拉致(3)
時は少し遡る。
マリーが兄を名乗る男に連れ去られたその日の朝、つまり巨大な単眼鬼と戦闘した半日後に、サキとリュードッグの姿はマゴダ村のさらに南、城塞都市キノハにあった。
キノハは、ムールン公国の領土の北部と中央部の境目に位置する。
これより南へ進むと人口密度の高い地域に入るうえに、北東へは隣国ハーケンへ繋がる街道が伸びている。交通の要衝であった。
代々のムールン公爵はこの地を重要な防衛拠点と考えてきた。
人ならぬ敵は北東から来るのであるから、当然である。
キノハの北部は、山がちな地形が続くのだが、中央部以南は開けた平野部となっている。もし混沌の軍勢がハーケンを出てこの地へ押し寄せて来たならば、自然とキノハ周辺を通過することになる、そういう場所にこの都市は陣取っていた。そのため、キノハの堅固な城壁と駐留する軍勢で相手の進軍を押しとどめ、反攻に移るための時間を稼ぐのが古来よりのムールン公国の基本的な防衛戦略であった。
そのために、キノハ中央部には二重の城壁が張り巡らされ、二万の兵が駐留していた。配備された魔動鎧の数も三十領を超える。これはムールン公国が所有する魔動鎧全体の約四割に当たる。
二万もの兵が駐留するキノハは、軍事拠点であると同時に商業拠点でもあった。
元々交通の要衝であった事に加えて、駐留兵たちの消費に期待した商人たちが集まり、市が立ち、飲食店が並び、宿が看板を掲げ、娼館が門を構えた。さらに、近隣の農村部から、親から相続する土地を持たない次男坊以下の有象無象が職を求めて集まると、城壁の外に住み着いた。
こうして城塞キノハは、二重の城壁の中には軍民合わせて約五万人が、そして城壁の外には二十万人近い住民が居住する、ムールン公国第二の都市キノハへと変貌を遂げてきたのである。
サキとリュードッグが訪れたのは、この城壁の内側である。
通常は、ふらりと訪れた旅人が城壁の内側に入ることは出来ない。本来のキノハの役割が軍事拠点であることを考えれば当然だった。そうでなくとも、ただでさえ城壁の内側のほうが人口密度が高いのであるから、外から無制限に人が流入すれば本来の役目を果たすのにも支障が出るのは明白だ。
城壁の外で馬を預けて城壁内に入ろうとした二人も言うまでもなく、番兵に阻まれたのであるが、どこの世界でも鼻薬を嗅がせれば多少の無理は通せるものである。
二人がこの都市を訪れたのにはもちろん理由がある。
前日、マコク山の山中に現れた巨大な魔物、単眼鬼についてしかるべき人物に警告を発するためであった。
二人がマコク山の遺跡からマゴダ村に戻ったのは前日の夜更けになったが、それから夜を徹して空馬を引いてキノハまで駆け抜けた。この二人の場合、本当に急ぐときは馬に乗るよりも馬に荷物を預けて走ったほうが速いのだ。キノハについた頃には夜が明け始めていたが、通常は丸一日以上かかる道程だということを考えれば驚異的な速さと言える。
しかし、城壁内に入ったのは良いものの、身分を隠したまま伝手もなく責任ある立場の者に会えるわけもない。どうしようかと、思案しているところで思わぬ人物に会った。
「これはこれは、サキ様、それにリュードッグ様ではありませんか?」
サキ達が振り返ると三人の男達がいた。皆、ミノカ村の男達である。声をかけてきた中央の中年太りの男は、ミノカ村の村長の補佐役であるポロだった。ポロが恭しく親指を唇に押し当てて挨拶代わりの聖印を結ぶのをみて、サキとリュードッグは同じように聖印を結んで返す。
「おお、ポロ殿ではないか。こんなところで如何いたした?」
リュードッグは問い返しながら、ポロが大公への陳情のために村を離れていたことを思い出した。
