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真実と失恋

 衝撃の目撃から、その日の残りの時間をどう過ごしたのか全くわからない。気付いたら次の日になっていた。


 一晩経っても私の頭は整理されていない。悪い想像ばかりが浮かび、私の心は死んでしまいそうだった。

 

 一人でもやもやするより、もうはっきりさせてしまえばいい。

 私の精神は限界で、半ば投げやりな気持ちだった。


 仮に私の想像通り彼女がゆうきの恋人ならば、やっと私は諦めがつくかもしれない。十年という長い付き合いではあるが、これまでゆうきの恋人の話なんて聞いたことがなかった。


 私が知らないところで付き合ってたこともあるのかもしれないけれど、知る機会がなかった。私はゆうきに恋人がいることを知りたくなくて、自分から恋人の有無を尋ねたことはないし、ゆうきから告げてきたこともなかったから。

 だからこそ、私はゆうきに恋人ができるということを考えたことがなかった。


「そりゃ、そんなわけないよね」


 ゆうきは私が一目惚れするほど素敵な人なのだから、今まで恋人がいなかったはずがないのだ。

 私は今までなんと自分に都合良く考えていたのか。自分の能天気さに自分で呆れる。


 スマートフォンでゆうきの連絡先を探す。とにかく早く会いたい。そして確かめたい。

 真実を知りたくないとおそれる気持ちもあるけれど、このままではいられない。メールでは返信を待っている時間を耐えられる自信がなかったため、電話をかける。

 数コールでゆうきが電話に出る。


「もしもし」


 心臓が跳ねる。同時に気持ちが竦む。私は今から自分で自分を地獄に落とそうとしているのだ。でも、ここで逃げてはいけない気がした。


「……みずきです。あの、話したいことがあるの。急で悪いんだけど、少しでも会えないかな」


 しばらくゆうきは沈黙する。沈黙の後、ゆうきから返事がくる。


「……わかった。」


 ゆうきは私のただならぬ様子を察知したようだった。待ち合わせ場所と時間を決め、電話を切る。

 スマートフォンを握り締めたまま、私は大きく深呼吸をする。覚悟を決めろ、と自分を奮い立たせる。

 自分で決めたことだ。辿り着く場所が地獄であろうと、もう後戻りはできない。


 私は無駄だと思いつつ、目一杯おめかしをする。ゆうきに二人で会うのだ。少しでも自分を良く見せたい。こんな時でもそんなことを考える自分が滑稽だったが、かといって適当な格好でゆうきに会うことなど考えられないのだ。


 しかし、格好とは裏腹に心は酷く重い。ゆうきから聞く真実が悪い想像通りだとして、私は冷静でいられるのだろうか。

 その答えは出ないまま、家を出た。




 待ち合わせ場所のカフェに着くと、既にゆうきが来ていた。


「ゆうきの予定も聞かず急にごめん」


 まずは突然の呼び出しを謝罪する。


「いや、今日は特に予定なかったし大丈夫だよ」


 ゆうきが柔らかく微笑む。それを見て、思わず泣きそうになる。こんなに好きなのに、誰よりもゆうきを好きな自信があるのに、どうして私ではダメなのだろうか。

 油断すると、そのまま気持ちが口から溢れてしまいそうだ。


「……それで、急にどうしたの? こんな急に呼び出すことなんて初めてだよね。なんかあったの?」


 ゆうきはきっと、これから私が聞くことを全く予想できていないだろう。

 聞くのは怖い。でも、聞かなければいけない。一呼吸置くために店員にコーヒーを注文し、ゆうきに向き合う。


「あのさ……ゆうきって、彼女がいるの?」


 瞬間、ゆうきの目が見開かれる。


「え? 何言ってるの突然」


 しかし、私はゆうきの目が一瞬泳いだのを見逃さなかった。


「私……昨日買い物してたの」


 ゆうきは何かを察したようで明らかに動揺している。私の言わんとしていることがわかったのだろう。


「ゆうきが、女性から頬にキスされてるところを見たの」


 私の言葉を聞いてゆうきは目を閉じ、俯いて沈黙する。沈黙は時間にして数秒だったはずだけれど、私には悠久に感じられた。

 ゆうきの目蓋がゆっくりと開く。


「あれが見られたなら、言い逃れはできないね」


 ゆうきが顔を上げ、まっすぐわたしを見据える。


「……うん、私はね、レズビアンなんだ」


 ゆうきの言葉は、私を打ちのめすのに十分だった。あまりの事実に何も反応できない私に対し、ゆうきは続ける。


「でも、昨日一緒にいた人は彼女ではないよ。彼女に誘われて出かけただけで、友人だよ。人混みに酔ったって言うから人混みから離れたら、突然キスされて……」


 言葉がうまく耳に入ってこない。否、耳は正常に作動しているはずだけれど、私の脳がその情報を受け取ることを拒否している。私はずっと信じていたものに裏切られた気持ちだった。


「どうして……十年も付き合いがあるのに……どうして何も言ってくれなかったの……」


絞り出した声は自分でも驚くくらい酷く弱々しかった。


「言うべきことではないと思ってた。言う機会もなかったし。言うことで、田中とぎくしゃくすることが嫌だった」


「ぎくしゃくって……」


「私に恋愛対象にされているんじゃないかって不安にさせたくなかった。でも、本当に安心してほしい。田中も、ななも私にとっては大事な友人で、邪な気持ちはないから」


 心臓がずきりと強く痛む。はっきりと言われてしまった。ゆうきにとって、私がただの友人でしかないことを。


 大声で泣き叫びたい。けれど、そんなことをすればゆうきに迷惑をかけるし、そんな醜態をゆうきに晒したくない。だから、泣き叫びたい衝動を必死で押さえつける。

 そんな私に気付かず、ゆうきはさらに言葉を続ける。


「私は田中とは今後も今までどおりいい友人でありたいと思う。けれど、もし私が、私がレズビアンであることを受け入れられないなら、諦めるよ。みんながみんな理解してくれるとは思ってないし、理解できないことを責めるつもりもないから」


