貴方が婚約破棄と言ったから、今日から私は幸せになれるの
今日は王立学園の卒業パーティー。
とうとう明日から私は大人の一員となり、順調にいけば2年後には婚約者であるフェルナンド様と結婚することになるだろう。
「はぁ…」
既に決められている運命であり、受け入れる覚悟もしているが、やはり気が重い。
『今期最大の格差婚』と噂されるこの婚約に、乗り気なのは相手方の父親だけだった。
『血筋だけは貴いが、他には何もない不器量な娘』と『見目がいいだけの爵位を金で買った家の息子』の婚約は誰が見ても政略結婚であり、事実それ以外の何物でもなかった。
現王家が統治を開始した際の側近の子孫であり、王族に連なる血筋もありながらも家は裕福ではなく、丸太の如き体にバランス悪く生えている細長い手足、艶のないプラチナブロンドの髪に細く小さいヘーゼルの瞳と小さな口がついた白い顔はまるで極東の舞台で使われる古い面のよう、と評される私―アライア・シュゼット伯爵令嬢。
片や約100年前の戦争で武器商人として財を成し、その財で没落していた子爵家を抱き込んで爵位を奪い取るように受け継いだとされる元平民出の名ばかり貴族の跡取り息子であるフェルナンド・ダスティは、くすんだ茶髪に茶色の垂れ目が甘さを倍増させる、女たらしとして有名な男。
社交界でも決して交わることのないはずの両家が政略結婚に至ったのは、2人がまだ幼い頃にフェルナンドが私の額に傷をつけたからだった。
謝罪に訪れたダスティ子爵は「令嬢の顔に消えない傷をつけてしまった責任を取る」と息子との婚約話を持ってきた。
この国では貴族でも恋愛結婚が推奨されているので当然断ろうとしたが、父は下位爵位とはいえ力あるダスティ子爵に逆らえず婚約申請書にサインをさせられ、それを以ってすぐに王家から婚約許可書が発行された。
この許可証は両家の承諾がないと破棄できない上に訴え出られるような強制された証拠もない。
一度王家が許可した婚約に否やを唱えることはできず、結局私とフェルナンド様は互いに嫌々ながらも婚約に至った。
そしてそれから地獄が始まった。
「お前のようなブスに生きる価値はない」
「美しいからこそ令嬢であり、美しくないお前はただの端女と変わらない」
「お前を愛することは未来永劫ない」
という言葉を会う度に言われるのはまだ序の口。
彼は「結婚までは自由にさせてもらう」と下級貴族から平民までの様々な女性と浮名を流した。
彼が連れている女性は大抵がはっきりとした顔立ちの美人で、女性らしい体つきをしていた。
つまり丸太と評されるおかめ顔の私とは正反対のタイプである。
ついでに彼は「お前も自由にすればいい。まあ、そんな奇特な男がいればの話だがな」と宣った。
さらにいつも一人か女友達といる私を見ては「やはりそんな男はいないか。そんな女を嫁にしなければならない俺は何と不幸なのだろうな」と捨て台詞を吐いて去って行く。
正直ストレスで胃に穴が開くところだった。
我慢の限界がかなり近かった。
けれどそれも明日で終わり。
そして2年後にはもっとひどい地獄が待っているのだろう。
そう思っていた私を神は見捨てなかった。
「アライア、お前との婚約は破棄させてもらう」
卒業パーティー後の舞踏会。
その会場で彼は私にそう言ったのだ。
そう、言ってくれたのだ。
「やはりいくら家のためでもお前のような女を妻に娶るのは気が引けてな。どうにかならないかと探していたら、お前よりよほど私に相応しい女性と出会えたのだよ」
彼は傍らに立つ女性の腰に手を回し自分の方へ引き寄せると、その髪に口づけを落とす。
「彼女はオズモンド伯爵令嬢のキャサリンという。見ての通り美しく、家格もお前と同じ。どちらを選ぶかなど考えるまでもない」
話しながら彼女の髪を一房掬い、その香りを楽しむかのように顔に近づける様子は、どう見ても相思相愛の恋人同士に見える。
