二章 一話 アジトでの一時 shower time
アスファルトもフライパンと化す夏休み。
泣く子も黙る暑さのなか、東京都新宿区・旧練馬地区にある廃ビルの地下にある小さな部屋に、磯澄勇也はいた。
「…………暑い。……………………なんでクーラーがないんだ」
勇也の独り言ではなく、この部屋には勇也の他に、『トレイン』のリーダーを務める香崎美春。副リーダーの宮之内健がいた。
ちなみに、『トレイン』のメンバーはもう一人、雨宮心明という少女もいるのだが、彼女は自身の役割である情報収集へと向かっているため、この部屋にはいない。
「悪いね。ちょっと前に壊れちゃってさ……」
勇也に答えたのは美春だ。彼女も彼女で、勇也同様暑さでぐったりしている。
「地下な分、地上よりは涼しいんだ。我慢しろよ」
「そう言う宮之内さんだって、タオル常備じゃないですか」
「我慢しているからといって、暑いものは暑い」
「……………」
と、そこで暑さにやられたのか、美春がおかしな閃きを発揮した。
「あ、そうだ。勇也くんの能力でさ、この部屋を覆っちゃえば涼しくなるんじゃ…………?」
勇也の能力は『破滅波槍』と呼ばれる、水を操る能力だ。
美春は勇也に水の幕を作らせ、部屋の壁に張り付けることで、部屋の中を涼しくしようというのだ。
「良い考えだな。やれ磯澄」
「俺の負担とか全く考えられてないアイデアですね」
「いいからやれ」
「……………………わかりました。それで、どんくらい水出せば良いんですか?」
どのくらいの水でどのくらい涼しくなるのかは、誰にもわからない。
「もういっそのこと、このテーブルのまわり以外全部水にしちゃう?」
「それじゃ空気無くなるぞ」
分量というのは、多ければ良いというものでもないのだ。
…………数分の談義の結果、厚さ15センチメートルほどの水の壁を作りだそうという結論に至った。
「よし。……じゃあ、いきますよ」
勇也が、ゆっくり天をあおぐように手を振ると、何もなかった空間に突如として大量の水が出現した。
勇也が手を動かす度に、水がどんどんその形を変えていく。数秒ほどで、水は厚さ15センチメートルの壁となり、部屋の中はまるで水族館のような青い世界となった。
「ほー、さすがは『天席』あれだけの水を自由自在だな」
美春の呟きには、勇也は反応しなかった。
数分たって、宮之内が口を開いた。
「青色というのは、やはり心理的な涼しさを与えてくれるようだな。……それとも、早くも水の壁の効果が出てきたか」
「確かに、ちょっと涼しくなった気がするな」
「いつまで能力使ってればいいんですか…………」
うんざりしたような声を出しながら能力を維持する勇也だった。
「まあ、確かに少し涼しくなってきました……け、ど……………………っ!?」
勇也の思考が止まった。
ガチャリ、と。部屋のドアを開ける音が聞こえたからだ。
そして当然、そのドアの内側にも水の壁が張り付けられている訳で。
「皆さん、ただいま戻りましぶはぁ!?」
情報収集を終えてアジトへと戻ってきた雨宮心明は、思いっきり厚さ15センチメートルの水の壁へと突っ込んだのだった。
あまりの出来事に、その場にいた全員が言葉を失う。
沈黙が続くなか、最初に口を開いたのは被害者だった。
「これは…………、何の、ドッキリなんでしょうか……………………」
その言葉に、加害者の3人は瞳から光を失わせていく。
「「「ごめん忘れてた」」」
「……ふ、ふふ…………。やっぱり私はもういらない子……? そうですよね、ええ、今や私たちには『天席』がいるんですもんね。物理的攻撃力皆無の私なんて、…………はは」
「う……………………」
心明の発するネガティブオーラに圧倒される『トレイン』の正規メンバー達。
そんなわけで、茶髪の少女はお風呂タイムなのであった!
「勇也君、心明がシャワーを浴びている間、君はどうする?」
美春が真剣な眼差しで勇也を見つめた。
「どうするって…………、どういうことですか」
「君には3つの選択肢がある。
①、心明が持ってきた情報に目を通す。
②、風呂場を除きにいく。
③、風呂場付近で情報に目を通し、ハプニングを装って風呂場へ突入する」
「じゃあ①で」
「そうかい? これが宮之内なら、即答で③を選ぶところだが……」
「磯澄。これで、『リーダーだからと言って、その言葉を全て信用していい訳ではない』ということを学んだな」
「そうですね」
「あれ? いつの間にか新メンバーへの教育話になってるし。…………おーい、君たちが行かないなら、あたしが乱入しにいくよ?」
「ご自由にしたらどうです。ガス代払うのは下部組織の連中なんでしょ」
「まあ、そうだが……」
磯澄勇也は、たった数日前に暗部組織の所属となった普通の高校生である。
だが、それにしては…………
「なんというか、胆が据わってるな……」
「は?」
「普通の高校生なら、見たこともない他人に金を払わせることに抵抗を覚えるものだが……。余計に君の過去が気になってしまう
「まあ、おいおい話しますよ。そんなことよりも、早くシャワールームに行ったらどうですか。雨宮が出てきますよ」
しばしの沈黙。
「…………勇也君。君、心の中では③を選んでいただろう
「普通の高校生、ですからね」
「…………まあ、行ってこよう」
少し目を細めたものの、すぐに気分を良さげにしてシャワールームへ向かう美春。
途中から空気と化していた宮ノ内が口を開いた。
「磯澄、お前も中々だな」
「②の人には言われたくないですよ」
「…………」
「……………………」
その頃のシャワールーム。
「はろーはわゆーぼでぃーみせて!」
「みゃあ!? な、何ですかリーダー!」
「こーこあちゃーん、ちょ~っと体の凹凸が少なくないかね?」
「んなっ!? 失礼ですよ! Fカップの何が偉いんですか!」
「Aが何を喚こうが小鳥の囀ずりにしか聞こえない」
「Bはあります! 私の成長期はまだ終わりませんから!」
「会話がストレートに聞こえてくるな」
「喋らないで下さいよ一字一句漏らさないようにしてるんですから」
「……………………」
男は男なのだ。
そして数分後、シャワールームから出てきた心明と美春を迎えて、『トレイン』のメンバーが全員揃った。
心明の持ってきた資料を読み出す四人。そこで、勇也の表情が一気に凍った。
「なあ雨宮。この名簿は?」
「それは、今回の相手である組織の、関係者と思われる人物のリストです。…………どうしました?」
「この名前を見てくれ」
そう言って、勇也は自分の読んでいた資料をテーブルに出した。
そこに書かれていた名前は。
「磯澄日奈子。俺のもう一人の妹だ」