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一旦仮  作者: 羽田智鷹
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河井さんの告白を聞いて不意に昔の記憶が蘇る。

あの時の過ちを繰り返したくなかった。


「僕は今、誰とも付き合いたいと思っていないんだ。河井の気持ちは嬉しい。だけどごめん」

 

僕が河井に笑いかけると、河井は目に涙を浮かべていた。

夕陽が反射して目がキラリと光る。


河井も笑っていたが唇を噛み締めていた。

本当はその気持ちに応えたかったが、痛みは最小限に留めておいた。

僕の笑みはひどく不格好で乾いたものだったと思う。


河井は僕の肩においた自分の手を恥ずかしそうに見つめ、どかそうと動かし始める直前、僕はその手の上に僕の手のひらを重ねた。

その手のかすかな震えを無理矢理にでも優しく包みこみ、僕の体温でもみ消す。


「でも僕はいられる限り河井のそばにいる。河井の話も聞く。今、河井にはやるべきことがたくさんあるだろ。劇も二人でやっとここまで作ってきた。あと少し。僕もできる限り頑張る。だからそれからのことはまたその後にでも考えようよ」


僕の言葉はただ都合のいいことを、ペラペラのその場限りの言葉を並べているだけだ。

自分でも分かっている。


だけどこれでいい。

これが間違いではないのだ、と嫌でも自分に言い聞かせる。

厚意と好意は別物だ。

厚意が好意に変わった瞬間、それは美しいモノから醜いモノに成り果てうる。

河井からのそれが例え僕にとって美しいモノだったとしても、僕は大人としてとるべき行動をとらなければならない。

思春期の思い出がこれからの河井を作っていくだろう。

僕のような変わり者が河井を変えてしまわないように。


夕陽がその半身を海中へと沈める頃、海と空の境界線はとうに消え去り、世界は赤く染まる。

河井の瞳も頬も、今は夕陽のせいで赤く見える。


夏の暑さは幾分落ち着き、蝉の声もいつしか止んでいる。

僕は真っ只中な夏の終わり方を感じた。


夏の終わりはいつだって美しい。

そう決まっているのだ。

別れだって感覚器官で感じられればいいのにといつも思う。

その時を見逃したくないと恐れ、いつだって身構えている。

僕たちの仲はこれが最後だった、なんて展開はどうしても避けたい。


僕たちはその光景に圧倒されて言葉を忘れた。

河井は僕の覆い被さる手をゆっくり振り払って立ち上がると、その景色が最大限に見えるようにつま先立ちになり、思い切り手すりに乗りかかる。果てしない海をじっと見つめている。

僕もゆっくり立ち上がって河井の隣に立ち、河井の見ている同じものを見ようとした。

だけどその直前に僕には違うものが見えてしまった。


河井は静かに泣いていた。

目尻から頬を伝ってこぼれ落ちる。

ただ流れるままに。

何もそれを遮るものはなかった。

壮大な景色に心を打たれたような可憐な顔立ちをしていた。


本当はその頬を伝うものを拭ってあげたかった。

でも僕は高校生ではないし、河井と生きる時間の流れが違う。

僕といては、これからもっとしんどくなる事は身をもって知っている。


「綺麗だね」 


僕がそう言うと、河井はちらりとこちらを見て、一度だけ目元をぬぐった。


「今日、ここに来てほんとに良かった」 


河井はそう言った。

それだけを言った。


展望台からバス停までの道は「恋のロマンスロード」と呼ばれていた。

社叢として天然記念物に指定されているウバメガシはどこまでも続き、天然のトンネルのようだった。

ウバメガシの濃緑色と変り始めた海の紺瑠璃が溶け合い、黄昏時が終わる。

1日の名残惜しさを僕は久しぶりに感じた。


河井の頬は今だに乾ききらない涙の跡を見せ、この時間の優しげな自然光を纏ってキラキラと輝いていた。

僕たちは疲れを忘れて、この心揺さぶられる景色を表す言葉も忘れて、ただ脚だけを動かしていた。


その間、僕たちに会話はなかった。

言葉一つとしてなかった。

この美しい瞬間を僕たち二人だけで共有している。

そんな感覚がひどく心地よかった。


言葉なんて野暮だろう。

僕と同じように河井だってそう思っている。

それだけは自信を持って言えた。

 

それから僕たちは港町らしく海鮮料理を二人で食べた。

豪華な祝勝会の続きだ。

ひんやりと冷たく、新鮮な刺身の数々は僕たちの疲れ切った身体を、素早くまるっきり入れ替えてしまえるほど活きが良くて美味しい。

僕たちが何かを渋っている余裕はない。

だって今を生きているのだから。


バスと電車を乗り継いだ。

帰り道の方が時間は短かった気がした。

車内では今見たものは二人だけの秘密だというように、二人とも感想を言うこともそれ自体の話題に触れることもしなかった。

車窓からの景色は夜になるにつれて存在を消す。

二人でただこれからの話をした。もう直ぐに迫っている学校祭の劇に向けた話をした。


乗り換えとして名古屋駅で降りると、急に人がたくさんいて、呆気にとられた。

二人だけのゆったりとした時間が終わってしまったことをこの身でひしと感じられた。


見慣れた景色が見え始める頃には辺りは真っ暗だ。

河井の駅に電車は先に止まった。


「劇、絶対成功させるから。そのためにしゃちも一緒になって頑張ってもらうつもり。だからこれからはもっと覚悟しといてね」


力強くぴょんと跳ねるように隣の席から立ち上がって、真っすぐ扉に向かっていく。


「ああ、できる限りは頑張る。今日はありがとね。河井の立てた祝勝会、すごく楽しかったよ」 


僕は後ろから声を掛ける。


「それはこっちの台詞だからね。ありがと」 


振り返ってにこりと笑って、返事を明るく投げかける。


河井は最後まで軽い足取りで車両から降りた。

彼女は暗い感情や心苦しいことを抱えているかもしれない。

でも僕はそれを見ることは出来ないのだろう。

決して僕には見せまいとしているかも知れない。


河井とはそういう女の子だと僕は知っている。

僕はその後ろ姿が見えなくなるまで手を振っていた。

電車から降りた彼女は一度も振り返らなかった。



一人になると疲労とともに、今日あった出来事が巻き戻されるように頭の中で順を追って思い出された。

ぐるぐると何度もあの展望台での場面が繰り返される。

河井には辛い思いをさせたかもしれないと、心が何度も痛む。

それでも僕たちの関係は今まで通り、簡潔でフラットなモノに戻れれば、それでよかった。


僕はそれを望んでいるのだ。

過度に高望みはしない。

ただそれだけでよいから。

それだけしか願いはしないから。


自宅に着くと、僕はそのまま倒れ込むようにうつ伏せになってベットに身を委ねた。

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