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僕の部屋で一通り談笑し、ぼちぼち帰るのによい時間になると最寄り駅まで河井さんを見送りに行った。
「また家に遊びに行ってもいい?」
「いいよ」
「じゃあ、また学校でね。今度はいつ来てくれるんだっけ?」
「二日後かな」
「いつも通りだね」
電車に乗る河井さんに手を振ると、彼女も振り返してくれた。
河井さんに僕の内情を少しばかり話してしまったが、きっと彼女は秘密にしてくれるだろうという信頼感があった。
「やっと見つけた。ずっと探してたんだ。今から少し話が出来ないか?」
河井さんを見送ったついでにスーパーで買い物をしようとしていた時だった。
僕はあのアクツを見つけてそう言った……。のではなく僕は見知らぬ誰かに話しかけられた。
見た目は三十代後半か四十代の男ですらっと背が高く、顎には無精ひげが似合う。
男性らしい格好良さがあった。
丈の合っている黒いスーツには目立つ赤いネクタイ。
その左手の薬指には指輪がはめられている。
「お前、古久根だろ。本当に姿変わっていないんだな。これはびっくりした。懐かしいなあ」
端から見れば高身長のおじさんが、現役男子高校生に親しげに話しかけたように見えていると思う。
しかし未だに相手が誰なのか見当がつかず、頭に疑問符を浮かべてる僕に男は、
「俺だよ。朝倉だ、二年の時同じクラスの。朝倉荘太」 とまくし立てるように言う。
それでも朝倉という名前にピンとこないので、少しばかり古い記憶を呼び戻す。
「あ、分かった。名簿番号一番の朝倉だな」
確かに彼とは高校二年で同じクラスだったが、これといって何かを話した記憶は無い。
「そう。古久根は相談したいことがあってさ。……今は時間あるか? 話がしたい」
今は高校生として過ごしているため、元同級生だったとしてもあまり話したくはなかった。
それでも僕の素性を知っているとなると、朝倉の話を聞いておくしかなかった。
「スーパーじゃなんだし、そこのカフェでもいいか?」
「分かったよ」
大の大人に誘拐されている気分だった。
朝倉に言われるがままきちんと掃除の行き届いた大きなファミリーカーに乗った。
朝倉の心地よいくらい安全運転で近場のカフェに入る。
「ここは俺のおごりで良いから、好きなの頼んでくれ」
そう言って朝倉はあからさまに嬉しそうな笑みを浮かべる。
お言葉に甘えて1000円を超えるケーキセットを頼ませてもらうとした。
「朝倉は凄くスーツが似合うな。今は仕事帰りなのか?」
スーツ姿の大人にはいい思い出がない。
突然僕も前に現れて、僕が知らないことを知っていて、ひどく一方的で急で、僕の日常を悉く変えていく。
スーツ姿の大人なんて信用ならない。
「俺、今研究所入って研究者をしているんだ。分野としては気象と地質。今日はその講演会の帰りで、ちょうど買い物しようと思ってスーパー寄ってみたら偶然こくねを見つけてさ。今はスーツしか持ってないからそこは勘弁してくれ」
ウェイターが三種類のケーキとグレープフルーツジュースを僕に、コーヒーを朝倉に持ってきた。
ガトーショコラとレアチーズと、あとはこの店のおすすめらしいラズベリーやらブルーベリーやら様々な果物がたくさんのったものだった。
甘い香りだけでなく、その色とりどりな見た目からすでに美味しそう。
朝倉はミルクと砂糖を迷うことなくコーヒーに入れていく。
「で、僕に何の用なんだ?」
僕はレアチーズケーキを頬張りながら訊ねた。
「用というか、珍しい経験をしている古久根の話がずっと聞きたかったんだよ。俺もそろそろ刺激がほしくてな。古久根の話はぴったりだろ? 俺も一応研究のために自分の時間を費やして世俗離れした生活をしている自覚はあるけれど、本場の人間はどうかなと思って」
朝倉は手ぐしで一度髪をかき上げてから疲れたようにため息を吐く。
そのふさふさの頭髪にはところどころ、目立つ程の白髪が混ざっている。
言葉の節々は少し失礼だなと思ったが、それ以上に朝倉から滲み出ている疲労のような重苦しくて鼻につく。
「そんなに面白い話なんて無いぞ」
「別に面白いかどうかは俺が決めるし、そんなこと気にしなくて良いから」
この“歴史渡り”については詳しく話せないし特筆すべきことも思い当たらないので、僕は歴史の話ではなく最近の二度目の高校生活について喋った。
この間朝倉は時折頷き、時折疑問を発した。
それに僕が応えていく。
「最近同期の誰かとは会ったか?」
「いや」
「となると同窓会も参加してないのか?」
朝倉はコーヒーを一口だけ口に含む。
「そんな会があったこと自体初耳だね。そりゃあるよな、同窓会くらい。招待されても行くつもりはないけど」
「俺も初めの数回は参加していたがそれっきりだ」
その後は僕にとって一度目の、つまりは二人の高校時代の話をした。
僕はあまり高校に行ってなかったからすぐに朝倉の話に移り変わる。
たくさんの昔話をしたが、知らない出来事がほとんどだった。
朝倉は高校時代のどんな思い出も美化し、時に笑い飛ばしていた。
「古久根が酒を飲めたらな。もっと語り合えそうなのに」
ケーキはいつしかなくなり、二人のグラスも氷だけがとけるのをただ待っているだけになる。
そろそろお開きかと思った。
僕は鞄をつかみかけていた。
「なあ古久根。その“歴史渡り”を譲ってくれないか」
朝倉は急に真剣な面持ちになって、そう言った。




