プロローグ
寒い。肌を突き刺すような気温が、彼女の最初の感覚だった。
薄く目を開けた、ぼやけた視界が徐々にはっきりと見えてくるにつれ、他の感覚も取り戻される。鉄格子から漏れる月明かり、ガタガタと揺れ動く感覚、ジャラジャラと床が揺れるたびに微かに音を立てる鎖、うなだれるやせ細った子供たち。
「ぁぁ…」と、少し息をついて彼女もまたうなだれた。床に垂れた長い長い黒い髪を視界に移し、また目を閉じた。
彼女は幸福な少女だった。幸せな家庭、仲の良い友人、尊敬できる教師。彼女はそれなりに、満たされていた。
しかし、彼女は死んだのである。看板が頭上に落ち、一瞬でその命は失われた。
「……は」
次に彼女が見たのは一面真っ白な空間だった。その場に立ち尽くし、茫然とした。しばらくそのまま立ち尽くしていたが、仕方がないので一歩、また一歩、歩き始めた。終わりが無いような白い空間を歩き続ければ、木製のドアがあった。そこには「open」と書かれたホワイトボートが掛けられている。彼女が訝しげにドアを開ければ、長机をはさむようにソファーが二つ設置された部屋があった。相変わらず、ソファーと長机以外は真っ白だ。
暫くその空間を見つめていた彼女は、迷うことなく手前のソファーにかけた。まるでこうするべきだと体が覚えていたかのようだ。
彼女が座った瞬間、目の前にスーツを着込んだ見目麗しい人物が座っていた。白い髪をした、20代くらいの男の様に見える。最初からここにいたように、その人物は真剣にファイリングされた書類を見つめていた。
「えー……水無瀬いづき様ですね、14年間お疲れ様でした。」
淡々とした、男とも女とも言えない声だった。
「………あの、…ここはどこですか。」
「あなた方の概念で言えば死後の世界ですね、それでは今後の事についてですが…」
「あ!あの!困ります!!私帰ったら塾があって…帰していただきたいんですけど…」
「死んでるので無理ですね。水無瀬いづき様の人生は終了いたしましたので、次の生命へとご案内させていただきます。」
「…いや、いやいやいやいや……嘘、ですよね…死んだ?私が…?」
「はい。ご臨終です。」
彼のただただ事実を告げるだけの声色に、彼女は顔を青くしてソファーにさらに深く腰を下ろすだけだった。目の前の人物が何か言っていることは認識できるが、言葉の中身は彼女の頭に全く入らない。彼女の頭を埋め尽くしているのは、遺してしまったのであろう家族や友人の事だけだった。
そんな彼女の様子を全く気に留めずに、説明を続けていた彼の話も終盤に差し掛かった。
「__以下の条約により前回と同じ世界に誕生することはできませんのでご了承ください。それでは次に誕生していただく世界までご案内させていただきます。」
「へっ…あ、あのっ…」
「申し訳ございませんが生前についてのご質問はご遠慮ください。」
「い、いやそうじゃなくって、次の生命ってつまり転生ってことですか!?」
「はい、あなた方人類の魂は輪廻転生をしていただくこととなっております。その際記憶は消す場合と残す場合があるのですが、貴方は…嗚呼、今回は全その記憶を受け継ぐことになっていますね。」
「そ、そのまだ実感がまだってぇうわっ!?」
彼女の身体がまるで操られたかのようにソファーから勝手に立ち上がる。それを一瞥した彼もまた立ち上がり奥の空間へと歩きだす。彼女の身体はそれを勝手に追いかける。訳も分からず抗議の声を上げる物の彼は気にも留めずにひたすら歩みを進めるだけだ。
暫らく進むとぽっかりと開いた真っ黒い穴があった。大きく口を開けている穴はただの黒いインクの湖にも見えた。トンッ、と背中に軽い衝撃が走る。
その瞬間、ぐわりと彼女の身体が浮いた。否、落ちた。
最後に聞こえたのは何の感情もこもってないような彼の声だった。
「それでは、ご健闘をお祈りします。」
「えっっちょっうわああああああああああああ!?!?!?」
そうして、今に至る。
彼女は考えた、スピーディーが過ぎる、と。そもそも前世の死すらもまだ実感しないうちに次の生命へと送られた。しかもその体は割ともうすでに成長しているときた。赤ん坊からならまだ、まぁわかる。しかし、この体は手足も発達しているし髪も伸びきっている。元の身体の持ち主が死んでから、私の魂が入ったとでも言うのだろうか。
寒い寒い夜に、痛むからだと慢性的な空腹を訴える身体、己のこれからに少女は少しため息をついた。
この話はフィクションです。実在するすべてと関係はございません。




