第十七話 底に沈む
ダニエル・ラシュトンに早々にここを立とうと相談してみると、宴には出たいとのことだったので、早朝に立つことに決めた。私は彼の頭の中が見える。お菓子でいっぱいに違いないのである。
「ふんふんふーん。あまぁいあまぁいクリームとぉ~♪ あまぁいあまぁいクッキーにぃ~♪」
「…………」
さて。
どうか、ダニエルはこの村の異変に気が付かないでと思うけれど、きっと彼は最初から解っていたのだろう。だから、救いたくないなんて言葉を吐いたのだ。
申し訳ない気持ちになる。
もしかしたら、私は彼を傷つけたのではないかと。
無理を、させてしまったのではないかと。
私はパンパンっと頬を叩く。
暗くなっても、何も始まりはしないので、ネガティブに考えるのはこれでおしまいだ。
私は村長宅を訪ね、村長に「宴の時は毒味をしたいのですが」と言う。ダニエルは優秀な魔術師で、警備の薄い田舎では、敵の優秀なスパイに何を入れられるか解らないからと理由を言って、この村を信じていないからではないのですと笑顔で付け加えた。村長は隣にいる男に何やらこそこそと話し、了解しましたと毒味の許可を貰った。これで相手の警戒が高まる可能性はあるけれど、宴に何かを盛る可能性は低くなっただろう。私だけが引っ掛かったのでは、ダニエルを押さえられないので意味がないはずだ。
よし。ダニエルが楽しみにしているお菓子はこれで守れたかな?
宴は盛大に、それでいて滞りなく終わった。
若い娘の舞は美しく、出された料理も美味しかった。
肌寒さを感じる早朝、ダニエルを起こすのに少し手間取ったものの、私たちは馬車の前まで来ていた。けれど、村長の「動くな」という威圧的な言葉に、私たちは振り向く。どうやら、こちらの動きがバレていたらしい。村長の両隣には男が二人、銃を持って私とダニエルに照準を合わせていた。私だけならなんとかなるけれど、ダニエルの戦闘の腕が解らないので、動くことが躊躇われる。私が動けないでいると、後ろから大男が現れ、私の首に腕を回した。ぐっと力を入れられ、息が苦しくなる。
「…………これは、どういうつもりなの?」
ダニエルが苛立ちながら、村長に聞いた。
「私どもは、貴殿方をずっと観察しておりました。魔術師様、貴方とこちらの使用人は仲睦まじい間柄のようだ」
それには少し語弊があるのですが……。
いやでも、傍目から見るとそうなるのか。
そして、見られてたのか。
穴があったら入りたい。
「使用人を傷つけられたくないのであれば、どうか私どもの願いを聞いて頂きたいのです」
「願いって?」
「枯れることのない湖です」
「そんなの、出来るわけ……」
「やっていただけないというのなら、この娘の爪を剥ぐことにしましょう。なに、命までは取りませぬ」
人質だものね。命は保証するけれど、それ以外は保証しないということか。
村長は、私たちを湖まで移動させる。ダニエルは村長を睨み続け、銃を持つ男が銃でダニエルをつつくのを、私はひやひやしながら見ていた。
湖まで着くと、ダニエルが長い詠唱を唱え杖を振る。すると、湖全体がぱぁぁっと光った。これでいいでしょとダニエルが言うと、村長はこれが本当に枯れない湖なのか、三ヶ月間待たせてもらうと言った。
「…………約束が、違うんじゃない?」
「解放することに関しては、私どもは何も言ってはおりません」
村長の堂々とした発言に、ダニエルはぎりっと歯を鳴らした。
「何故、このような恩を仇で返すことをするのですか? 水が足りなくて不安だと言うのならば、何個か作ってほしいと願えばいいではないですか」
これでは、双方が傷付くだけだ。
私の疑問に、村長は答えてくれる。
