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ここは病院関係者のラウンジ、出勤前後や休憩中の医師や看護師が集う場所だ。
食事をしたり雑談したりカルテを書いたり、場合によっては寝落ちしていたりもする。
窓には昼前の落ち着いた陽射しが入り込み、やや広いラウンジを包み込んでいる。
そこに置いてある少々旧式の液晶テレビから流れていたCMを眺めていた。
40年ほど前の女子プロレスの映像が流れている。
映像の粒子は荒く、時代を感じさせる。
頭の悪そうなフェイスペイントを施した筋肉隆々の悪役レスラーが、派手なブリーチの髪を振り回しながら対戦相手の美人レスラーを思うがまま蹂躙している。
アングルなのか本当に実力差があるのか、あるいはその両方なのかは判別できない。
判別できるのは、まだ「アングル」という言葉がなかった時代の古い映像というところだけだ。
悪役レスラーは相当嫌われているらしく、「馬鹿野郎!」だの「死ね!」だの、ありとあらゆる罵詈雑言が浴びせられている。もちろん悪役レスラーは意に介さない。それどころか、酷い罵声をまるで自分への黄色い声のように聞いているかに見える。
そんな「黄色い声」に応えるかのように悪役レスラーはムカつく表情をしながら、圧倒的な筋力で軽々と美人レスラーを持ち上げる。そしてまるでゴミでも投げ捨てるかのように、美人レスラーを軽々とリングの外に放り投げる。
明らかにやる気の無さそうなレフェリーがワーン、ツー、スリーとカウントしている。
悪役レスラーはガンギマリした眼光でニヤリと笑いながら美人レスラーの髪を掴み、放送席らしいテーブルの角に頭を叩きつける。慌てて避けるアナウンサーと解説者。理由はわからないが、アナウンサーにはぼかしが掛かっている。
もんどりうって観客席のパイプ椅子に倒れる美人レスラーには目もくれず、ブーツの踵に仕込んだコッヘル鉗子を取り出す。
凶器を手にして歪んだ顔は、さらに狂気の度合いを増した表情になっている。コッヘル鉗子が振りかぶられて虚空を舞い、美人レスラーの後頭部に突き立てられようとしたその瞬間。
ドカアアアアアン!
明らかに火薬量がおかしい爆発音と派手な爆発の演出。
先程の悪役女性レスラーが現れるが、今度は随分ときれいな今風のハイビジョン映像だ。
『よお、俺だ、ラ・ボンバ・テッシィだ!俺のオススメの美容クリニック『聖路都美容クリニック』、淑女紳士のお前ら、頼んだからな?
わかってるだろうなあー?』
場面が変わり、これまでの鬱屈としたリングに比べたら嘘みたいに清潔で明るい美容クリニックの室内が映る。
悪役レスラーはニコニコしながら、先ほどの美人選手が歳を重ねたと思しき品の良さそうな壮年女性とガッツリ握手しながらこちらに笑いかける。
『聖路都美容クリニックは都営環状線の翡翠橋駅出口直結、聖路都メディカルセンタービルの10階だ!直通エレベーターで……
いつでも待ってるぜえ!?』
電話番号とURLが表示され、オシャレなフォントの「聖路都美容クリニック」が華麗なエフェクトで現れる。
We can change your life and we are waiting for you here〜
ダンダン!
SEIROTO BEAUTY CLINIC!!
ダンサブルな女性ヴォーカルの心地良い声。
…
…
「あー、これCM変ったんだよな。こないだ勅使河原理事長が言ってたよ、頭悪そうなメイクのノリがパキッと決まって完璧だったって」とコーヒーをすすりながら中年の男性がテレビを見ていた。
「この最後に出てきてる女性は、理事長から一方的にボコられてた人ですよね」西園寺がタブレット端末をテーブルに置きながら隣の中年男性医師に聞く。
「ジャンヌ長嶺だな、理事長との善悪対決の善側で…かなり人気あったらしい」肩をすくめながら南野が言う。
「……ふふっ。理事長ったら相変わらず暴力的なまでの『美』への訴求力ですねえ。まあこれで…またうちらの美容クリニックにはおカネがチャリンチャリンって……」
「おいおい高嶺、それはちょいと腹黒い言い方だね」
「ええーやっぱり腹黒いと思いました?南野先生?」
甘い香りのするチョコレートスコーンを食べながら、夜勤明けの少々眠そうな顔で高嶺はニヤニヤしている。
黙っていればかなりの美人医師なのだが…どうもこの腹黒さは良くない…と南野は思いつつ飲み終わったコーヒーのマグカップを小さなシンクに置く。
「まあクリニックといってもねえ…この病院の最上階にあるわけだし、あまり関係ない世界と言えばそうなるわね」
支度を終えてラウンジを出ようとしていた北条がしたり顔で二人に話しかける。
「うちはホントはSt. Roat…セントロートですけど、せいろと、と読みやすくしてるわけですからね。これも売り込みには必要ですね…チャリンチャリン!」
「でもうちの病院の利益の大半をクリニックで出しているわけですから、やっぱり必要じゃないかなあ…」スマホをいじりながら西園寺がつぶやく。
「銃創患者、行き倒れのヤク中、いったいいつから日本はアメリカみたいになっちゃったんですかね」
「それは…わからないね…俺が7年前に日本に帰ってきたらこうなってた」南野が首からIDカードを下げる。
北条、西園寺が白衣に身に着けている横型のIDカードと違い、南野のIDカードは首から下げる縦型のものだ。
高嶺は仕事が終わってるので白衣を脱いでリラックスしており、IDカードも乱雑にテーブルに置かれている。
その『聖路都国際病院 ER医師 高嶺 朋世』
と書いてある高嶺のIDカードとも違う。高嶺のは当然北条のものと同じフォーマットだ。
それにしても…と余計なことを南野は考える。
(ここの連中の証明写真は、ひどい顔で写らなきゃならないというローカルルールでもあるのか…?)
