1-eins-
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単純な話だ。
彼が狩られる者、私は刈る者、ただそれだけだった。
朝方の日当たりの悪い室内はまだまだ空気がひんやりとしていて、思わず身体が震えた。その廊下は静かに長く、そして私を迎えていた。
―最早日課になってしまった、彼との逢瀬。
まるで無機物のように変化の無い彼が始めて変化した『私』と言う存在。
それから担当になってはや幾年が経ったのか、記憶することすら滑稽だ。
彼が有機物になる時だけ、私は無機物になる。
そうして対峙しない事には、私は彼のお気に入りではいられないのだ。
やがて『彼』のいる部屋の扉が姿を現す。
その扉のノブに手を掛ける前に立ち止まって、準備をする。
3。
2。
……1。
重厚な扉の音と共に、私は彼の『私』になる。
無機質な壁。無機質なイス、そして透明な壁を隔てた向こうの端正な顔立ちの彼。パーマをかけたブラウンのショート、太陽光とは無縁の白い肌。白の囚人服に身を包んだ姿はさながら天使のようだ。
『彼』は微笑む。
人を殺し続けた、『彼』が微笑む。
しばらくの沈黙を破って、彼が静かに口を開いた。
「何を」
脈絡のない無機質のような会話にももう、慣れた。
「考えてるの」
「何が」
彼は私の瞳を捕らえると、嬉しそうにニッコリと笑い、私が今入ってきた扉を指差して言った。
「僕の部屋の前30㌢、ドアノブに手を掛ける前に貴女は3秒溜める。何を、考えてるの?」
教えてよ。そういう彼の口元は引きつっていた。
「教える必要なんか、ないわ」
「冷たいね」
「ええ」
2度目の沈黙。その瞳はただ無表情な私を映す。彼の瞳に映る私はとても人間とは思えなかった。やがて沈黙の中ふっと息を吐き出した彼がはじけたように笑い出した。
「ふはははっ! あはははっ! ははっ! …っ君はいいね。とてもいい」
「そう」
「僕はそんな君が好きだ。僕を拒みもしない、受け入れもしない、中途半端な感じ。俺を生きていると感じさせてくれる」
「そう」
「なぁ忘れないで。そんな君も好きだけれど、有機物の君も好きなんだ。感情豊かに僕を追い詰めた君。あの激しい君も好きだよ。あの激しい感情を受け止める快感がたまらなかった」
「だから僕は君の手助けをするんだ。僕以外の虫けらが君を殺すのは許せないから。いいかい」
―君を殺すのは、僕なんだからね。
―そして僕を殺す権利があるのは、君だけなんだ。
「さあ、今日はどんな虫けらのやらかした事件だい?」
「これよ」
そして彼と私の唯一の通気口の前で、私は分厚い書類をバサリと落としつけた。その白の束を追い掛けて、彼のゴールドの瞳がキョロリ、と妖しく動く。流石に壁を隔てたら渡せばしないので、いつもここで自分があらかたを朗読して説明してやっているのだ。そのままパイプイスに腰掛け、資料の束を拾い上げて彼を真正面から見据えた。
「今回は他の課が受けて、一応終わったとされた事件を無理矢理むしり取ってきてやったんだから感謝して」
紙を丸めてぽんぽん、と片手の中に打ち込むと、彼の眉がピクリと動く。
「この僕を楽しませるくらいなんだから、余程の事を扱う課なんだろう? そうすると、―ああ、特殊課だな」
「ご名答」
紙を開くと、彼はニンマリとらしい笑みを浮かべ、脚を組み直してこちらを見つめた。
―様々な異種族が認められたこの時代、異種族関係の事件を扱う課は、総じて『特殊課』と呼ばれている。吸血鬼、魔女、狼男―全て異種が絡めば特殊課に回される。特殊課ではあらゆる能力者―を飼い慣らしている。彼らが各々の力を使い、事件を追い掛けるのだ。自分はそんな能力者に憧れた事は―あまりなかった。彼らは所詮「飼われている」事を他より酷く実感せざるを得ないだろうから。まあ組織に飼われている自分もそれは変わりないのかもしれない。
