第3章:影を動かす
第3章:影を動かす
ハリラ領、屋敷の地下。ひんやりとした空気が流れる石造りの空間。かつてダンジョンの管理室として使われていた場所は、今やもう一つの“中枢”となっていた。
アカイア・デ・ハリラは、部屋の中央に立ち、無言のまま前を見渡す。そこに整列しているのは、黒装束の男女、総勢40名。いずれも一般には存在が知られていない、裏工作専門部隊だ。
「集まってくれて感謝する。今日からお前たちは――この領地の“影”だ」
低く響く声に、全員がひざまずく。
その役割は、5つの任務に分類されていた。
防諜:20名
→ スパイ摘発、情報遮断。敵の目と耳を潰す。
内部浸透:30名
→ 他領・貴族家・都市部に溶け込み、影響力を構築。
情報収集・偵察:20名
→ 各地の動向、発言、物流などを記録。
攪乱・破壊工作:10名
→ 必要に応じて敵の作戦・施設を破壊。
内部偵察:10名
→ ハリラ領内の裏切り者、反乱分子の監視。
リーダー1人、メンバー3人の4人小隊で1チーム。10チームが構成され、全員がアカイア直属。任務時以外は姿を見せない。
「他の誰にもできない仕事を頼む。だが、リスクに見合う報酬は必ず出す」
アカイアは机の上の羊皮紙を広げる。そこには周辺貴族の名と、その立場・性格・経済状況が細かく書き込まれていた。情報班が仕上げた、極めて精緻な“領地環境マップ”だ。
「――まず、初期任務だ」
アカイアの指先が、一つずつ名前をなぞる。
「周辺貴族に、“賄賂”を送る。ただの金じゃない。状況に応じた最適な枚数だ。やりすぎれば疑われ、少なすぎれば舐められる。そのギリギリを、お前たちに見極めて運んでもらう」
裏方の賄賂。それはこの世界における“外交の第一歩”。
もちろん、額だけでなく“贈り物の選定”が重要だ。ここで、情報班の成果が活きる。
強欲だが実利主義の老貴族 → 金貨15枚+高級酒+香木
→ 「こいつは得になる」と思わせるセット。
見栄っ張りな文化派 → 金貨8枚+金細工入りの手鏡
→ 金額より“贈るセンス”が鍵。
信仰深く清廉な高司祭 → 金貨5枚(表向きは“神殿への寄進”)
→ 賄賂とは思わせず、自然に納得させる。
若手の新興貴族 → 金貨3枚+口利きの言葉
→ 金より“将来性”の演出が大事。
「目的は3つある」
アカイアは声を落とし、全員に目を配る。
「一つ。ハリラ領を“放置しても害はない”領地と認識させること。
二つ。アカイア・デ・ハリラを“使えるヤツ”と印象づけること。
三つ。もし隙があれば、こちらから先手を打つ準備を整えること」
影の動きは、光に先んじる。
農業も、街道整備も、教育も――すべては“表の顔”。だが、国家や貴族の世界では、正攻法だけで生き残れない。
アカイアはそのことを、前の世界で嫌というほど知っていた。
「組織を強くするのは、金と信用と、そして――裏の手だ」
各チームは静かに動き出した。黒い影が屋敷の奥へ、地下道へ、夜の森へと溶けていく。
アカイアはひとり部屋に残り、羊皮紙を見つめながら、声をもらした。
「情報と根回し。これがなけりゃ、領地運営なんて絵に描いた餅だ」
ダンジョンによる食糧供給、住民の労働力再編、井戸の確保に、学習機会の整備。
ハリラ領の改革は順調に進んでいた。だが、それを脅かす“外部の圧力”は、まだ完全に沈んではいない。
この世界は、甘くない。
表では人当たりよく、裏では刺し違える覚悟で動かす。それが“領主”という仕事なのだ。
「表では農業とインフラ整備、裏では根回しと浸透。……これが“領地経営”ってもんだろ」
静かな地下に、アカイアのつぶやきが響いた。