キャサリンは緩くウェーブのかかったハニーブロンドにぱっちりとした目が印象的な、美人と可愛いの中間をとったような女性だった。
年齢は私たちよりも1つ上。
確か『容姿は美しいが身持ちが悪く、自身を着飾ることにしか興味がない女性』という噂だ。
つまり似た者同士のお似合いカップルというわけだ。
「全く、父の命令とは言えお前を傷ものにまでしたのに、とんだ無駄足だったな。そういうわけでお前との婚約は破棄だ。父には今夜、俺から説明しよう」
フェルナンド様―いや、もう様はいらないな、フェルナンドは言いたいことだけ言うと踵を返そうとした。
キャサリンも嘲笑うかのようにこちらに一瞥くれた後、一緒に立ち去ろうとする。
「お待ちください」
だが、私はそれを引き留めた。
その話に納得ができなかったからではない。
奴は今、とんでもない墓穴を掘ってくれた。
だからこんな機会を逃す手はないと思ったのだ。
今までの鬱憤を全て晴らし、この男には地獄に落ちてもらおう。
さあ、復讐の時間だ。
「フェルナンド様、婚約を破棄するとのことですが、本気ですか?」
私はまず本人の意思確認を行う。
後で「あれは本気ではなかった」と言われたらたまったものではないから。
「ああ、もちろんだ。こんなこと冗談で言うわけがないだろう。むしろお前との結婚の方が冗談じゃない」
フェルナンドは足を止めたが、私の言葉に不快気な顔をしている。
よし、1つ目の言質は取った。
では次だ。
「そのことはまだダスティ子爵に了承を取ってはいないのですよね?」
彼の様子には構わず、今度は事実確認を行う。
「そうだが、俺は意地でも説得する。キャサリン以外と結婚する気などないとな」
彼はそれに不快気だった表情をさらに顰め、ほとんど私を睨むようにしながら宣言する。
ああ、その言葉が聞きたかった。
恐らく私が婚約破棄は嫌だと駄々をこねると思ったのだろう。
唯一乗り気だった彼の父を頼みの綱とするとでも思ったに違いない。
だがそんなわけはない。
答えは「イエス」一択だ。
「承知いたしました。婚約破棄の件、喜んでお受けいたしましょう。ここにいらっしゃる皆様が証人です」
私はそこで初めて彼に笑顔を見せる。
雨後の澄み渡る青空を見上げた時に虹を見つけたような、一切の憂いがない表情。
彼はそれを怪訝に思ったようだが、もう遅い。
「今、フェルナンド様は王家がお認めになった婚約を自身の一存で破棄することとし、この場で宣言なさいました。これは王家に対する冒涜であり、反逆であり、越権行為でもあります。また、婚約破棄の理由は自身が結婚したい女性がいるためという一方的なものであり、私及びシュゼット伯爵家に一切の咎も責もありません」
口を挟ませはしないと、にっこりと笑ったまま一息に言い切った。
ぽかんと口を開けてこちらを見ていた2人はしばらく私の言葉が理解できないようだったが、それでも10秒ほど経った頃にはしっかりと理解していた。
「なんっ!?俺は、そんなこと…」
理解して先ほどとは打って変わって顔面蒼白になり、キャサリンの腰に添えられていた手は力なく落ちる。
漸く自分の台詞が如何に拙いものであったのかを察したのだろう。
言葉を選ぶこともなく、私が逆らわないと信じて疑わなかったのが誤りだ。
一度口から出てしまった言葉は、もう取り消せない。
「このことはすぐに我が家と王家に通達いたします。なお、王家公認の婚約者がいる男性に近づき、それを奪ったキャサリン様のオズモンド家にも累が及ぶことと思いますので悪しからず」
さっきとは逆に今度は私が彼女に一瞥をくれる。
『恨むなら私ではなくそちらの男を恨みなさい』
私は彼女にもまた笑いかけながら口の動きでそれを伝えたが、彼女が何かを言い返すことはなかった。
ただ黙って項垂れ、ふるふると震えている。
いつの間にか私たちの周りを囲むようにたくさんの人間がいたが、彼らは皆フェルナンドとキャサリンを蔑みの目で見ていた。
この話はこれで終わりだとこの場の誰もが思った。
