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一旦仮  作者: 羽田智鷹
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「古久根。お前は高校時代にあんまりいい思い出なんてないだろ。さっきのやりとりを見ていれば分かる。それに比べて二度目の高校生活だっけ。今なんで二度目の高校生活をやっているかは分からんけど、楽しいんだろ。“歴史渡り”をやめて、普通の高校生をやり直したらどうだ」 


ひどく優しげな声だった。

急に何を言い出すんだろうと思った。


「そんな簡単にやめれるわけないだろ。この仕事のせいで失ったものはあるかもしれないけど、今は楽しくやってるし、僕のアイデンティティなんだよ。だから譲れない」


「楽しくね。お前がその特異な体質を隠したせいで、いったいどれほどの人が迷惑を受けたと思っているんだ。“歴史渡り”をやっていれば二度目の高校生活だって満足のいくものにはならないだろ。俺に“歴史渡り”を譲れば、古久根も楽になって高校生をやり直せるんだぞ」


「二度目の高校生活にそこまで期待なんてしてないよ」


僕がいつまでも譲る気がないことは朝倉にも伝わってようだった。


「そういえば“歴史渡り”をやっていると金がもらえるんだっけか。正直言って俺は“歴史渡り”という貴重な体験をしてみたい。金がほしいなら俺が出す。俺さ、研究がそこそこ上手くいっていて、金なら余る程ある。いくらなら“歴史渡り”を譲ってくれるんだ? ほんといくらでも出せるからよ」 


朝倉は説明するように両手を忙しなくと動かして、僕に微笑みかける。

しかし僕にはその笑みの拙さが際立って見える。

そもそもこの会話、会話と呼ぶにはひどく人も熱意も願望も全てが一方通行だった。


「くどいな。何度も言ってるけど、どんなこと言われても“歴史渡り”は譲らないし、勝手に辛いとか決めつけないでくれる? 楽になれるとか普通の生活は楽しいとかそんな言葉、大嫌いなんだよ。突然僕の前に現れて、今の普通の生活がそんなにも楽しくて、上手くいってるのを自慢しにきたのなら、もう帰ってくれない? もともと朝倉と僕、高校生の時接点なんてほとんど無かったんだし」 


朝倉は一瞬戸惑った表情を見せた。


その表情をすぐさま引っ込めるとバンと両手で机を叩いた。

話し声で満たされていた店内が一瞬だけに沈黙へと変わる。

視線だけが集まる。


氷がカラッと空気の読めない音を出し、それがやけに響いた気がする。

耳から悪寒がした。


「こっちが下手に出ていれば好き勝手言いやがって。俺だって人生そこまで順調だったわけじゃねえし、どれだけ大変だったか。今だって全然上手くいってるわけじゃねえんだよ」


朝倉は声を荒げる。

スーツは既に乱れ、ネクタイは折れ曲がる。

僕を見る目はもはや、睨んでいるのではないかというほどの怒気を孕む。

話を聞く限り、朝倉の人生上手くいってるように聞こえたが、今の朝倉は完全な逆ギレだった。


「俺にだって“歴史渡り”になりたい理由ってもんがあるんだよ。これからを本気で悩んで、苦しんでいた時にとある神社で偶然古久根を見かけた。驚いたけど、正直俺は救われた気分だった。それから必死になって古久根の居場所を調べて、やっと今日会えた。色々大変だった。俺だって必死だった。お前にだって俺の話はデメリットよりもメリットの方が大きいだろ。正にウィンウィンだ。もう一度考え直してくれないか」


僕は頭に上った熱を冷まそうと心を落ち着かせる。

断じて“歴史渡り”を譲るつもりは全くなかったのだが、朝倉にここまで執念とさせる理由とやらだけは聞くことにした。


「俺は研究者だって言っただろ。確かに今は良い成績を残せてはいる。しかし気象も地質も研究してから、良いも悪いも結果が出るのにものすごい時間を要する。俺のやった研究だって、これから判明するだろう素晴らしい実験成果の数々の引き金に過ぎない。俺の研究結果を使って、これからの若い奴らがもっと良い発見をするのが目に見えているんだ。こんな発達途中の分野の中で、俺はただ使い古されているんだよ。でも俺が古久根の“歴史渡り”を引き継げば、俺は俺の研究にひたすら没頭できる。寿命が延びることを最大限生かせる。たとえ二日の睡眠というインターバルがあるという古久根にはデメリットなことでも、俺にはありがたいことなんだ。そこが古久根とは違う」 


とても流ちょうな口調で自信過剰に語っていた。

これから起こることを期待するように目を輝かせていた。


しかし朝倉は歴史というものをなめている。

今はたとえ些細な変化でも、後になってみれば大きな変化に繋がったり、分岐点だったりする。

そんな重要な役割を多忙な朝倉が務まるとは思えなかった。

なにより“歴史渡り”をただの道具のように使おうとするのが許せなかった。


「朝倉はさ、“歴史渡り”のことを簡単に言うけど、やるべき仕事は大変で僕は色々取捨選択してここにいるんだよ。だから今更手放す気は少しも無い」 


「古久根だって新しい視点を持てば、何かが変わるかもしれない。そんな暗そうにしてないでさ」


「僕は今の生き方が別に嫌いじゃないんだ。それに朝倉、お前は家族がいるだろ。そっちはどうするんだよ」 


僕が朝倉の指輪を見て言った。


朝倉が少しはっとして嫌な顔をする。

そして右手で左の薬指のそれを僕から隠すように触っていた。


「俺だって父親としての役割はもう十分果たしてきた。今更自分のために時間を使って何が悪い」 


朝倉は僕を睨むように視線を飛ばし、息を荒げる。

まるで自らを肯定するように。


「朝倉は残された側の気持ちを考えたことがあるか。朝倉の妻や子供が自分から遠い存在になったお前のことをどう思うのか。“歴史渡り”っていうのは皆と同じ時間を生きているようで、全然違うんだよ。絶対にお前は後悔する」