 視界が揺れてめまいがする。座っているのに、座っている感覚がない。悲しいはずなのに、悲しみを通り越して笑ってしまいそうだ。これが狂いそうな感覚なのかと、関係のないことを考えてしまう。


「……ゆうきが、レズビアンだからといって、それで引いたりはしない。……けどごめん、いきなりのことで混乱しているから、少し時間が欲しい」


 私の口は私の脳の指示通りに動いているのだろうか。耳から聞こえる私の声は本当に私の声なのだろうか。全ての感覚が鈍い。あんなにも悪い想像をしていたのに、全く覚悟を決められていなかった。ゆうきから、辛い現実をつけつけられる覚悟を。


「うん。わかった。引かないでくれてありがとう」


 ゆうきは微笑むが、先ほどの微笑みとは明らかに違う。苦しそうな微笑みだった。


ゆうきからすれば、長年隠していた事実を、秘密にしたかった事実を暴かれてしまったのだ。無遠慮に、無慈悲に。でも、今の私にはゆうきの気持ちを慮る余裕が一切ない。気の利いたことなど言えるわけがない。


「……今日は帰るね。急に呼び出してごめん」


コーヒー代を置いて席を立ち、足早にその場を去る。私が注文したコーヒーはまだきていなかった。




 家に着いた途端、我慢していた涙が溢れた。昨日とは違い、嗚咽が漏れる。


 苦しい、苦しい。


  私がゆうきの恋愛対象でないことなんて、高校の頃からわかっていた。でも、それは私が「女」だからだと思っていた。ゆうきは男性が好きな女性で、そもそも恋愛対象に入るはずがないのだと、そう信じていた。

 私は、全ての女性が対象ではないのだから、自分が恋愛対象ではないことは仕方ない、そう自分を慰めてきた。


 でも、違った。


 ゆうきの恋愛対象は女性だった。けれど、私はゆうきの恋愛対象にならなかった。この事実は、私を打ちのめした。


 妄想したことがある。もし、ゆうきが女性も恋愛対象だったのならば、私とゆうきは結ばれたのではないかと。あり得ない妄想だと思いながら、何度も何度も繰り返し妄想した。

 妄想の中の私とゆうきは仲睦まじく、永遠を誓い、寄り添っていた。幸せな妄想だった。妄想から現実に引き戻されると酷く落ち込んだけれど、妄想の中で幸せでいられることは、私の心を多少なりとも慰めた。


 しかし、もうそんな妄想もできない。


 ゆうきの恋愛対象は女性なのだ。けれど、私はゆうきと結ばれない。

 こんな現実、知りたくなかった。昨日のことなんて見なかったことにすればよかった。そうすれば、私は少なくとも妄想の中で幸せでいられた。


 事実を受け止める覚悟をしていたはずなのに、その実私の心はなんの準備もできていなかった。


 涙はいつまでも止まらない。このまま体中の水分が全部瞳から流れ落ちて、枯れ果てて消えて無くなってしまえればいいのにと思う。


 くだらないことを考えていることはわかっている。数多の人がいるのに、その中のたった一人のことでここまで取り乱すなんておかしい。けれど、止まらない。

 私にとってゆうきは唯一無二の存在なのだ。それが何故かなんて考えても仕方ない。私にとってそうなのだ。私の心がそう叫ぶのだ。


 もしかして……悪い想像が私の頭を支配する。ゆうきは私とぎくしゃくしたくないから、自身がレズビアンであることを言わなかったと言っていた。けれど、そもそも女性を恋愛対象にしているゆうきなら、女性から向けられる視線の意味を正確に理解できるのではないか。女性から自分に向けられる感情が恋愛感情かどうかわかるのではないか。

 そうであるならば、私の気持ちはやはりゆうきにバレていたのではないか。ゆうきが私にレズビアンであることを言わなかったのは、私に期待を持たせないようにするためだったのではないか。

 他の友人たちを名前で呼ぶのに、私だけ名字で呼ばれていたのもそのためだったのではないか。ななちゃんとは二人で飲みに行くのに、私とは飲みに行かないのも同じ理由ではないか。


 そういえば、この前の合コンでゆうきの様子がおかしい時があった。あの時ななちゃんは、参加者全員がゆうきの知り合いであったことに対し、悪いことをしたわねとゆうきに言った。

 よく考えたらおかしい。ゆうきの恋愛対象が男性ならば、謝罪すべきは宮田さんのはずだ。宮田さんが、ゆうきの知り合いである勅使河原さんを連れてきたことを謝罪すべきはずだ。けれど、ななちゃんが謝った。


 ななちゃんは知っていたのだ。ゆうきの恋愛対象が女性であることを。そして、ゆうきの恋愛対象ではない私を合コンに連れてきたことを謝罪していたのだ。だから、ゆうきはななちゃんが私を誘った時に困ったように笑ったのだ。


 高校時代に私を縛り付けていた悪い想像が、突然現実味を帯びてくる。全ての辻褄が合う。

あぁ、私は警戒されていたのだ。そしてそれは見事に功を奏した。私はゆうきに告白できず、友人として振る舞い続けた。


 相変わらず涙はとめどなく流れる。


「…………告白……しなくてよかった……」

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