第1章:目覚め
第1章:目覚め
カプセルの蓋が、ゆっくりと開いた。
密閉された眠りから目覚めたアカイア・デ・ハリラの身体は、まだ重かった。冷却から解かれたばかりの筋肉が軋み、視界はぼやけ、頭の奥がズキズキと痛む。
「……チッ、やっぱり50年はキツいな。歳は取ってねえけど、感覚が鈍ってる」
薄く笑いながら、アカイアはゆっくりと身体を起こした。眠りについたときと同じ服を身にまとい、冷却施設の周囲を見渡す。機器の大半はすでに停止しており、人工知能も応答はなかった。だが、それは想定内だ。
彼は数分間ストレッチをした後、ローブの中から一枚の石板――自己情報プレートを取り出し、確認した。
そこに記されていたのは、現在の彼の社会的地位だった。
名:アカイア・デ・ハリラ
地位:準男爵(ナノボタン王国)
領地:ハリラ領(未開拓地)
特権:ダンジョン制御権、内政権限、徴税権、治外法権(限定的)
「準男爵、ね……まあ、名ばかりでも貴族は貴族か」
彼は冷笑する。かつての世界で、名ばかり管理職を経験した彼にとって、肩書きなど信用に値しない。問題は中身、権限、そして周囲の状況だ。
ハリラ領。それが彼に与えられた領地だった。
面積だけは一国分あるが、実態は「未開拓地」に等しい。道路もなし、インフラもなし。山、森、湿地、魔物の巣。人が住むには不便すぎる場所だ。
人口はわずか300人。その大半は流民出身者や放逐された元農民、出自の不明な者たち。だが、彼らには一つの共通点があった――「傲慢ではないこと」。
50年間、装置は着実に働いた。
王都は、少しだけまともになった。搾取は減り、無駄な戦争も減った。民衆は、支配者の横暴を「当然」と思わなくなっていた。搾取されない世界に慣れはじめていた。
「やっとかよ……お前ら、50年かけて、ちょっとはマシになったんだな」
広大なハリラ領に立ったアカイアは、風に吹かれながら呟いた。目の前にあるのは原野。遠くに森林が見えるが、人の気配はない。
だが、彼は知っていた。この地の地下には、かつて自らが仕込んだ「もう一つの装置」が眠っている。――ダンジョン。
本来は魔物の巣窟とされるその空間も、アカイアの手にかかれば違う。彼は「ダンジョンマスター」として、ダンジョンを改造し、管理し、活用できる立場にあった。
「魔力と気の流れも……正常だな。装置の浄化効果、やっぱ本物だったか」
世界の構造自体が、かつての彼の仕掛けによって“浄化”されていた。魔力の乱れも減り、土地の穢れも減少。開発可能な土地が増えていた。
これは、領主としてのスタートには理想的な条件だった。
金はない。人材もない。だが、信頼と、労働意欲と、少しだけ素直になった人々がいる。内政に必要なのは、まず「土台」だ。上から押しつける支配ではなく、下から育てる制度と秩序。
そして何より、アカイアには“仕組み”を作る頭があった。彼はシステム屋ではなかったが、小売店での現場経験と、理不尽な社会に耐えた経験があった。すべての歯車の役割を知っていた。
「いいだろう。店長の次は、領主ってか。やってやろうじゃねえか」
そう言って、アカイアは木の棒を一本拾い、地面に線を引いた。そこが最初の境界線になる。倉庫をどこに建てるか、井戸はどこに掘るか、訓練所は、畑は、住居は――そのすべてが、今この瞬間から決まっていく。
彼にとっては、これが「再スタート」だった。
もう革命家ではない。もう正義の使者でもない。
今度は一人の領主として、300人の人々を食わせ、住まわせ、守っていく。
それは地味で、果てしなく面倒で、気の遠くなるような仕事だ。
だがアカイアは、むしろそういう仕事にこそ“本気”を出す男だった。
なぜなら、それが「現場」だからだ。
そして、彼の歩く先には、誰も知らない未来がある。