「さて、では私は一旦失礼しますね」
しかしこんなもので済むほど私の復讐は軽くない。
とどめを刺すためのボーナスステージに向け、私は一度会場を去った。
そして次に私が会場に訪れた時、辺りは静まり返った。
誰もが時を止めたように動かないその中を私は進む。
コツコツというヒールの音が全ての音を支配したように会場に響く。
次第に「誰だ?」「あんな令嬢見たことがない」という囁き声がさざ波のように人々の間を流れていく。
その音は項垂れるフェルナンドとキャサリンの顔をこちらに向けさせたが、彼らもまた私を見ると時を止めた。
身体に巻いていたいくつもの布を剥ぎ取り、コルセットで本来のくびれとたわわな胸部を強調し、プラチナブロンドの髪に香油を馴染ませ、薄くしか開けていなかった目をはっきりと見開いた私は、もう不器量な娘ではない。
かつて『社交界の紅薔薇』と謳われた祖母に似た苛烈さと、未だに『社交界の白百合』と呼ばれる母の気品を兼ね備えた美貌を誇る伯爵令嬢だ。
10年前のあの日、フェルナンドにつけられた傷が痛くて顔を顰めていた私のことを彼は「醜い」と言った。
そして「ブスと婚約するなんて嫌だ」と父親に泣きついているのを見てから、私は彼の前で醜い姿しか見せていない。
彼が私の本来の姿を見たのはこれが初めてだった。
「お待たせいたしました」
私はにやりと、今度は底意地の悪そうな笑みを浮かべる。
だが本来の姿に戻った私にその笑みが似合うことは承知の上で、さらにフェルナンドがこういう笑い方が似合う女性が最も好みだということも知っている。
彼は一気に顔を紅潮させ、こちらを指差しながら信じられないと言わんばかりに口をぱくぱくさせていた。
その顔の間抜けなことったらない。
「さあ、続きといきましょうか」
私は扇を広げ、彼から顔を隠しながら辺りを見回す。
「とは言っても役者が一人足りませんわね。まだお着きにならないのかしら」
このボーナスステージには絶対に欠かせない最後の一人は、まだ会場に現れていないらしい。
誰もが固唾を飲んで見守っている中、私は入り口に向けて歩き出す。
その人物がまだ来ていないのかを確かめるためだったが、私が扉に辿り着く前にそれはゆっくりと開けられた。
ならば邪魔になってはいけないと、私は端に移動する。
「ウィリアム殿下、ご来場!」
そして門番をしていた衛士が静かな会場でなくとも聞き間違いようもないくらいの大声で宣言したのは、この国で最も貴い存在の一人、ウィリアム・エイダン・ル・バーナムという、このバーナム王国の第一王子の名だった。
ゆっくりと入場してきた殿下は会場内の異様な空気を感じ取ったように軽く目を瞠ったが、扉の正面から少し外れたところに立つ私に気がつくと顔色を変えた。
「これはどういうことかな?」
普段は穏やかな笑みが湛えられている殿下の顔に、今は怒りの感情が滲んでいる。
その表情に多くの者が身を竦めたが、私は平然としていた。
なぜなら殿下をこの場に呼んだのは私であり、彼が欠けていた登場人物であり、そして彼が怒るだろうことは予想済みだったからだ。
「アライア。どういう状況なのか貴女に聞いてもいい?」
殿下はつかつかと私に歩み寄ると険しい顔のまま説明を求めた。
私が男なら掴みかかられていたかもしれない。
「もちろんご説明いたしますわ」
けれど幸いにも女性の私は自由の身だったので、殿下の要望に素直に応える。
「実は先ほどフェルナンド様が私との婚約を破棄したいと仰いまして、私の代わりに結婚したいという恋人もご紹介くださったのです。それがあちらにいらっしゃるオズモンド伯爵令嬢のキャサリン様ですわ」
私は人だかりの中心にいる元婚約者とその恋人を手で示しながら、過不足なく事実を伝えた。
無駄のない、実にいい説明だったと自負している。
「なんだって?」
しかしその説明内容は普通ではあり得ないこと。
