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エピソード4「ようこそ橘家へ」

「もう少し寄っても、いいかな」


 揺れる電車の中、有無を言わさず、山村翔(やまむらしょう)の隣の席のストーカーは彼に詰め寄った。

 この浪川奏(なみかわかなで)から逃れるための暁海町(あけみちょう)行き快速であったのに、全ては水の泡である。だが乗車駅のホームで追い返すなんてできない押しの弱さが山村翔だった。

 彼は女子に密着されても少しも嬉しく思わず、ただ恐怖を感じるばかり。


「あっ見て翔君。海が見えてきたわ」


 奏が車窓を指さす。すれば彼も身を乗り出して窓の外を見た。きらきらと日の光を反射して光る水面がゆらゆら波打っている。その景色を見れば単純な山村翔はときめきを感じずにはいられなかった。この際ストーカーのことは忘れて。

 暁海町。人口15万の山と海に囲まれた地方都市の一角。国際色豊かで活気に溢れた港町。

 なんだかんだでここに来ること自体は楽しみであった。唐突に同級生の朝谷翼(あさやつばさ)に「暁海町に行くな」と立ち塞がれても。少年の冒険心は止められないのだ。

 とうとう快速は暁海町駅に停車し、二人は降りた。それからバスに乗り込み彼の叔母の家を目指す。

 その間奏は意外にも話さなかった。彼女にとっては山村翔の傍にいるだけで幸せであり、言葉ではなく心で通じ合っていると信じていた。しかし山村翔からすれば不気味でしかない。

 せめて彼女の人となりをもっと知れたらいいのに、と自分から話しかけることも考えたが、やめた。童貞の彼に同年代の女子と話すすべなどない。

 そうこう思案しているうちに最寄りのバス停についたので徒歩に切り替える。当然のごとく奏は彼にくっついていた。

 空は少し赤みを帯び始めていた。

 そして着いた。叔母のいる(たちばな)家に。

 二階建てで核家族が住むにはそれなりに大きい。奏を加えても上がりこんでも問題ないだろうと山村翔は勝手に思う。そうしてチャイムを鳴らした。

 すると五歳くらいだろうか、小さな幼女が扉から飛び出してきた。手には飛行機の模型、いやピンと伸ばした線が突き出ていることからラジコンだろう、を握りしめて。


「ひこーきビーム! ちゅどどどど」


 赤毛の幼女はいきなりそんなことを言って、爛々と輝く眼差しを山村翔のリーゼント頭に向ける。少しして彼女の希望を察した彼はやられたと称して倒れるふりをした。

 途端にきゃっきゃと笑いながら幼女は扉の奥に戻って、母親を連れてきた。すらっとして背の高い女性が山村翔を見るなりにこやかに微笑む。


「翔ちゃんいらっしゃい」

絵麻(えま)おばさん、お久しぶりです。そっちは花梨(かりん)? 大きくなったなぁ」

「ええおかげさまで。翔ちゃんも成長期ね、身長伸びたんじゃないかしら。それにハンサムになったわね」

「それほどでも……えへへ」


 彼もつい笑顔になる。ある意味では両親より安心できる相手であったし、何よりも美人だ。姉である母とは年が離れていてまだ30そこらのギリギリお姉さんという感じだが、熟れた色気もどことなく漂っている。鼻の下を伸ばすのも無理もない。

 当然奏には面白くないので自分の存在をそこはかとなく主張する。


「橘絵麻さん、ですね。お会いできて嬉しいです」

「あら翔ちゃんそちらのお嬢ちゃんは?」

「私山村翔の妻、奏でございます。どうぞお見知りおきを」

「ちょっとちょっとちょっと待て」


 慌てて山村翔は手を広げる。


「いつから俺の嫁になったんだよ、違う!」

「何も違わないわ翔君。だって結婚したもの、ね」


 奏は一枚の紙を取り出した。婚姻届である。そこには山村翔の筆跡で合意の印が描かれていた。


「馬鹿な、俺の字だ……いつ書いたんだ?」

「覚えてないの? でもちゃんとサインしてくれたじゃない」

「いや、そんなわけがない……多分俺の筆跡を真似たんだ。こいつは偽物だ!」

「ひどい……滅茶苦茶時間をかけて練習したのに私……」


 あっさりと奏は自演を認めた。そういうところは素直なんだなと山村翔は感心するが、だからといってこのストーカーが脅威なのには変わりなかった。

 橘絵麻は笑顔を崩さないが流石に少し困り眉になっていた。彼女は立ち話もなんだしと二人に上がるように言う。奏は満面の笑みを浮かべた。対して山村翔はやれやれと肩をすくめ、トランクを持ち上げる。