「国には水路を作ってくれと頼みました。だが、断られた。…………祈祷師様にも頼みました。だが、金が足りないからと断られ、魔術師様に至っては、何の返事も届きはしなかった……。そんなことがあって、どうして何かをしてくれると、信じられるのでしょうか! 隣の村の井戸が、どれだけ借りられるかも分からないというのに! 信じれるものなんて、何もありはしないのです。水がないと、喉は渇く、作物だって育たない。私どもは、明日死ぬかもしれない恐怖に怯えているのです!」
村長の嘆きに、私は冷ややかに聞く。
「だから、恩を仇で返すのですか」
「はい」
「………………」
私は何も言えなかった。解るのだ。守るためには、他を傷つけることを厭わぬその気持ちが。
けれど、ダニエルの言い分は違った。
ダンッと彼は、杖で地面を叩いた。
「頼んだ頼んだ頼んだ頼んだ。結局、お前らは何もしていないじゃないか。……国が悪い。祈祷師が悪い。魔術師が悪いと言って、自分たちはただ悲劇だと嘆き、何もせずに、何もしてくれないものを恨む。だから、お前たちなんか、救いたくなかったんだっ」
ダニエル・ラシュトンは激怒していた。珍しく怒鳴り、彼は村長を睨み続ける。
「泣けば誰かが助けてくれる。そんな赤子のつもりでいたんだろう? 天才で、魔術師であるボクが何かをしてくれるのは、当然のことだと勘違いをしているんだろう? そんな決まりなんてどこにもないというのに、勝手に押し付けるんだろう!」
どうやらダニエルは頭に血が上っているらしい。こんなに激情するなんて、いつもの彼ではない。
村の様子がおかしいと思ったのか、声が大きくて起きてしまったのか、しだいに村人たちが集まってきた。その表情は事情を知っているようで、どうやら村全体がダニエル・ラシュトンを利用しようと考えていたのだと解る。
ダニエルは杖を振りかざし、呪文を唱えた。
村全部を覆うように尖った大きな氷の結晶が、空一面に現れた。私の首を絞めようとする大男の眼前にも、それは現れる。だからだろうか。温度が一気に冷えたように感じたのは。それとも、これだけのことをしてしまえる魔術師に怯えたのだろうか。村人たちの顔は、一様に真っ青だった。
「……ボクのメイドの首が絞まり、死ぬのが先か。ボクが氷の結晶を降らし、村が壊滅するのが先か……ねぇ、村長サンどっちだと思う?」
今のダニエル・ラシュトンは危うい。
引き返せないことをしでかしてしまうかもしれない。
だから、動くなら今だと考えた。
私は私を封じていると勘違いをしている大男に肘鉄を食らわし、豪腕ともいえる太い腕を片手で持ち、湖へと投げた。ただの使用人の少女と思っていただろう村人たちは、驚きの顔を隠したりはしなかった。
唖然としている彼らを、私は次々と湖へと放り投げていく。勿論、戦えそうな男ばかりを投げ、子供やお年寄り、女性には手を出したりはしなかった。
逃げようとする男を湖まで追い詰め、軽く蹴って湖へと落とす。全て湖へと入れた私は、一息つく。
すると、ドォンという銃声が、辺りに響いた。
私は体に手を当てる。その手にはべったりと、血がついていた。振り向くと、銃を持った少年がいた。震えながら、彼は「…………化け物ッ」と呟いていた。
そりゃ、事情を知らない子供から見たら、村の大人たちを投げる化け物に見えるかと、何故か納得してしまう。私は痛みによろめき、バランスをとろうと後ろに足をやるとそこには地なんてなく、私はふわりとした浮遊感を覚えた。
視界の端では、必死な顔で手を伸ばすダニエルの顔が見えた。今日だけで彼の珍しい表情を、かなり見られたのではないだろうか。
私も手を伸ばすけれど、それらが触れ合うことはなく、私は背中を水面に叩きつけた。
ぶくぶくと、私は沈んでいく。泳がなくちゃ、上を目指さなくちゃと思うけれど、体は動いてくれない。どうやら撃たれた場所が悪く、意識を保つのがやっとのようだ。
しだいに霞み始める視界。
私は、意識を手放した。