殿下が真偽を問うべく近くにいた男爵家の子息に「今の話に偽りはないな?」と声を掛ければ、声を掛けられた方は「ひゃ、ひゃい!相違ありましぇん!」と緊張により呂律の回らない口で肯定を返した。
するとその背に怒りの炎が見えるほどだった殿下は一変、ぱあっと光り輝く笑顔になる。
「フェルナンド」
殿下はフェルナンドの名を呼ぶと、満面の笑みで彼に近づき、その手を取った。
「君が行ったことは決して許さないが、アライアとの婚約破棄についてだけは褒めてあげる」
にっこりと笑っているのに、反面プレッシャーが凄いことになっているその笑顔にフェルナンドは言葉も出ない。
というよりはいきなりの第一王子登場に頭が追い付かない様子だ。
「アライア!」
殿下はフェルナンドの手を放り捨てると、今度は私の方に駆け寄ってくる。
「漸く君に伝えることができる。この日をどれほど待ち望んだかわからない」
彼は大きく息を吸うと、蕩けるような笑みで私を見つめてこう言った。
「私と結婚してほしい」
その瞬間、周りにいた人々の中から悲鳴が上がる。
その全てが女性のものだった。
「はい。喜んでお受けいたします」
そして私の返事には男性からの悲鳴も上がった。
王族は20歳になるまでに自分の伴侶を自分自身で見つけなければならない。
それがバーナム王国王家の方針だった。
それに従いウィリアム王子も婚約者を持たず、運命の出会いを求めて様々なパーティーに出席していた。
そして3年前のある日、彼はとある伯爵家のパーティーで運命の女性と出会う。
それが私だった。
早々に切り上げて部屋着を纏い、普段の姿でお茶を飲んでいた私のところへ、何かに導かれるかのように彼はやってきた。
目が合った瞬間、私たちは一目で恋に落ちた。
「アライア、僕のお嫁さんになってくれないかな?」
そう言われたあの日を、私は今もずっと覚えている。
それに対して、
「ごめんなさい。すでに王家に認められた婚約者がいるのです」
と答えることしかできなかったことも。
殿下に詳しい事情を話せば、同情してくれたもののやはり覆すことはできず、殿下は私との結婚を諦めると言った。
ただ、勝手に待つことにする、と。
私が結婚式を挙げるその日まで、可能性がゼロではない限り待つと。
「ああ、夢のようだ。君が僕のものになってくれるなんて」
殿下は私を抱きしめてしみじみと言う。
私の頭頂部に頬をすり寄せ、幸せだと表情や態度で示してくれる。
今まで味わったことのないそれに、私もまた幸福感を得る。
「私も殿下のものになれて嬉しいです。殿下以外の男性に愛されたことなど一度もありませんので」
私ははしたないと知りながらも殿下を抱き返した。
この温もりを離したくないと思ったから。
「僕も君以外の女性を愛したことなどないよ。それよりアライア、もうプロポーズまでしたのだから、僕のことはウィリアムと名前で呼んでくれないか?」
殿下―ウィリアム様も同じ気持ちだったのか、私をさらに強く抱きしめながら名前を呼ぶ許可をくださる。
ああ、こんなに幸せでいいのだろうか。
私は今、この会場の誰よりもそれを感じている。
「ところで」
そう思いながら温もりを享受しているとふいに頭上から真剣な声が降ってくる。
見上げてみるとウィリアム様がフェルナンドを睨んでいた。
「さっき君は男性に愛されたことがないと言っていたけど、間違いない?」
その言葉に肩を跳ねさせたのはフェルナンドだった。
それもそのはず、彼はついさっきまで私の婚約者だったのだから。
「確か彼の父親が提出した婚約申請書には『早くも思い合う2人を目に見える形で認めたい』という旨が記載されていたのだけど」
ウィリアム様はじっと穴が開くほどフェルナンドを見つめながら言葉を紡ぐ。
いつの間にか彼の顔からは笑顔が消えていた。
「あら、お調べになったんですね。けれど彼が私の婚約者となったのは、彼が私の額に傷をつけたからですわ」
ほらこれ、と私は額にある醜く引き攣れた傷をウィリアム様に見せた。