 叔母に案内され、彼は二階の叔父の部屋に通された。


「翔ちゃんの好きに使っていいからね」

「いいんですか」

「その方が主人もきっと喜ぶから……」


 橘絵麻はどこか遠い目をした。彼の夫は花梨が生まれて間もなく亡くなったと山村翔は聞いている。死因までは訊いたことがなかったがこの叔父も能力者だったらしく、彼にはどこかシンパシーを感じてやまなかった。


「それじゃあ私は夕飯の支度をするから、何かあったら降りてきてね」

「あっおばさま。私も手伝います」


 奏が名乗りを上げた。すると橘絵麻も笑ってじゃあ手伝ってもらおうかしらと奏の肩に手を置く。意外に思う山村翔であったがひとまず一人になれるのに安堵した。

 だが徐々に不安が増していくのだった。あのヤンデレ女のことである。何か一服盛られるんじゃないかと時間が進むたびに思えた。

 とうとう夕食の時間になり、腹を決めて彼はリビングに降りる。が一人暮らしの実家と比べて豪勢な料理を見るなり、不安を片隅にやって心地よくなる。


「これ、絵麻おばさんが?」

「全部じゃないわ、みそ汁は奏ちゃんが作ってくれたし」

「ねぇ、味見してみて」


 奏が期待を込めて微笑む。たちまち背筋が凍る山村翔だったが催促に負けてみそ汁を飲むなり、表情を変えた。


「なんだ、普通に美味いぞ!?」


 奏の料理の腕は確かなようだった。彼は舌鼓を打つ。彼女も良妻アピールが出来て嬉しそうにした。

 当初の予想よりも和やかに夕食は終わった。

 それから山村翔は橘花梨と遊ぶことにした。奏と二人きりになりたくないが故である。花梨はままごとを所望し彼と奏がパパとママ役を務めた。奏は夫婦ごっこが出来て恍惚としたのは言うまでもない。

 それから三人でテレビを見たりして過ごした。やがて幼い娘の元気が底を尽きると、母に連れられて抜けた。山村翔はあえなく奏と二人きりになってしまった。


「じゃ、俺、今日は早めに寝るから……」


 山村翔はそそくさと出ようとしたが、グイっと捕まえられた。


「待って翔君。今朝はずっと寝てたよね。まだ眠れないんじゃないの?」

「いいや寝るんだ!」


 彼の身体がまた水となって、奏の手をすり抜けた。つい自分の能力を使ってしまったことをすぐ反省する。それにあまりにもそっけない態度だと山村翔は思ってしまった。


「ごめんなさい。押しかけてさらに引き留めるなんて、迷惑だったよね。私、気持ち悪いよね」


 奏が俯く。彼はなんとなく悪い気がしてリーゼント頭を掻いた。


「いや、それより気になってたことがあるんだけどさ……」

「何かな」

「奏はどうしてそんなに、俺なんかのことが好きなんだ?」


 山村翔は今まで聞こうとして聞けなかったことを口にしていた。


「そんなの、理由なんていらない。あなたは素敵で好きすぎて自分の気持ちを抑えられない。でもしいて言うならきっかけは、多分……消しゴムを拾ってくれたから」

「えっ、どういうことだ?」


 彼には心当たりのないことだった。しかし奏は覚えてないのと問いかける。


「小学生の時、クラスで……」

「えっ、小学校一緒だったのか? すまない、ちょっと覚えてない」

「ううん、私は目立たない生徒だったし……翔君にはきっと当り前のことなんだよね。落とした消しゴムを拾うなんて。でも私にはあなただけが優しかったし、あの日のことを思えばなんだって耐えられるって……」

「どうした奏、まさか泣いているのか?」


 彼女の瞳から涙が伝っているのに彼は気付いた。自分のせいか? 慌て始める。

 その調子を見て奏はなんでもないと涙をぬぐった。


「とにかく私は翔君のことが好きすぎて将来御嫁さんになりたいって思ったの。それだけのことだよ」

「それで俺のことを調べたり、つけてきたのか……」

「うん」


 やっぱり怖い。愛されるのに慣れていない山村翔はそう思った。


「じゃ、俺、本当に寝るぞ」

「おやすみ翔君」


 奏は手を振る。彼は少し安堵して二階に上がった。その後また彼女が体に付着した彼の水滴を舐めとっているとはいざ知らず。


「はぁ、もっとあなたを飲ませてほしいよ、翔君……」


 この少女の狂気をまだまだ理解できていない山村翔であった。

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