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色を映さない瞳になってから、不便に思うことはないと言ったが、それは嘘だ。
あくまで"ほとんど無い"であって"全く無い"と言うわけではなかった。
初めに困ったのは信号機。
退院して、外の空気を吸おうと散歩に出かけたときに信号機の前で固まった。
青と赤の区別がつかない。黄色は真ん中と決まっているから間違いない。しかし、青と赤と黄色、どの順番で並んでいるか言うのを普段意識したことがなかった為、今点灯しているのが赤と青どちらなのかが分からなかった。
他の人が渡っていた為その場はどうにか切り抜けることが出来たが、ふとした瞬間に忘れてしまうときがある。そこでまた困り果てる。
そこから学習したのは、赤と青が明白に分かる歩行者用の信号がない場所では渡らないと言うことだった。もし、近くに歩行者用の信号がなかったら、信号機から離れた道路を車に注意して渡るようにしていた。
これを秘技、交通ルール無視と言っている。
その次は視力検査。
俺を困らせるのは、目の視力を測る検査ではなく視力検査の次に行う、緑と赤のどちらが明るく見えますかー? という検査。どちらが明るくと言う前に、どっちが赤で緑ですかー? と、切実に聴きたい。
そこで咄嗟に口から出たのは、右の方が明るい、左が明るい、と応えることだったがこれは明らかに不審がられた。
視力検査でもないのに左右を言う人間はいない。そんなの百も承知だが、他に切り抜ける方法がなかった。この場合の対処は極力眼科に行かないことと、視力検査は出来る限り学校で受けるようにしていた。
視力が良いということが本当に救いだ。
そして一番の悩みは洋服だった。
色の識別が出来ないということは、服のコーディネートがかなり難しい。好みの服を見つけたとしても、色が分からなければ組み合わせを考えるのはかなり困難だ。
このシャツと、このパンツで…と思った物が黄色と紫なんて組み合わせの日には、ドン引き決定だ。その為、いつも無難な黒や白の服ばかりを好んで着ていた。
たまには刺し色で他の色を…とも考えるがなかなか手が出ない。そしてたまには冒険を! とチャレンジすることもできなかった。
なんてチキンなんだろ。
あの日、彼女と出会った時は黒のコートに黒のパンツ、黒のブーツだったような気が…
「黒装束の人‼︎」
確かに黒い、真っ黒だった…
だが、言葉のチョイスはおかしい。他に無かったんだろうか。
黒装束なんて、どこぞの宗教信者か、魔法使い、変質者、強盗犯、殺人犯………あぁ、頭の痛い人間しか浮かばないのは何故だろう。
彼女の語彙力を疑いたくなる。
登校初日にこのイメージをクラスメイトに与えるのは回避したい。
どう切り抜けるか思案していた。
「佐々木、知り合いかー?」
「はい! この間、お店に来てくれ…」
「知り合いが居てくれて、助かりました。次の生物の教科書を忘れたので借りたいんですが、席は彼女の隣でもいいですか?」
「そういうことなら、それが一番いいなー。本橋、一色に席を譲ってやれー。佐々木よろしくなー」
窓側に位置する彼女の隣の席に近づく。席を譲ってくれた生徒に軽く礼をして、席に着いた。
「佐々木です。よろしくね。この間は買いに来てくれてありがとう」
「後で話しがあるんだけど」
「えっ?」
柔かに微笑む彼女の声が耳に届いた。
だが和やかに会話出来るほど、心穏やかではない。何よりも、彼女の口から出た黒装束の不審者扱いをクラスメイトから聞かれる前に口止めしたい気持ちが勝っていた。
SHRよ、早く終われ。
「そう言えば、生徒は全員、委員会に入ることになってるんだったー。佐々木、一人だったよなー? 一色、一緒にやってくれるかー?」
「別に構いません」
「本当にやるの…?」
何故か怪訝そうな目つきで下から見上げてくる彼女の目線があった。
何でそんなに、心配顔?
確かに体力勝負なら自信なんてない。でも体力が必要な委員会なんてないよね? それともそんなに面倒臭い委員会なのか?
何も考えず二つ返事で受けてしまったことを少し後悔した。
そこに響くチャイムの音。
「来て」
「わっ、ちょっ、えっ…えっ⁈」
素早く席から立ち上がり、彼女の手を引く。
突然の事で、足が絡んで転びそうになりながら歩く彼女を無理やり引っ張り、騒然としている教室を足早に出た。