王族に見せるには見苦しい姿だとは思ったが、今後いつまでも隠し通せるはずもないので、ならばいっそ一思いにと決断した。
それにフェルナンドと違って、ウィリアム様はこんなことで怒ったりなさらない。
それどころか傷を見たウィリアム様は我がことのように痛みを堪えるかのような顔をしたかと思うと、徐に傷痕に口づけた。
「ああ、君の美しい顔にこんな傷をつけるだなんて。彼の美的センスは皆無なのかな?」
彼はそのまま私をさらに抱き寄せ、フェルナンドをちらりと見る。
「そんなことはないと思いますけど。キャサリン様のことを美しいと思えるのですから」
別にフェルナンドをフォローするつもりはないが、一応そう言ってみる。
実際キャサリン嬢は一定以上の容姿をしているのだから、彼の審美眼が狂っているわけではない。
「でも君のことをずっと美しくないと、醜いとさえ言っていたのでしょう?それに、僕には君の方が何倍も、何百倍も美しく見えるよ?」
ウィリアム様はそう言うとちらりと彼女を見る。
つられるようにそちらを向けば、彼女はウィリアム様を見つめていた。
やけに必死なその目は、何かを恐れているようにも見えた。
「ああ、そう言えばつい最近彼女を見た気がするよ」
そしてそれはウィリアム様がそう言った時、より一層強くなった。
それ以上言わないでと、その目が訴えていた。
だがそれを正しく読み取った上で、ウィリアム様は残酷な判断を下す。
「確か先週のパーティーで僕に声を掛けて来たよ。是非私を殿下のお傍にって、それはもう熱心に。まさか結婚を決めていた恋人がいただなんて思えなかったなぁ」
ふふ、と笑みを漏らしながら、実に邪気のない様子で2人の人間をどん底に叩き落とす。
キャサリンは不実な行いを王子に対して行っていたと明かされ、怯えるようにぶるぶると小刻みに揺れていた。
そして自分の知らないところで自分よりも王子を選んでいたことを知ったフェルナンドも、怒りと羞恥で震えていた。
「全く、フェルナンドもキャサリン嬢を選ぶなら最初から彼女に傷をつけてほしかったね。未来の王妃の美しい顔にではなく、ね。尤も、それでも誰よりアライアが美しいけれど」
ウィリアム様は2人の様子を見て満足したのか、最後に不満を漏らしたが、彼らに対する矛を収めたようだ。
しかしそれでは私の復讐には足りない。
だからもう少し罪状をプラスしよう。
「その傷ですが、どうやら彼のお父様の指示だったようですよ?」
だから私は「ねぇ?」と同意を求めるようにフェルナンドに笑いかける。
これは偶然ではなく故意による必然だったのでしょう、と。
「いやっ、あ、あの、その…」
彼は否定しようと思ったのだろうが、先ほど自分がはっきりと『父の命令』と言い、それをこの場にいる多くの者が聞いたのだから意味はない。
「何?では親子揃って君を道具のように蔑ろに扱ったというのか」
眦を吊り上げたウィリアム様は言うが早いかくるりと振り向き、会場に控えていた衛士に命ずる。
「わかったからには捨て置けん!早急にフェルナンド・ダスティ及びダスティ子爵家の者を捕らえよ!」
正に鶴の一声。
フェルナンドとキャサリンは瞬く間に衛士に囲まれてしまった。
それからは一気に物事が進んだ。
その場でフェルナンドが、1時間もかからないうちにダスティ子爵と夫人がそれぞれ捕らえられた。
そして10年以上前の婚約申請書の虚偽記載の件から今回のフェルナンドの独断による婚約破棄までの罪状を全て合わせ、彼らには爵位剥奪の上で辺境の地での労役が科せられることとなった。
そしてキャサリンへの罰は被害者である私が決めてもいいという話だったので、オズモンド家に対しても含め、なんのお咎めもなしとした。
ただ、「ウィリアム様は第一王子。来年には王太子となり、いずれ国王となられる方です。その妃にと望まれた私にあのようなことをなさったのですから、当然貴女は私の敵ですわね。さて、宰相補佐の任を拝命していらっしゃる貴女のお父様は、未来の王妃の敵をお許しになるのかしら?」とだけは伝えておいた。