「聞かせてご覧」
シュヴァルツのその微笑みは彼の本当に楽しんでいる証だった。逆に期待外れだと後々が怖いんだけれども。
「…事件が起きたのはとある公園。朝方散歩に出ていた老人が公園のベンチに座っていた―座らされていた女性を発見。後頭部に陥没痕、首筋には二つの穴。彼女は―全身の血液を抜かれていた」
「…続けて」
「それからその僅か離れた別の公園の像の下、路地の隅、街路樹の下、廃屋、ビルの屋上、大学の敷地内…と同じような状態で次々と女性が殺されて捨て置かれているのが発見され、9人目で上はようやく鉛の様な腰を上げた…それぞれの遺体からは2つの穴とヴァンパイアの痕跡を…血を吸った事を確認済み」
「……へえ」
シュヴァルツがその真っ赤な唇をぺロリと舐め上げてから唇をゆるりと持ち上げて楽しそうに笑った。これは良い感触かもしれない。説明を終えて一区切りすると、彼はじっと考え込んだ後にゆっくりとその唇を開いた。
「……ヴァンパイア、か」
「まあそうなるでしょう、だからこの事件は特殊課に行ったのだし、他の課に任せられるものではない。彼らは異種族に対抗し得る唯一の人間だから。それに私は能力者ではないから」
私はね、と言ってそのまま自分の膝を叩くと、彼は違いないと言って柔らかに微笑した。
「でもね、特殊課と違うのは、能力が無い者は代わりにその脳みそで考える、という事ができるんだよ。そしてそれは人間の強みだ。能力者は能力に頼り過ぎて己を見失うきらいがある。普通の人間にとって、思考は最高の武器さ」
私は小さくため息をついて、諦めた様に目の前の彼に言い放った。
「そうよ、私は唯の凡人。だからこうして頭の良い貴方に請うているの、尤もーこれは貴方の空虚を埋める為に、既に終わった事件の資料をもぎ取ってきたに過ぎないけど」
私は脚を組み直し、改めて天使の顔をした彼を見る。
「…シュヴァルツ? それで感想は如何?」
シュヴァルツ、それが彼が教えてくれた彼自身の名。それは天使の容貌を持つ彼からは想像もつかない「黒色」という意味を持つ。間違ってはいない、だが何も知らぬ人間なら到底信じられないだろう。長いまつ毛が2・3度震え、瞬きをしていた瞳が再びこちらを興味深そうに見つめた。
「ミエル。…そうだねぇ、面白いよ。まずいくらこの時代、あらゆる異種が認められたとはいえ明らかな殺人は違法だ。こんな昔ながらの手法で明らかに「喰い散らかしている」のはお行儀が悪いね。何故そういう事をしているのか…お行儀を躾けられていないか、もう一つは」
「何か理由がある」
そう言うとシュヴァルツは満足そうに一つ頷いた。
いくら異種とはいえ殺人はご法度、それは大人は勿論、物心のついた子供にだって分かる。それと、と彼―シュヴァルツは唇の前に人差し指を立てながら、目の前に居るミエルの沈黙を見計らって柔らかに崩す。
「この犯人は他にも固執している。公園。路地端、街路樹の下―そうだ、僕は路地端の傍には大きな樹木があるとみる。廃屋だと庭先に一本くらいあるかな。ビルの屋上は飛行機が発着できるビルでそこの色は緑。大学の敷地内は樹木の5・6本はあるだろう。…どうだいミエル」
「………樹木、もしくは緑」
「そう、犯人は樹木か緑そのものに固執している。理由は分からないが、ミスタ―かミス…ああこの際だから彼でいいか。…兎も角、彼にとってそれは理由のあるものだ。それ以降も彼はそれに固執して殺人を犯しただろう」
「緑にどんな意味があるっていうの」
