エピソード2「暁海町へ行こう」
家に慌てて帰ってきた山村翔は真っ先に電話を掛けた。
出張中の両親にではなく、叔母の橘絵麻にである。というのも彼にとっては特殊なことなら一番話しやすい相手であったからだ。叔母は彼の水になるという特異体質のことも知っている。彼女の夫もまた不思議能力の持ち主だったらしく慣れているのだ。
そこで彼は洗いざらい喋った。異常なストーカー少女浪川奏に告白され、その場で刺され能力を知られたことまで。山村翔という高校生男子は馬鹿正直なので取り繕って口にしがたいことを隠したりなんて出来ない。一通りの話を聞いて、叔母は電話越しに深く頷いた。
「モテるって大変ね、翔ちゃん」
「それどころじゃないですよ! 今も背後を振り返ったらあいつがいるんじゃないかって不安で不安で、おちおち家で寝てられないっすよ」
「じゃあゴールデンウィークはうちに来る?」
「絵麻おばさんの家に? いいんですか?」
「勿論よ。花梨もきっと喜ぶわ」
そう、明日からゴールデンウィーク、長期休暇である。しばらく学校には行かなくても済むがあの奏の様子を見るに平穏では済まない。一人で家にいるのは不安な山村翔であった。だけに話に乗る。
「行きます行きます。じゃあ今夜準備して明日に」
「うん、待ってるわ」
話がまとまって電話を切る。彼は放課後のことを忘れ急にワクワクする思いを抑えきれなくなった。叔母の家で泊まり。意外と楽しめるかも。何せ叔母の住む暁海町は景観の良い港町で県内で行きたい都市ナンバー3に入る。遊ぶところも多そうだ。なんとなくフワフワとしたイメージで彼は楽しみにした。
夢をトランクに詰め込んで寝る。そして次の朝。彼は寝ぼけ眼で鏡台の前に立つ。
「まずいな寝すぎた、もうこんな時間」
一人ごちながら、髪を丹寧にセットする。今日も決まったリーゼントヘアーだ。うん、かっこいい。山村翔は自分の姿に惚れ惚れとした。
今日から暁海町でバカンス、とSNSに書き込もうとして、彼は思いとどまった。そうだ、アカウントをあのストーカーに知られているんだった。折角の逃避行が水の泡になるところであった。危ない。
だから時間外れの「良い朝だ」とだけ書き込んで(彼はSNS中毒なので書き込まずにはいられない)トランク片手に家を出た。
ああ、確かに清々しい朝、ならぬ昼だ。彼は感嘆した。奏の影に怯えさえしなければそれももっと感じられるのにと悔しがる。もっとも暁海町にさえ行ってしまえばこっちのものだ、と駅へと足を速める。
改札口を通り、駅のホームで快速電車を待つこと五分。ふと、視界に見覚えのある顔が入った。
同じ学校、同じクラスの女子である。生身の人間にあまり興味のない山村翔でも名前を知っている。朝谷翼。特徴的な銀色の前髪を片目に伸ばして隠している。
顔の半分の、火傷痕を。
だから物覚えの悪い彼ですら一度見たら忘れない。クラスで目立ってしまう少女だった。その容姿のせいか彼と同じように一人で昼食を食べている。だがそれも当然だと本人が思っているような、どこかクールな雰囲気を醸し出していた。
その朝谷翼が偶然にも同じホームにいる。だが気安く話しかけることなど山村翔には出来ない。しかし彼女の方は彼を見かけるなり、ずいずいと近寄っていく。
「山村翔」
彼女がぶっきらぼうに声を掛けた。彼もやぁと気の抜けた挨拶をする。
「奇遇だな、朝谷。これからどこか行くのか」
「暁海町には行くな」
「は?」
朝谷翼は用件だけを述べた。困惑する山村翔。彼は少ししてから自分の行き先を知られているということに気付いた。
「なんでだよ……あんたも俺のストーカーなのか?」
「そんなことはどうでもいいから。暁海町に行くなと言っている」
「何よあなた。しゃしゃり出てきて、翔君の勝手でしょ」
と突然降って湧いたかのように黒髪ロングの少女が口をはさんだ。山村翔は口をあんぐりと開ける。つけられていたのか! 奏は彼のトランクに固定された腕に腕を回して組み、朝谷翼に威嚇した。
その時、アラームと共に快速電車が停車した。
「……いい、警告はしたから。今すぐ帰りなさい」
そう言い捨てて銀髪のスカーフェイスは電車に飲まれて消えた。ついぽかんとして、山村翔は乗り遅れる。暁海町行き快速は走り出していた。
「どういうことだよ……」
彼は頭を抱えた。二重の意味で。もう一つの問題は、勿論傍らのストーカーである。
「大丈夫、次の電車で行きましょうダーリン。そんなに落ち込まないで」
全ての元凶は恐るべき笑顔を彼に向けた。