その時の彼女の顔色を見るに、彼女の未来は真っ暗のようだ。
「アライア。君への最初の贈り物は上手くいったのかな?」
あれから数日後、落ち着いて話す時間を得た私とウィリアム様は、伯爵家の庭にあるサロンでお茶を楽しんでいる。
早摘みの茶葉から香るすっきりとした甘みに心を和ませながら、私は彼に答えた。
「ええ、とっても。これ以上ないくらい素晴らしい結果ですわ」
お陰で今日も紅茶が美味しいですと笑う私に、彼も嬉しそうに笑って見せる。
「よかった。立場上ああいったことには慣れているけれど、君に満足してもらえるかはわからなかったから」
卒業パーティーの日に私が用意したボーナスステージ。
あれは全て芝居だったのだ。
あの日、ウィリアム様が学園にいたことは単なる偶然だった。
けれど彼は私がその場にいることを知っており、少し話したいと学園の応接間でパーティーが終わるのを待っていた。
それを知っていた私はフェルナンドが婚約破棄を突き付けてきたことを利用して、彼を追い落とすべく、着替える前にウィリアム様に協力してほしいとお願いしに行ったのだ。
彼は快く引き受けてくれ、何かに使えないかと事前に調べていたらしい婚約申込書の内容や当日の彼の行いから、王家に仇なす者として断ずるに至った。
しかし私が本来の姿に戻るという話はしていなかったので、最初にそれを見た彼は怒ったのだ。
『その姿は僕にしか見せないと言ったのに』と彼の目が言っていたが、その方がフェルナンドにダメージを与えられると思ったのだから大目に見てほしい。
それに王子がプロポーズする相手が醜女は絵にならない。
そして今、彼の向かいに座る私も本来の姿だ。
もう布で胸を圧し潰す必要も、ウエストを太くする必要も、髪の艶をなくす必要も、目を眇める必要もない。
ありのままの姿で自由に暮らせるのだ。
「それにしても、いくら彼に嫌われるためだと言っても10年も姿を偽るなんて、よくできたよね」
彼は出会った日に告げた私の事情について思い出したのだろう、クスクスと忍び笑いを漏らす。
「まあそのお陰で僕は愛する人と結婚できるんだから、感謝しないといけないけれどね」
彼は艶を取り戻した私の髪を一房掬い、塗り込められた香油の香りを楽しんでいるようだ。
その香油は出会ってからすぐに彼から贈られたもの。
『いつでも僕を近くに感じていて欲しい』と定期的に届けられていたそれは、私のお気に入りであり大事な宝物だ。
今後は彼の隣で彼から贈られた香りに包まれることができると思うと、嬉しいやら恥ずかしいやら。
「アライア、顔が赤いよ?」
照れていた私の顔に朱が混じったのを目敏く見つけたウィリアム様は、忍び笑いを甘い笑みに変え、私の頬に手を添える。
「誰のせいだと思ってるんですか!」
そう言って赤くなった顔を俯いて隠そうとするが、頬に添えられた手がそれを許してはくれない。
けれどその手を払おうとは全く思えないので、私はさらに赤くなってしまった顔を晒してしまう。
どころか恥ずかしさで目にうっすらと涙が溜まってしまい、今の私は酷く情けない顔になっているはずだ。
「駄目だよ、アライア」
うぅ、と情けない声まで漏らしてしまう私に、ウィリアム様は席を立ち私の両頬を手で固定すると、目線を合わせるように顔を上向かせた。
「そんな顔を見せられたら、ついいじめたくなってしまうでしょう?」
君は本当に可愛いねと囁かれ頬に口づけられ、そのせいでさらに顔が赤くなって、またウィリアム様に囚われる。
そんな甘い時間が今だけで終わらず、これからもずっと続いていく。
その言いようのない多幸感と羞恥心に私が耐えられるのかはこれからわかっていくのだろうが、きっと彼の甘さはこれからも変わらないだろうから、結局は私が慣れるしかないのだろう。
できれば今後はこれ以上の甘さとS気を出さないでほしいと願うばかりだ。
読了ありがとうございました。




