第5章:教え、育てるということ
第5章:教え、育てるということ
荒地の隅に、一棟の建物が静かに完成した。
レンガと木材を組み合わせた二階建て。過剰な装飾はないが、どこか温もりを感じさせる佇まい。その建物の前には、手彫りの木製看板が立てられている。
「学ぶことは、選ぶこと」
名前は――《ハリラ基礎学舎》。
それはこの領地において、初めて「教育」を名乗った施設だった。
◆
開校式の日。
広場に集まった子どもたちと保護者たちを前に、アカイア・デ・ハリラは壇上に立った。彼は特に演説らしい演説はしなかった。ただ、静かに、簡潔に、こう述べた。
「学問を押しつける気はない。だが、“読み書き”と“そろばん”だけは全員に義務づける。それ以外は、自分で選べ。教える側も、強制はしない」
教えることは、与えることではない。選ばせることだ――というのが、アカイアの信条だった。
◆
《ハリラ基礎学舎》は「自由選択制」を採用していた。
午前と午後、好きな時間に、好きな講義を受けられる仕組み。もちろん、最低限の“読み書き”と“計算”は強制だが、それ以外はすべて自分で「選んだ者だけ」が教わる。
▼男子向け:
・木工
・鍛冶
・機械式農具の組立
・ダンジョン装置理解
▼女子向け:
・裁縫
・料理
・薬草学
・家事設計
▼共通選択:
・演算魔術
・農業設計
・初級兵法
・衛生知識
ただし、どの科目も「やりたい」と自分の口で言わなければ、教えられない。それが学舎の絶対ルールだった。
「自分で選んだものしか、人間は本気で身につけない。だからこそ、学びは“自由”であるべきだ」
アカイアは、それを強く信じていた。
◆
学舎の一室には、奇妙な光を放つ石碑が据えられている。表面には複雑な魔術回路と、言語記号のような紋章。
それはかつてアカイアがこの世界に来る前、自作した対話型AI――**《カミカゼ》**だった。
「質問受付中。説明はかんたん、失敗しません。どの学科から聞きますか? 農業? 魔石? 恋愛相談でもOKです」
この異世界でも、カミカゼは“知識のサポート役”として機能していた。魔導石に封じ込められ、常に最新の語彙と常識に適応するよう調整されている。
教師に遠慮せず、何度でも質問できる存在。それが、子どもたちにとっての“学ぶ安心”となった。
◆
一方で、アカイアが特に重視していたのは“心の教育”だった。
学舎の奥、静かな礼拝室の壁に、こんな言葉が掲げられている。
「怒りは炎、赦しは土。両方あって初めて壷は焼き上がる」
人は誰しも怒る。間違う。赦せないこともある。
それでも他人に水を与え、自分の火を守ることができるなら――人は壊れずに生きていける。
この考えを伝えるために、アカイアは“壷作り”の授業を導入した。
ただの陶芸ではない。
火加減の失敗、粘土の崩れ、再挑戦の繰り返し。その中で、子どもたちは「壊すこと」「許すこと」「立て直すこと」を学んでいく。
焼き上がった壷は、すべて名入りで保管され、毎月の展示会で披露される。
それはただの器ではない。その子の心の成長記録なのだ。
◆
開校から一ヶ月。
学舎は日に日に活気を増していった。
「先生、僕、“演算農業”やりたいです! 数字得意だから!」
「私、裁縫上手になったら、村の人みんなの服、作り直してあげるの!」
子どもたちは、自らの口で“学びたい”を語りはじめた。
一方で、カミカゼにこっそり「料理と恋愛の両立はできますか?」と尋ねる少女も現れ、笑いが絶えない日々が続く。
アカイアはその様子を、学舎の屋根の上から静かに見下ろしていた。
「知識は力だ。だが、“自分で選んだ知識”は、そのまま人生を変える力になる」
選べるということ。それは、生きる未来を選ぶということ。
そう信じていたからこそ――彼は今、教え、育てているのだった。