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ちょっと長いです。
東から昇った太陽が少しずつ傾き、オレンジ色の光を纏い西の空を茜色に染めている。
その光が届かない東側に面している音楽室の窓際で、整った端正な顔が椅子の背を前に跨いで座り外を眺めていた。
窓の外には花壇があり、綺麗な花たちが色鮮やかに咲いている。
風に吹かれ、カーテンがふわりと揺れる。その隙間から覗く瞳はただ一点を見つめていた。
その先にいるのは……………私。
そう、何故か私。
待って、ちょっと待って。何この状況。
どうして私は彼と二人きりに⁈
ちょっと落ち着いて整理してみます。
今日の一限目は生物。彼が教科書を忘れたことを思い出し、席を少し近づけ彼に見えるように教科書を置く。その様子を見て、こちらを睨みつける女子たちの視線で、私は蜂の巣になりかけたけど不可抗力のため甘んじて受ける。
二限目は英語。一番の不得意教科なのに、運悪く先生に問題を当てられるが、撃沈。そして隣の席の彼に回答権移動。見事正解。しかも発音がかなりネイティブ。周りの女子から甘い溜息が聞こえた気がした。
三限目、体育。もちろん彼は不参加。何故か教室にいて、体育館にすらいない。座学以外は大得意の私はハイテンション。
四限目、リーディング。だから苦手だって言ったでしょ、英語。そして本日二度目の悲劇。また先生に当てられるがあえなく撃沈。再び彼に回答権移動。もちろん正解。もはや周りの女子からは黄色い声しかしない。
五限目、現代文。睡魔に負け夢の世界にいたので記憶なし。
六限目、日本史。またもや教科書を忘れたと言う彼に教科書を見せる。もう蜂の巣どころじゃない。跡形もなくなりそう。そして、ここで事件発生! 暇な時に教科書の隅に描いた、ネコのようなナマケモノようなクマのようなものすごーくゆるいキャラクターの落書きを彼に発見されてしまう。これはかなり恥ずかしいぞ、どうする私⁈
隣を見ると、下を向き何故か肩を小刻みに震わせている彼がいた。そう言えば、私の美術の成績はアヒルだったような…
絶対に笑いを堪えていらっしゃいますね。
ひとしきり笑い終えたのか、彼は何事もなかったように顔を上げ授業に集中していた。
ちょっと腹が立ったので頬を膨らませてみたが、彼はこちらを振り向きもせず、"へ・た" と声を出さずに口を動かすだけで伝えてきた。
そんな姿も絵になるから、納得がいかない。
でも私の絵で彼が笑ってくれたのはちょっと嬉しかった。
笑っている顔、見てみたかったな。
本日の授業終了のチャイムが鳴り、私は大きく背伸びをした。ふーっと息を吐き出して、荷物を片付ける為にカバンに手をかける。
「おーい、生活委員ー。この資料、掃除終わったら職員室まで運んでくれー。 よろしくー」
日本史担当でもある担任の間延びした声が教室に響き渡った後、隣の席から盛大な溜息が聴こる。そして私に一気に集まる脅威としか感じない視線。
あははは…。
私の心はノックアウト寸前だ。
これから怨みつらみの篭った沢山の視線を受けて石化し、私は死ぬ気がする。絶対にそうだ。
私の人生、長くないと確信した瞬間だった。
教材は三冊あった。その他に授業中に集めたプリントがある。資料は少し分厚いもので重さもそれなりにある。これが三冊だと意外と厳しいかもしれない。
気合いを入れ資料を運ぶため教壇に上がろうとしたとき、はいとプリントが目の前に出された。無意識にそれを手に取ってしまう。その隙に彼は資料を持って教室から出て行ってしまった。
状況が把握出来ず、しばし呆然としていたが慌てて彼の後を追いかけて同じドアから教室を出た。
「一色君、待って! 私も持つよ‼︎」
「このくらい大丈夫だよ。これでも男だから」
病弱だけどと彼は自嘲的に言った。
ピクリと私の鼓動が跳ねる。
そんな当然のようにやらないでほしい。その姿はあまりにスマートで、何の躊躇いも迷いもなく、そしてとても優しくて、格好良かった。
これじゃ、女子たちが黄色い声を上げても仕方がない。
身体があまり丈夫じゃないと思っていたからこんな重いものなんてとんでもないと思っていたが、それも分かっていての行動だったようだ。
