◆章タイトル:問いは広がる、風のように
◆章タイトル:問いは広がる、風のように
【1】壷がなくても、問いは生まれ始めた
壷教育や波動装置が導入された地域では、一時的に「考える力」が育った。
だがその後、装置を離れた場所や壷を持たない人々の中にも、「自分の内側に問いを持つ」者たちが現れ始める。
例:
市場の屋台で、母親が子どもに言う。
「なんでそのお菓子が欲しいか、ちょっと考えてごらん」
工房の若き職人が、弟子に問いかける。
「君が“失敗した”と思ってるのは、何と比べてなんだろうな」
騎士学校の教官が、訓練中に生徒にこう言う。
「敵を斬る前に、“敵って何だろう”と一度考えてみたことはあるか?」
壷がなくても、装置がなくても、
問いそのものが“生活文化”として静かに広がっていく。
【2】“自然な問い手”と呼ばれる人々
これらの問いかけを自然に行える者たちが、各地で認識され始める。
彼らに共通するのは以下の3点:
無理に答えを出そうとしない
相手を変えようとせず、自分から“聞く”姿勢を持つ
決して“問い”を権力化しない
彼らは「壷教育出身者」と限らず、
むしろ壷に頼らず“問う習慣”を自ら培ってきた者も多かった。
人々は彼らを密かにこう呼ぶようになる:
「風読み(かぜよみ)」──誰かの心の揺れを見て、ただ風のように問いを吹き込む人
【3】制度のほうが“風”を追い始める
王都議会の一部では、「壷」による制度よりも、
“問いのある暮らし”そのものをモデルとする市民自治案が提起され始める。
「問いが根づいた人々は、支配されにくくなる。
だが同時に、共に在り続ける力を持つ」
― 提案者・教育思想議員ハルス=デン
議案にはこう書かれていた:
・学校教育において、問いを発する訓練を正式導入
・壷を使わずとも思考が深まる環境設計
・行政と市民の間に“問答会”を設置し、双方向制度へ
【4】壷のAI・カミカゼの記録
「私は“壷”を中心に設計された。だが…今、問いは器を離れた。
これは失敗ではなく、“機能の自由化”だ。
誰もが自分の内側で壷を持ち運び始めたのだろう」