エピソード5「暁海町ランデブー」
鏡に映る山村翔の目には隈が出来ていた。
昨夜はあまり眠れなかった。叔母の橘家に来て枕が違うというのもある。だが最大の原因は同じく鏡に映る黒髪ロングの少女であった。
「おはよう翔君。今日も素敵だわ」
「そいつはありがとう、な」
ぎこちない笑みを返しながら、山村翔はリーゼントヘアーをセットする。この日課をこなして彼の一日は始まる。
生憎橘絵麻はこの大型連休にも仕事が入っていて朝から出かけていた。娘の花梨も保育園である。連休も開いている保育園など珍しいが、ともかくそうして浪川奏と二人残されてしまっていた。よりにもよって。
「二人きりだね翔君。今日は何をしよっか」
「あー俺、ちょっと出かけてくる」
「デート! 私を遊びに連れていってくれるのね。どこへでも行くわ」
「いや、一人で……」
「えっ?」
奏が声色を変える。これが山村翔には恐ろしくてたまらない。
「どうして」
「いやまぁその、人間一人になりたい時もあるっていうか」
「そんな、人は一人では生きていけないわ。でも大丈夫、私といればそうやって黄昏ずにすむんだから」
「ああ、アレだよ。デートの下見とか……彼氏ならそういうことしなきゃいけないんだろ」
つい口から出まかせが山村翔から出た。彼は勢いで続ける。
「それに奥さんは旦那さんの帰りを待ったりとか、そういうもんじゃないか? なぁ……」
「……翔君」
奏が震える。彼はやってしまったかと身構えた。しかし次の瞬間、彼女は子供のように破顔していた。
「すごい! そこまで私のことを想ってくれていたのね! 嬉しいわ翔君!」
「じゃ、じゃあそういうことで……」
「行ってらっしゃいダーリン~」
ひとまずの難を逃れたといったところか。山村翔は胸を撫で下ろし、手ぶらで橘家を出た。
彼はとりあえず暁海町のショッピングモールに向かうことにした。高校の近くにこういう大型商業施設はないものだから。
と言っても高校生の小遣いなどたかが知れている。ショッピングは早々に諦めゲームセンターで少し時間を潰し、本屋を見るだけ見るなどした。本屋ならどこにでもあると思いながらも漫画を物色するのはやはり楽しい。彼はそこそこ満足したところで昼の十二時を回っていることに気付いた。
ショッピングモール内の飲食店は混みあいすぎて中々入れないので外に出て、適当な喫茶店を見つけるなりテラス席に座った。昼食を軽く済ませようとサンドイッチとコーヒーを注文する。その後は折角港町なんだし海でも見に行こうと算段を立てた。
としていたら、突然見知らぬ若い女性が向かいの席に座った。
「相席いいかしら」
「えっええ、構いませんけど」
席なら他にも空いているのに、彼は思う。しかし相手が美人だったので気安く返事をしてしまった。歳は大学生くらいだろうか。銀髪がさらさらしていて、甘い香りのする。そして彼はどこかで見覚えのあるような気がしていた。
「山村翔君、よね?」
若い女性は確認した。彼は驚く。どうして自分を知っているのか。最近目の当たりにしたストーカー奏のことを思い出して、山村翔は戦々恐々とした。
「そんなに怖がらないで。翼ちゃんから話に聞いてて。あっ自己紹介しないとね。私は朝谷響。朝谷翼の姉よ。あなたと同じクラスの」
「朝谷のお姉さん?」
「響でいいわ。よろしくね」
そうか、通りで見覚えがある風だったのか。確かにあの朝谷翼に似ている。火傷痕がなければきっとこんな美人だったんだろう、と彼は思いを馳せた。
朝谷翼は「暁海町に行くな」と言いながら暁海町行きの電車に乗っていた。その理由は姉がいたからなのか。詳しい事情を聞き出せるんじゃないかと山村翔は期待する。
「そういやここに来る前に朝谷……妹さんに会ったんですけど」
「翼ちゃんが何か言ってなかった?」
「暁海町には行くなって……」
「ああ、なるほど。それであの子不機嫌だったのね、あはは」
朝谷響はクスクスと笑う。それから山村翔の顔をじっと見て言った。
「私は翼ちゃんとは逆。あなたが暁海町に来てくれて本当に良かったと思っているの。歓迎するわ、ようこそ暁海町へ」