ミエルがそっけなく問いかけると、シュヴァルツは組んだ脚の上に己の肘を乗せ、人差し指を唇の前に立てた状態のままうっすらとその唇に笑みを浮かべ、口を開いた。
「15世紀に発刊された世界初の色について語った本、『色彩の紋章』によれば、『緑色は渇きと湿り気の中間にある物質にあって熱さによって生じる。しかし葉や果実や木々から分かるようにこの色は渇きよりむしろ湿り気の方に傾いている。
そのため緑色は黒っぽい。そして両眼に緑を眺めるように促し、力をつけ、さらに眼が疲れたときには回復させてくれる。
この色はいつも陽気で、青春の色である。木々、野原、葉、そして果実を表す。石ではエメラルド・碧玉・緑石英などに例えられる。いずれも貴石である。
この色は美・悦び・快楽・永続を表す。……この色は時間と共に変化するから、愛が変わりやすいことを意味している』とある。栄枯盛衰の色と言えば分かりやすいかな。緑はやがて枯れ、黄色くなる、そして緑を繰り返す。二面性…移り気のある色なんだね。
そして黄色はー裏切り者が身に付ける色。狂った者が身に付ける色。発刊された当時の時代でいえば、愚か者を演じていた道化師、理性の働かない子供の身に付ける色だった」
「……シュヴァルツ、貴方」
顎にかけていた手を離し、目を大きく見開いた状態のままシュヴァルツを見た。
「……相手は、道化師…否、子供だったと?」
見つめる彼の瞳は面白そうに輝いて、その口元は彼の手に隠されて見えない。薄い壁の向こうの黄金の瞳は、そこには見えない何かを見通しているかのようだった。
「………さぁて。でも僕は…僕には犯人がまるで子供の様に見えるんだ。安っぽい殺し方、固執している緑。そして殺されるのは皆若い女性…子供が愛おしい者を―母然り、恋人然りを求めて邪魔する者を殺している。二面性の緑…二面性を持った緑。それは幼子の皮を被った者の様。……だから僕は先程犯人を『彼』と言った。殺されているのが女性だから。そして彼は己が理性を欠いた子供であると、殺人の中に紛れ込ませて提示している。気がついてほしいから」
「……子供の皮を被った」
衝撃に言葉が出ず、額から零れた汗がぽたり、と地面に落ちて色を変えた。シュヴァルツは尚も淡々と言葉を続ける。
「さぁて…それは分からない。でもきっとそれからも彼は殺した。そうだね、裏切りの黄色を持ち合せる緑なら、そう…殺す人数も13人、最後はきっと…本命を殺した。二面性の緑、裏切りの数字に最大の意味を込めて。付け足して言うなら、緑という色はその二面性から悪魔の色、とも言われている…現在もそうだね、醜い化物の象徴の色であるよね。彼はヴァンパイアといしての自分も知って欲しくもあったのかな」
「……」
酷く自分がうろたえているのが分かったが、どうする事も出来なかった。カタカタと震えるミエルの手を見ながらシュヴァルツは面白そうに笑い、口にやっていた手をゆっくりと離すとパイプイスから立ち上がった。
「……当たり?」
「…そうね。でも最後の本命はその彼を追っていた捜査官だったの。結局その子は殺されなかったから、彼の本懐は果たせていないわ」
「ホント…ふうん。それは僕には分からなかった。でも同業者として彼の気持ちは分かる。彼は目的があり、命をかけた思いがあった。その罪を理解し、その罪を犯していた。僕はその…理由を持って罪を犯す気持ちは分かる。……だがしかし、それだけだ」
所詮彼には他人の罪を犯す為の理由の方などどうでもいいのだ。彼は彼自身の理由で罪を犯し、そして今はこうしてこの部屋に繋がれている。
「ふふ、ふふふ。さあさ、その続きは何? 彼は結局他の4人―いや3人か。どうやって殺したの?」