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一旦仮  作者: 羽田智鷹
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目を覚ますといつもの天井に見慣れた人工の星々がキラキラと輝いている。


スマホの電源を入れる。

8月12日。天気は晴れ。


早く寝たからか、いつもよりも早く起きられた。

今日は三年生になった河井の最後の夏の大会を見に行く日だ。

僕は出掛ける準備に取りかかる。


しかし寝る前に準備しておいたリュックも、勉強に使っていた三年生の教科書の数々もそこにはなかった。代わりに歴史に関する分厚い本だけが山積みにされている。


僕は何やら違和感を覚えた。

スマホの場所。

片付けられた食器の位置。

何も置かれていないまっさらな机。


何かが違う。

いや、何もかもが違う。

その違和感の原因を辿っていく。

 

8月9日、火曜日。


僕はこの日河井と劇の脚本完成の祝勝会をした。


あの遠い記憶がつい二日前の出来事だった。

でもずっとずっと遠い、昔の出来事のような感覚がした。


確かに祝勝会をした火曜日のことは鮮明に思い出せる。

それでも、二年生の冬も、三年生の春も、夏の思い出も、頭の中に確かに残っていて、問題だらけの日々を二人で悩んで頑張ったからこそ、上手に解決してきた今があるはずだ。


今日が目標にしてきた日であり、河井の陸上の集大成となる日のはずだった。

頭の中にある、河井と三年生の夏まで続く長くて楽しい時間を過ごした確かなはずのこの記憶は存在しないとでもいうのだろうか。


思い返した記憶に潜む違和感の正体に、僕はやっと気がついた。

学校祭を終えた日から、寒かった冬、暖かくなり満開の桜を見た春、そしてこうして夏になるまでに河井と支え合った日々の中で、僕は”歴史渡り”としての仕事をした記憶がないのだ。

それだけではない。

二日に一度しか目を覚さないはずなのに、僕は河井と毎日楽しく過ごしていたような感覚があるのだ。


僕はある結論に辿り着く。

決して信じたくはない、残酷な事実だった。


僕は恐らく夢を見ていた。

夢の中の僕は”歴史渡り”をやっておらず、普通の高校生として過ごしていた。

まる二日間眠り通して見た夢にしては、すごく長くて、内容と幸せな感情の詰まった夢だった。


僕は“歴史渡り”になってからというもの、現実と夢の混同を防ぐために一度たりとも夢を見たことがなかった。

そういう身体になっていた。


だからこの記憶が夢であるはずがなかった。

でもそれだと、現実と記憶の辻褄が合わないのだ。


あれが夢だったと認めるまでにしばらくの時間がかかった。

一体どこから夢だったのか。未だに理解が追いつかない。

たった二日間で見れるはずの内容じゃなかった。

そのくらい長い時間の中でいろいろなことが起こって、とても濃い日々を過ごしていた。


夢だと気づいて、僕はしばらく他に何も考えられなかった。

幾度と見た河井の笑顔が頭から離れない。

夢だと思いたくなかった。

放心状態のままで僕は仰向けのままずっと天井の星を見ていた。

 

夢の中で僕はとても幸せだった。

夢に夢中で浸っていられるほどのリアリティがあった。

これからの僕の行動次第であの夢は現実に出来る。

そう思えるくらいの実感があって、湧き上がる失望は計り知れなかった。


”歴史渡り”をやめ、河井の告白を受け入れた人生はとても楽しそうだった。

でも、この特異な体質のせいで、河井とは同じ時間の共有ができない。

ただの夢物語だった。


今日もクラスで劇の練習がある。

僕は最悪の気分を打ち消すため、そして河井に会いたくて学校へ向かう支度をする。


予定の時間から二時間ほど遅れていた。それでも急ぐ気にはなれず、足取りは重かった。


駅の改札をくぐっても僕を待っている女の子はいなかった。

それで良かった。

それで良かったのだ。

でも心のどこかであの幸福感を求めている。

目を閉じれば優しく話しかけてくれる声すら聞こえる気がした。

あの幸福の残滓を探せと、心はうるさく訴えかけてくる。


劇は最終仕上げの段階ということもあり、河井も藤城もいつも以上に頑張っているように見えた。

僕は演者ではないからクラスに迷惑をかけてないと思っていたが、僕が教室に入ると劇進行が1度と止まり、遅すぎる登校の僕を皆が心配の眼を向ける。

はやる気持ちの整理が付かない心のまま、静かにいつもの観覧席に座った。


僕は劇の様子をただ眺めていた。

今日は一度も河井と話さなかった。

話せなかった。


僕は河井を振った手前、僕からはどうにも話しかけづらい。

それに僕は今、朝の夢に囚われている節もある。

何をしゃべり出すか堪ったものじゃない。

今日は河井と接しなくてよかったとも思った。


河井も僕に振られたことを気にする素振りがあった。

どうやら少し僕を避けているみたいだった。

別に僕はそれでも構わない。

河井が前のように上の空で劇の進行に支障が出ることがないよう、河井に何かありそうだったら今度は片山が相談にのってやってほしい、と片山に伝えた。


日頃から河井のことが気になっている片山のことだ。

きっと上手くやってくれるだろう。

 

こういうときこそ一歩引いて自分を客観的に見ろ。

記録するべき歴史を探して気持ちを逸らせ。

自然に解決してくれる時間を待て。


もうこれ以上辛いことにならぬように、と僕の経験が口うるさく介入してくる。

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