「ええ、それが、魔物が出没したことを報告するためにキノハの城主ゴルデ様に謁見を申し込んだのですが、ずっと待たされたままで、まだお会い出来ていないのです。今朝も朝一番に城館へ伺ったのに、文字通り門前払いにされてしまいまして」
ミノカの村から、キノハまでは二日ほどかかる。ポロたちの一団が村を出たのが四日前であるから、丸一日以上は待たされているということになる。
「ふむ、悠長なもんですな。用向きは伝えているのでござろう?」
「それはもちろん。三頭の巨大な魔物が現れたということを大急ぎお伝えしたいと、そして無防備なミノカの村に兵士を派遣してほしいと伝えてあります」
「うーむ、それはまたおかしなものですな。領内に魔物一頭出ただけで大騒ぎするのが普通だというのに、丸一日も無駄にするとは」
魔物という単語を聞いて、通りかかった通行人が怪訝な顔をしてリュードッグを盗み見て通り過ぎて行った。離れたところでもう一度振り返っている。
「ええ、まったくです。それに、サキ様が不審な男に襲われたという話も伝えているのですよ。何はともあれ兵士を送ってほしいのですが……」
「なるほど。……その城主のゴルデという男、言葉は悪いが少々愚鈍なのではあるまいか」
「わわわっ」
ポロは慌てて大声を上げると、リュードッグの口を手で塞いだ。
「リュードッグ様、キノハの城主ゴルデ様は大公様のご嫡男ですよ。滅多なことを言わないでください」
ポロはささやき声で二人に告げながら、辺りを見回して誰にも聞かれていないかを確認する。ポロが「気を付けてくださいよ」ともう一度念を押してリュードッグの口から手を離すと、リュードッグは珍しくかしこまって謝った。
「そ、それはすまなんだ。それがしが迂闊でござった。それで、ポロ殿はこれからどうされるのかな?」
リュードッグの言葉に、ポロは「ええ、そうですね」と曖昧に返事をすると、もう一度辺りを窺って誰も聞き耳を立てていないことを確認して、低い声でつづけた。
「これは噂で聞いた話なのですが……城主様には歴戦の勇士の方が補佐役としてお付きになっていて、その方は大公様の信任も厚く、領民にも情け深い方だと聞きます。その方に取り次いでさえもらえれば、便宜を図って頂けると思いますので、もう少し粘ってみるつもりです」
「この城塞都市キノハはムールン公国はおろか、西方諸国にとっても北方守備の要でござるからな。それ相応の方が補佐についているというのは当然でしょうな」
納得した様子のリュードッグにポロは頷くと話題を変えた。
「ところで、サキ様とリュードッグ様はこちらに何かご用でもありましたか?」
旅の途中で寄るのであれば、宿をとるにせよ不足した品を買い求めるにせよ、城壁の外で事足りる。わざわざ城壁の中に入ってくるということは、特別な用があるということがポロにも分かったのだろう。
「ふむ、それがですな、実はサキ様とそれがしでマコク山の塔と呼ばれる遺跡を見に行ったのですが」
「おお、塔を見に行かれたのですか?」
「ええ、あれは立派な建物でしたな。しかしそこでも、魔物と出会いましてな」
「なんと! 塔にまで魔物が……? またあの大きな犬ですか?」
「いや、人型の大物でござる。軍の分類でいうところの乙種四級という……」
「ドグ、ちょっと待って」
リュードッグの話をサキが遮る。
「サキ様、どうかなさいましたか?」
サキは額に手を当てて何かを考えこんでいた。
「何かおかしい……」
ぼそりとつぶやくと、はっと何かに気づいたように顔を上げた。
「ドグ、来い! 急げ!」
突然駆け出した主人の後姿を見て、リュードッグはポロに声をかけながら主人を追いかける。
「ポロ殿、話の途中だがそれがしはこれで。帰り道にお気をつけてな。……サキ様ー! 一人で先に行かれては困りまするー!」




