと重症で気道を確保して呼吸を助ける必要がある場合が多い。3点だとほぼ昏睡。


血算

けっさん。いわゆる血液検査のこと。全血球計算の略でCBCとも言われる。血液中の赤血球、白血球、血小板の数やヘモグロビン量その他を測定する。何か体に異常がある場合は血算でわかることも多い。


生化学

せいかがく。生化学検査のこと。血漿や尿の中に含まれるタンパク質、酵素、ミネラルなどを検査する。体内バランスを見ることに近いが、本当はここからさまざまなことがわかる場合が多い。


血液型とクロスマッチ

血液型は言わずもがな、クロスマッチは交差試験とも呼ばれ、輸血用血液と患者の血液を混ぜて凝固しないかなどの適合を判定する。違う血液型を入れると凝固するので良くないと言うのはよく知られている。ちなみにO-(おーまいなす)はすべての血液と適合するため、本当に緊急でわからない場合はとりあえずO-を入れることもある(後遺症などはありうる)。日本人のO-の出現頻度は0.15%しかないためとても貴重。海外では9%弱なのでそこまで貴重ではないが、日本でO-を大量に使うのはかなりの勇気がいる。

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