エピソード9「華麗なる朝谷姉妹」
山村翔の同級生、朝谷翼は氷を操る鬼抜隊阿刀田冷子とは対照的に炎使いであった。彼女は休日だというのに学校の制服を着ていて、しかも涼しげな顔をしている。熱を感じないかのように。
「くっ、朝谷か……!」
悔しそうに阿刀田冷子はその美しい顔を歪め、自前のバイクに乗り込んだ。
逃すまいと火柱が追跡する。だがバイクの方が早い。あっという間に阿刀田冷子の姿は見えなくなった。
「たっ助かったよ……」
山村翔は氷漬けから解放されて安堵した。
「ありがとう翼」
「……なんで名前読み!?」
「いや、朝谷のお姉さんとも知り合ったからさ」
「そ、そう」
朝谷翼は少し動揺し顔を崩した。片側だけ長い前髪を手で弄る。
彼女は軽やかにバス停の屋根から地面に飛び降りた。能力とは関係のない身のこなしだ。浪川奏はツインテールを揺らして山村翔に駆け寄り、朝谷翼の接近を牽制した。
「大丈夫ダーリン、怪我はない?」
「ああ、翼のおかげでな……」
「むっ、あんたなんていなくたって私が翔君を守ったのに!」
奏は朝谷翼に向かって威嚇する。
「私が来なければやられていたよあなた達」
彼女の言葉は真実だ。なおも奏は不機嫌だったが、山村翔はただただ感謝する。
「本当にありがとう、てか翼も能力者だったんだな……」
「たいしたものじゃない、それに……」
朝谷翼が何か言いかけた時、バス停にまたも停まったバス以外の物に目を逸らされた。
黒塗りの高級車である。ドアが開いてイメージ通り黒服の男が姿を現す。
「翼お嬢様、ご無事でしたか」
「うっ風見……」
苦虫を潰したような顔をする朝谷翼。この黒服の長身の美男子は彼女のよく知る人物であった。
「そちらの方々は山村翔君と浪川奏さんですね」
「山村奏です」
奏は言い直す。だが黒服は気にも留めていない。
「私は風見凪と申します。翼お嬢様、お姉様がご心配の様子です。さぁお乗りください。御二方も」
「嫌だと言ったら?」
「力づくでいきます」
「あなたに力づくでいかれると……」
朝谷翼は困った顔をして、結局渋々と車に乗り込んだ。
「山村翔、あなたも来なさい」
「いや、俺達は用事があるんで……」
「まさか二人で湾岸地区に行こうってんじゃないでしょうね。そんなの迷惑すぎるわ」
彼女の発言を聞いた風見凪は山村翔の前に立って、笑顔で圧を掛ける。何をされるかわからない。彼もまた致し方なく車に乗り込む。すると当然のごとく奏も続く。
車が走り出す。山村翔は朝谷翼と奏に挟まれて両手に花、ではなく針の筵であった。奏がずっと朝谷翼に敵意剥き出しなものだから。
けれど彼の関心は朝谷翼の方にあった。
「翼はいつ頃からその能力を?」
「わからない、小さい時から。今では制御できるけど……」
「俺は生まれた頃かららしい。わかるよ、変な能力持ってるせいで人より苦労するだろ」
「別に」
そう言う朝谷翼だが、彼女の顔の火傷痕と炎の能力とが関係ないはずはなかった。山村翔も深入りするのは良くないだろうとそこで会話を止める。
十分も経たず、真っ黒の車は再び停止した。扉を開いてみれば目の前に広がるのは和風の大きな邸宅であった。その厳めしさはいかにもである。
仰々しい門を風見凪が開けると、同じような黒服の集団が並んで出迎えた。
「おかえりなさいませ、翼お嬢様」
これがメイドの可愛らしい声ならどんなに良いことか、と山村翔は思った。現実には野太い男達の声である。そして奏のように勘が鋭くなくとも察しがついた。
「翼、お前の家ってその、ヤのつく」
「言うな!」
朝谷翼は機嫌を損ねた。彼女としてもこの実家にあまり帰りたいものではなかった。だから遠く離れた寮生活に勤しんでいたのだが、姉に大事で呼び出されては致し方なかった。
黒い着物を着こんだ朝谷響も出迎えに加わる。
「翼ちゃん、おかえり。それに来てくれたのね、山村翔君。あなたを信じていたわ」
「あの、私のことを無視しないでください」
「あはは、ごめんなさい。ドリル甘粕を倒したんだって? よくやったと思うわ」
「どうして知ってるんですかそれを」
朝谷響は山村翔の問いには答えずくすくすと笑った。末恐ろしいと彼はビクッとする。奏は相変わらず他の女性に敵意を見せ、彼の腕をぎゅっと縛るのだった。
「立ち話もなんだし、上がってちょうだい」
三人の少年少女は風見凪に連れられてまたも仰々しく和室に通された。そこで黒服の従者は退室し、朝谷響と四人になる。
「それじゃあ単刀直入に言うけど、明日の夜明け前、私達は湾岸地区を攻めるわ」
「姉さん!」
「それにあなた達も参加してほしい、山村翔君」
相変わらず朝谷響は笑みを浮かべているが、眼差しは真剣そのものだ。ヤクザの頭領らしい威圧感を放つ。だが妹の翼もその一員だけあって気圧されずに言う。
「断ればいいわ、山村翔」
「いや……響さん、俺の力で良ければ貸しますよ。加わらせてください」
「馬鹿……」
朝谷翼は呆れる。人の気も知らないで、と。彼女は同級生をこの血で血を洗う抗争に巻き込みたくはなかった。しかし山村翔の決意は固い。
「俺、この街には来たばかりだけど……この街の皆を守りたいんです」
「いい心がけだわ、山村翔君」
「優しい翔君は私が守るんだから」
奏も彼に抱き着いて宣言した。朝谷響は羨ましいわねと笑う。
それから朝谷組の頭領は詳しい作戦を彼らに語り、準備も兼ねてその日は朝谷邸に泊まることになった。
その旨を山村翔は叔母橘絵麻に連絡する。馬鹿正直とはいえ湾岸地区に攻め入るといった内容は流石に伏せる努力をしたが、電話越しで彼女は見抜いた。
「危ないことはやめて、帰ってらっしゃい」
「絵麻おばさん……」
「たまには年長者の言うことを聞くものよ」
「すみません、それはできません」
「反抗期ね。でも……」
「俺、絵麻おばさんや花梨、皆を守りたいんです」
「まったく、主人と同じことを言うのね」
「すみません」
気まずい沈黙がしばし流れる。だがやがて橘絵麻は諦めを口にした。
「わかった。わかったわ。でも必ず明日には帰ってくること。おばさんとの約束ね」
「はい、必ず!」
山村翔は電話を切る。しかし実際には不安が心を満たしていた。
鬼抜隊との戦いは苛烈なものになるだろう。
一度体験したならば馬鹿でもわかる。
けれど彼は戦うことにした。それが特異な能力者として生まれてきた理由なのだろうと思った。