「……。でもこれは科学の進歩に役立つことだ。人情が関わっていいことじゃない」


「科学はそうやって進歩してきたんだろ。朝倉だけズルをしようとしても上手くいかないし、いつかツケが回ってくるぞ。歴史とはそういうものだ。若手と敵対するんじゃなくて、教育して、正しい方へと導いてやれよ。お前の思いは後輩が引き継いでくれるだろ」 


「………………」



再び沈黙が走り、朝倉は逡巡する。


もはやその顔にさっきまで怒気はなく、苦しそうに顔を歪めている。

僕は彼が一体何と何に悩んでいるのかは分からないが、彼の顔が悲痛に満ちているのだけは読み取れた。

僕は彼に答えが出るのをただ待つことにした。

 

お互いに無言の時間が長く続いた。

僕は時間を埋めようとグラスに手を伸ばしかけてやめる。

やがて朝倉は意を決したようにゆっくりと口を開き、一言一言を噛み締めるように穏やかな口調でつぶやく。


「確かにな。家族が俺の拠り所でもある。家族だって俺を大切に思ってくれている。それを捨てるのはやっぱり無理だわ。それに歴史を引き合いに出されちゃあな、重みがあって反論できん。なんか俺一人この期に及んで焦っていたのかもな、悪かった」


そう言って朝倉は頭を下げた。

普段のうのうと生きている僕が誰かに本気で反発するのは久しぶりだった。

でもこればかりは僕が譲ってはいけないことだった。


そういえば、と言って朝倉は鞄から一枚の紙切れを取り出す。


「俺たち、高校の頃に将来に向けてタイムカプセル埋めただろ。少し前、皆で掘り起こしたんだが古久根は来なかったよな。流石に中身を見るのはあれだし、まだ若いんだろ? また埋め直しておいたから、掘り返したくなったら行けばいいってことで。はい、これ高校の地図な。そこのバッテンのところに埋めて直しておいたから」 


手渡された綺麗な手書きの見取り図には確かに×印が打ってある。

タイムカプセルの存在はすっかり忘れていた。


「ケーキご馳走様」 


僕はケーキをぺろりと食べ終わり、心から礼を言う。


「俺も、古久根とは初めてしっかり喋ったけど案外面白いやつなんだな。また機会があったら話を聞かせてくれよ」 


「機会があったらな。朝倉は今、どこに住んでるんだ?」


「応仁神社の近くだよ。研究所も近い」


「そうか。…………それと、“歴史渡り”についてのことは誰から聞いたんだ?」


「ああ、それなら同窓会で会ったお前の元カノからだな」 


「他の誰かに話したりしたか?」 


僕は冷静を装って言う。


「いいや。昔の高校の同期にさえ誰もそのことを話してないから心配しなくていいぞ」


僕は心の中でほっと胸をなで下ろす。


「それにしてもよく僕のこと分かったな」 


「まあな。それと最後に俺からお前にアドバイスなんだが、俺たちとお前とでは歳の取り方が違う。だからお前も会いたい人には会えるうちに会っておけよ」


そう言って朝倉はににっと笑った。

それからは僕はスーパーの買い物袋を持っていたので、アパートに近くまで送ってもらった。

僕も普通に過ごしていれば今頃、あんな風なお父さんになっていたのかもなと思う。

僕は朝倉の車が通りを曲がって見えなくなるのを見届けると、携帯電話をおもむろに取りだして、山本に電話をかける。


「調査中の件とは別件だが、“歴史渡り”について知る者に会ったよ。名は朝倉荘太で、歳は40前後。応仁神社付近に住んでいる研究者だそうだ。……よろしく頼む」


「了解しました。元気にやれてますか?」 


「まあぼちぼち」 


そう僕は一方的に電話を切る。



この後朝倉は僕に関する記憶を消されるだろう。

山本へはその電話だった。

こんなことをするのは正直心苦しかった。

朝倉自身”歴史渡り”のことを口外しないようだったし、無理に記憶を消す必要はない状況だった。


高校の話が出来たのは確かに楽しかったし、また会いたいと言ってくれることに嬉しいとも思った。

しかし僕が”歴史渡り”と知ってしまった以上こうするしかない。


それでもただ一人、一般人で僕が”歴史渡り”であることを知っている人がいる。

そんな優しい元カノと、喧嘩のような最後になってしまったことが一生の後悔だった。


僕はアパートに着くと、使うか分からない朝倉からもらったタイムカプセルの描かれた紙を机の引き出しにしまった。


ちょうどその時スマホに通知が来る。

見ると河井さんからラインが来ていた。


『明日ね。陸上の県大会、見に行こうと思っているの』


じゃあ、僕も行くよ。と文字を打ちかけたところで、慌てて消す。明日は一日寝ている日だった。


『僕も一緒に行きたかったんだけど、行けなさそう。ごめん』


『知ってる。謝らなくていいのに。ただの報告だから。それより次の二日後は空いてる?』


『空いてるよ』


『よかった。約束の祝勝会、私が計画立てておくから。楽しみにしてて』


それと同時にピロっと軽快な音が聞こえてスマホが軽く振動する。

河井さんから『まかせとけ』と添えられた可愛らしい猫のスタンプが送られてきた。


僕は手持ちの少ないスタンプから何を送ろうかと少し真剣に悩んでいる自分に気づいて、笑みがこぼれる。


朝倉の一件で僕は少しブルーな気持ちだったが、河井さんの元気さに充てられて気分は少し明るくなる。

僕はスマホを裏に向けて机の上におくと、夕飯の準備を始めた。

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