プロローグ:傲慢を削る装置
プロローグ:傲慢を削る装置
その装置は、音もなく、熱もなく、ただ「波」を放っていた。
王都の地下深く。金箔と大理石で飾られた玉座の下、誰にも知られることなく埋められた金属の塊。それと同じものが、世界中の貴族の屋敷、権力者の城、国家の中枢の土台にひっそりと存在している。見た目はただの金属製の箱。光るランプすらない。が、確かに「それ」は機能していた。
名を「傲慢性消去波動装置」という。
その名のとおり、それは“傲慢”という感情に反応し、それを持つ者から代償を徴収する。代償とは「力」。魔力、知力、体力、精神力。人が持つあらゆる資質を、少しずつ、だが確実に削っていく。初日は1%、次は3%、ある日は10%、最も酷ければ一日で30%もの力を奪われる。しかも、それは傲慢が続く限り、際限がない。
そして何より、恐ろしいのはその徴収が「血」にまで及ぶことだった。
傲慢な貴族の子は、何もしていなくても生まれながらにして損耗する。王族の孫も、権力者の娘も、逃れられない。彼らが「高貴なる血」と信じてきたものは、今や“搾取される血”となった。波動装置は静かに、冷酷に、確実にそれを続けている。
誰が、何のために?
答えは簡単だ。
それを作り、仕組みを構築したのは、かつて日本の片隅でコンビニを切り盛りしていた男。元・ダイエー店長、柱 次郎。ブラック企業で心を擦り減らし、理不尽なクレームに頭を下げ続け、部下をかばって会社に見捨てられた男。そんな彼が異世界に転生し、新たな名を得た――「アカイア・デ・ハリラ」。
転生後のアカイアは、まず観察した。
この世界の支配層は、前世で見てきた“客”と似ていた。特権を振りかざし、努力を嘲笑い、他者を踏みつけて笑っていた。彼らは決して、自分が「傲慢」だとは思っていない。むしろ、それを当然の“権利”と信じて疑わなかった。
だからアカイアは、そこに「仕組み」を差し込んだ。
誰も直接罰しない。誰も裁かない。ただ、傲慢であればあるほど、自動的に“力”が減る。しかも、それに気づいたときには既に代償が積み重なっている。
抵抗しても無駄だ。この波動装置は、あらゆる魔術の上位にある存在――「構造魔学理論」によって設計されている。破壊不能、遮断不能、無効化も不可能。ただ一つ、装置の影響から逃れる方法があるとすれば、それは傲慢でなくなること。ただ、それだけ。
だが、それができる者が、果たして何人いるのか?
アカイアは、決して直接的な革命は起こさなかった。剣を取らず、民衆を煽らず、暴動も起こさせない。代わりに、支配層の内部から、静かに、ゆっくりと彼らの“土台”を腐食させていったのだ。
やがて、各地の名門貴族の家系が没落し、天才と言われた王子が急に凡庸になり、謎の衰弱により退位を余儀なくされた王が続出した。それを「呪い」と恐れる者たちもいたが、原因を突き止める者は誰一人いなかった。
そしてすべてが整った後、アカイアは一つの施設へと足を運び、自らをコールドスリープのカプセルに横たえた。
「目覚めるのは50年後……だな。さて、この世界は、少しはマシになってるか?」
そう呟いて目を閉じた彼の心には、怒りでも復讐でもない、冷めた期待だけがあった。
傲慢な支配者が崩れ去り、その空白に生まれる新しい秩序。そこに、人は「まともさ」を見出せるのか――それを、彼は見たかっただけなのかもしれない。
そして時は流れた。
50年後、世界は静かに、しかし確実に変わっていた。
カプセルの中で眠っていた男が、まもなく目を覚まそうとしている。
彼が再びこの地を歩くとき、かつての傲慢は残っているだろうか。
それとも、装置は本当に人類を変えたのだろうか。