「まあ…やり手の元悪役女子プロレスラーなんだから知名度バツグンで儲かるわよねーチャリンチャリン!」
小銭が鳴る音がよほど気に行ったのか、高嶺がまたもやニコニコしながら手でコインをスロットに入れるポーズを取る。
「そのお金で、あなたも私もサラリーが出てるわけだし…この病院のERも回ってるわけだから…結果オーライ…ね」
北条が聴診器を首に掛け、代わりにシンプルなネックレスを外す。これで準備OKという彼女なりのルーティーンだ。
「いや、それは違うぞ北条」
「何がよ?」
「俺は…この病院からサラリーをもらってない」南野がニヤリと北条を見る。
「うぐ……さっ、さあ仕事よ仕事!遅番の開始だわ!高嶺先生、夜勤お疲れ様!」
「あーもう眠くて吐きそうですよ…おつかれさまでーす、おやすみなさーい」
高嶺は私服に着替え…といっても白衣を脱いだだけだが…ラウンジを出ていく。
「さてさて、参りますか…」南野も出ようとする。
「はい、がんばりましょう!」と若干白々しく言いながら北条も出ようとする。
「僕はちょっとさっきのヤク中の死亡診断書書きますね」と自分のタブレット端末を取り出す西園寺。
「遺体はどこにあるの?」
「外傷4号です、あと10分くらいで管理が受け取りにきます」
「じゃあ…4号までオールクリアね」
ラウンジの手動のドアが開かれる。表向きは手動で内側からはフリーで開くが、外からは指紋認証しないとロックが外れない。
そのロックが必要な側の世界…そこにはER(緊急救命室)という戦場が待っている。
騒がしい電話の音、受付から聞こえる中年の罵声、椅子に座って泣いているこどもを叱り飛ばす母親。走り回る事務員と看護師。
一日の始まりだ。
医療用語解説
・コッヘル鉗子
主に外科手術で使う鉗子の一種。鉗子ははさみのような形をしているが、主にいろんなもの(血管、組織、臓器、ガーゼ、チューブなど)を掴むためにある。コッヘル鉗子は小型で小回りが効き、先にギザギザがあるものとないものがある。勅使河原は凶器として使っていたが、隠し持つのにはいいが、正直あまり攻撃力はないと思われる。3000円から10000円くらいまで。
・聴診器
お馴染みの医療機器。体に当てる部分、音を伝えるためのチューブ、挟んで耳に装着するための耳管、耳に入れる耳栓のようなもの(イヤーチップ)からなる。
主に心臓や肺の音を聞くために使うが、昔の水銀柱タイプの血圧計を使う際に上腕動脈に当てて音で最高血圧と最低血圧時の音(コロトコフ音)を聞くために使われる場合も多い。
リットマン、スピリット、ケンツメディコ、ウェルチ・アレンなどが製造。安いものは5,000円くらいから、一番売れるのは10,000円〜20,000円くらいの価格帯のもの
・ER(Emergency Room)
救急救命室や緊急救命室と呼ばれる。科で言うと救命科という言い方もある。
救急車で搬送された際にまずここで処置を行い、そのあと専門の科に回されるが、回されないこともある(死亡するか治癒するか)。
日本では医療体制の違いもあってなかなか定着した言い方がなかったが、最近はようやくERで通るようになってきた。
とりあえず何でも受け持つ必要があるので、あらゆる医療科が一通りできなくてはならない。
飛行機で「この中でお医者様は…」と言われて一番重宝されるのがER医。
医師の中でも「ERはなんでもできる」と一目置かれている…とかいないとか。