こんなことで慌てるなんて…これから先が思いやられる。生活委員の仕事を頼まれる度に、ドキドキしてしまったら私の方が保たない。
教材をテーブルへと降ろし、担任から感情が込められていない感謝と労いの言葉をもらい職員室を後にする。
用事があるからと職員室の前で別れを告げた。はずだが、なぜか彼は私に着いてきた。
用事とは花壇の水やりだった。別に誰かに頼まれたわけでもないが、自宅が花屋と言うこともあるせいか花壇が気になり水やりの仕事を進んで受けてしまった。それからは生活委員の仕事の一部と考えて、毎日放課後に花壇を訪れていた。
花壇には音楽室から窓から出て行くのが一番早い。楽器などを保管している倉庫はいつも鍵がかかっているが、教室自体には鍵がかかっていないためいつもそこから出入りしている。
先ほど行き先を訪ねられ、生活委員の仕事の続きだと言ってしまったから彼は着いてきたのかもしれない。
自分の趣味だけで受けた仕事に彼を付き合わせていることにかなりの罪悪感があった。
せめて濡れるといけないと思い、教室で見ているように彼には強く言った。
で、今二人きりだった! あー思い出せてよかったー‼︎
いや、よくない…よくないって。
この状況下…先ほどの彼の真摯な態度のせいもあるのか、ホースを持つ手が少し震える。変な力が入ってシャワー口が花壇からはみ出ないよう必死だった。万が一に彼の方に向いたらと思うと、恐怖と緊張しかしない。
ど、どうしよう…
しかしなぜ彼は、こっちを見つめているの?
また私の自意識過剰?
気になって仕方ないんですけどー⁈
彼の視線は、少し違う。別に好意を含んだ熱い視線でもないのに、変に意識してしまう。静かに流れる時間の中で、私の鼓動の音だけがやけに大きく耳の奥で鳴り響き、落ち着かない。
心臓よ早く沈まって。
「名前、面白いね」
「えっ? あっ、確かに。早口で言ったら噛んじゃうかも」
「そうじゃなくて、語呂的に…」
「あ〜確かに…普通は付けないよねー」
私の名前は、佐々木咲季と言う。平仮名にすると"ささきさき"。つまり "さ" と "き"しかない。さの段満載な名前は実に舌を噛みそうな名前である。
花屋の娘だから咲季というのは良いと思うし好きだけど、もう少し考えてから付けもよかったんじゃないかと両親に言ったことがあった。
「一色君の名前はかっこいいね!」
「……一色ね。皮肉なだけだよ」
皮肉とは何のことだろう。そんなに嫌いな苗字だったのだろうか? あまり聴いことがないし、格好いいと思うのだが、彼は何故か切なげな目をしていた。
何を話したらよいか悩んでいたときに彼から出された話題だったのに、緊張しているせいで続かずに黙ってしまった。自分に話術の才能があればと悔やまれる。
「その花の名前何?」
「えっ、これ? これはサルビアだよ」
「じゃ、その隣は?」
「インパチェンスだね。日に弱くて日陰のところで育てるの」
彼の沈黙の間は絶妙だった。気まずくなる前に話しかけてくれて、何を話したらいいか悶々としていた私の考えてなんて、すぐに消してくれる。
朝感じた違和感なんてすっかり忘れていた。
優しい人だと思った。
「じゃぁ、目の前の白い花は?」
「白い花?」
花壇に広がる花たちに目を向けるが、私の周りには白い花はなかった。ピンク、赤、橙、そして目の前には薄い黄色い花が咲いていた。
教室の窓から花壇までは少し距離があるし、夕日のせいで、色が曖昧に見えてしまったのかな。
「この黄色い花のこと? これはペチュニアだね。多年草だから育てやすいよ」
「あっ…ホントだ。綺麗な黄色」
彼は少し目を見開いたが、すぐに目を細め嬉しそうに微笑んだ。それはあの機械的な笑みではなく、とても自然な笑顔だった。彼のその様子をまじまじと見てしまう。
ダメだよ私! 見惚れてしまうぞ‼︎
私は慌てて話題を変えた。
「せ、生活委員、断った方がいいよ!」
「断る? 何で?」
「さっきの教材を運ぶように言われたとき、溜息ついたでしょ?」
「あぁ…。仕事内容が面倒くさくて、よく仕事を頼まれて、尚且つ力仕事があると知ってたら受けなかった」
「だったら尚更! 断るなら今だよ」
「いいよ、もう。受けたし。断る方が面倒。それに今は…」
「今は?」
「君に興味があるから」
あの笑顔にトドメの一発。
彼のその発言は完璧にアウトだ。