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第7章:視察者の眼

第7章:視察者の眼


視察の日、ハリラ学舎の前に現れたのは、艶のある黒髪を後ろに束ねた、淡い緑の外套をまとった青年だった。


「フェザス家三男、リアム・エルネスト・フェザスです。視察の許可、感謝いたします」


丁寧な口調。だが、その瞳にはどこか乾いた虚無があった。


アカイアは一瞥して、それを見逃さなかった。


「堅苦しいのは抜きだ、リアム。こっちは毎日、泥と汗と子どもにまみれてる」


その言葉に、リアムはわずかに目元を緩めた。



リアムは一通り、授業を巡った。


読み書きの教室では、7歳の少女が「壷の詩」と題して、火と赦しについて綴っていた。

木工の部屋では、少年が改良型の収穫道具を手に、設計意図を熱弁していた。

カミカゼの前では、魔石の圧縮率と民家の断熱効率について、十歳の子らが議論を交わしていた。


「……これは、想像以上だな」


ぽつりとつぶやいたリアムに、随行していた護衛がちらと目をやる。

だが彼はそれに気づかず、ただ、どこか遠いものを見るように教室を眺めていた。



視察を終え、簡易テラスで茶を啜る二人。


アカイアは汗をぬぐいながら、麦茶の器を片手にくつろいでいた。


ふいに、リアムが口を開く。


「アカイア殿……あなたは、“秩序”をどう思いますか?」


「ん? またざっくりした質問だな。どこから話せばいい」


「私は幼い頃から、“支配は必要悪”だと教えられてきました。

だが、ここの子たちは、命令もなく、自ら学び、働いている。

これは……“秩序”ですか? それとも、“混沌”ですか?」


アカイアは一瞬黙り、器を持ち上げ、静かに一口すすった。


「リアム。秩序ってのはな、“誰かの支配”じゃない」


「……」


「“全員が納得して動ける仕組み”だ。支配は、その一つの方法に過ぎん。

だがここでは、“自分で選んだ知識”が、互いに補い合って自然と秩序を作ってる。

もしそれが混沌に見えるなら……教え込まれた“秩序観”の方が、たぶん間違ってんだよ」


リアムは何も返さなかった。


だがその視線の奥に、微かに揺れるものがあった。

焦燥とも、解放ともつかない、感情のひだが静かに揺れていた。



帰りの馬車の中。揺れる車体の中で、リアムは窓を見つめたまま、拳を握りしめていた。


(なぜ、こんなにも……心がざわついている?)


(あの少女が“学びたい”と目を輝かせた瞬間、何かが……胸の奥で崩れた)


(私は……あんな顔をしたことが、あったか?)


リアムの中に、幼い頃の記憶がよぎる。

父の命令に黙って従い、兄の陰に隠れていた自分。


(兄たちは力と権威で争い、父はすべてを支配しようとする)

(だが……あの学舎には、“支配の外”にある何かが、確かに存在していた)



数日後。


ハリラ領には、一通の封書が届いた。フェザス家の紋章付き――だが、公文書ではなかった。

それは、リアム個人からの私的書簡だった。


『アカイア殿


先日は視察の機会を賜り、誠にありがとうございました。


一つ、願いがございます。


もし許されるのなら、今度は“視察者”としてではなく、“学ぶ者”として――


私に、あの学舎の門を、もう一度、開いていただけませんか』


その文を読んだアカイアは、静かに笑った。


「さて……一人目の貴族が“落ちた”な」



風が吹く。

その風の中に、新たな波紋の予感があった。


貴族という硬直した石に、小さなひびが入ったのだ。

そこに芽吹くのは、知識か、希望か、あるいは革命か――


アカイアの眼は、次なる訪問者をすでに見据えていた。

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