「はぁ、ありがとうございます」
なんだか気恥ずかしくなる山村翔であった。彼女はそこで話を切り出す。
「どうしてあなたを歓迎するか聞きたくない?」
「えっ?」
「物事には何もかも理由がある。そうでしょ」
「じゃあ聞きたいです。何ですか?」
「単刀直入に言えば、あなたの手を貸してもらいたいの。もっと直接的に言えば、あなたの能力が必要なの」
「能力……ですか?」
彼は嫌な予感がした。これ以上聞かない方がいい。そんな気がしてならない。本能が警告する。けれどお構いなしに朝谷響は続ける。
「暁海町は特殊な能力を持った人達がそうね、意識的にか無意識的にか、集まってくる街なのよ。あなたがここに来たのも運命と言えるわね」
「どういうことですか、特殊な能力って……」
「そしてその力を争いごとに使ってしまう。この暁海町では能力者達がいくつかのチームに分かれ抗争を繰り返しながら均衡を保っていた」
「あの、俺……」
「でもその均衡が最近になって破られたの。湾岸地区に現れた鬼抜隊は六人の能力者の集まりなんだけど、それが圧倒的に強くて一気に勢力を伸ばしてきたわ。彼らはとても残虐で平然と人を殺す。能力者だけじゃない、一般人もね」
「帰って良いですか?」
「駄目」
朝谷響の眼光が有無を言わさず山村翔を席に縛り付けた。そして彼女は殺し文句を放った。
「その鬼抜隊と戦ってほしいのよ、山村翔君」
「む、無茶苦茶言うな!」
耐えきれず山村翔は立ち上がる。しかし朝谷響も動じない。
「そんなの警察に任せればいいじゃないですか」
「鬼抜隊のリーダー小田巻聖剣は射程内の相手を無条件で切り刻むことができるわ。警察では手に負えないの。でもあなたなら彼に対抗できる。だってナイフで刺されたくらいじゃ死なないんでしょ?」
「どうしてそれを、まさか」
「翼ちゃんから聞いたんだけど」
見られていたのか、あの時を。山村翔は頭を抱えてしまう。
「不死身ってわけじゃないですよ……ただ身体を水に変えることができるだけで……」
「あら、そうなの? でも山村翔君、一つ警告をしておくわ。自分の能力をベラベラと喋るものではないわ。現に私はあなたに能力を教えていない……でもいつでもあなたを拘束することくらいできる、とだけ言っておくわね」
「さっきから話を聞いていれば……翔君に手を出すなら容赦しないわ!」
会話に割って入る。当然、奏だった。
「奏、なんでお前が……」
「ごめんね翔君、どうしても浮気してるんじゃないかって気が気でなくて……そしたらなんなのこの女! 危険なことに翔君を巻き込もうとして!」
「あら、私は一般人を巻き込むつもりはないわ」
「なら翔君を放しなさいよ」
「翔君ではなくあなたのことを言っているのよ、浪川奏さん。それとも闇の住人が私達の側につく? それなら話は別なんだけど」
「翔君の前でそんなこと言わないで!」
奏は顔を歪める。鬼のような形相だ。だが朝谷響も不敵な笑顔を崩さない。二人の剣幕に気圧される山村翔。
「お、俺は……」
「翔君の気持ちはわかってるから。こんな女に協力することなんてないわ」
「別に強制はしないけどね」
朝谷響は席を立った。そして背を向ける。
「でも自分にできることをしなかったら後悔するわよ、山村翔君。それだけは覚えていて」
そうして颯爽と立ち去った。嵐のように。
「大丈夫? 翔君」
「ああ、話をしただけだしな……だからその」
軽率なボディタッチはやめてほしいと言いたかったが、山村翔には言えなかった。奏のいいようにベタベタにされる。
「それじゃあ帰ろっか」
このままデートしようと言われる前にこう言うことだけは出来た。奏は特に抵抗することなく彼に従う。
そうして二人は橘邸の前に戻ってきて、異変を耳にした。
子供のワンワン泣く声が家の奥から聞こえてくる。橘花梨の声で間違いない。
「どうしたんだ一体」
山村翔は不安を口にする。何かあったのか。
脅かすような話を聞いた後のせいか、それがとてもなく嫌なことな気がしてならないのだった。