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エデンのちょっと東

作者: SH

 彼は荒野を歩んでいた。

 草木もまばらな痩せた地を踏み、一歩、また一歩と足を進めていく。

 襤褸(ぼろ)(まと)い痩せこけた身体を酷使(こくし)し、時おり岩につまずきながらもその歩みは止まらない。

 彼は罪人であった。

 弟を殺した罪により、人々から石もて街を()われた。

 飢えと渇きで足が動かなくなるまで、彼はただただ歩きつづける。(けが)れた(むくろ)を人目に(さら)さぬため。大罪を犯したその身をすこしでも街から遠ざけるために。


 幾つかの日没と日の出を越え、引きずる足にも感覚がなくなりはじめた頃、周囲の風景に変化が訪れた。

 硬くひび割れた大地は柔らかな土となり、遠く地平を見渡せる荒野もおもむきが一変する。背の高い広葉樹が視界に入り、濡れた草葉の清涼な(にお)いが鼻腔を刺激する。おそらく地下には水脈が通っているのだろう。かすかに湿り気を帯びた風が肌を撫でていく。

 おぼつかない足をよろめかせつつも、彼は歩みを止めることなく進んでいく。

 森の中はひどく暗かった。

 見上げれば木々の樹冠(じゅかん)が頭上で重なり、陽光はほぼ遮断されている。葉と葉の間からわずかに(こぼ)れ落ちた光芒(こうぼう)が、周囲に複雑な陰影を形作っていた。

 足許に落ちた自身の影以外に動くものはなく、野鳥や虫の鳴き声も()えて久しい。

 歩みつづける先は道なき道。人手の入っていない原生林といった様相(ようそう)である。とはいえ群生する樹木により日光の大半が(さえぎ)られ、下生えが育つ環境にないため森の中は非常に歩きやすかった。

 まるで生物の気配が感じられない静かな森ではあるが、しかしそれは生命に満ちた静寂だった。()い茂る木々の幹は太く、無数の枝は長く伸び、螺生(らせい)した葉は豊かな緑をなしている。やがてその葉は枯れ落ちて、大地に根ざす樹木を養う腐葉土となるのだろう。――これはある種の自給自足であり、森はその存在のみで完結している。何ひとつ過不足なく、完全なる命の循環がここにはあった。


 歩みを止めた彼は、ひと際大きな樹木の前に座り込んだ。もう一歩も動くことができなかった。(かつ)えた喉は呼吸をするたび痛みを伝え、ほそった手足はみずからの意思とは関係なく小刻みに震えていた。

 餓死とは非常に苦しい死に方である。

 咎人(とがびと)である彼が天の門に迎え入れられるはずもなく、死後の安らぎを得ることも叶わない。それでも彼は、不思議と恐怖を感じることはなかった。

 たとえその身が朽ち果て土に(かえ)ろうとも、彼の死は決して無駄にならないだろう。寄り添う大樹の(かて)となり、尽きることなき命の円環に取り込まれるのだ。

 満足げに吐息を洩らした彼は、もうろうとした意識の中でその場に身を横たえる。

 くらい眠りにいざなわれ、そのまぶたをゆるやかに閉ざそうとしたとき、さらさらと風に揺れる葉擦(はず)れの音が鼓膜を震わせた。


 揺れた枝葉の隙間から、あわく差した木洩れ日がその顔を照らしていた。


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