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チューリップの花言葉 : 博愛 思いやり
「今日も空が青いなぁ」
そんな台詞を吐き出す。
適当に。零すように。何の感情も込めずに。
たぶん、そこには白と青の綺麗な風景が目の前に広がっている、はずである。
でも俺にはそれが分からない。
俺の瞳が映し出すものには色が無い。全てがモノクロの世界。
いきなりこうなったわけではなかった。徐々に色を失っていった。
別に何にも困らない。生活に不便することなんてほとんどなかった。
犬が見てる世界はこんな感じなのかな、なんて他人事のように想像してみる。
「空が青いなぁ」
誰にも聴こえないような声で呟いた。
・・・
色を失い始めたのは小学生の頃。
昔からとても病弱で、入退院を繰り返していた。重い心臓の病だった。
両親は疲れ果てていたんだと思う。
毎日綺麗な花とおもちゃを持って会いに来ていた父の見舞いの数が徐々に減っていき、3年が経つ頃にはほとんど顔を見せなくなった。仕事が忙しいからだと、庇うように何度も言いながら母が自分で買ってきた花の水を変えていたのをよく覚えている。
そして、いや、とうとうか。小学6年生のときに両親から言われた、離婚という一言。
病気のお金の心配はいらない。こんな父さんを許してくれ。ゴメンな。
やっぱりか。何と無く分かっていた。見舞いの数も会話の数も少なくなり、父と母の会話も減って、終いには病室の外で言い争っているのも知っていた。
両親は俺が寝ていると思っていたのだろうけど。
分かっていた、分かっている。だけど、自分のせいで父と母が悲しい思いをしていることが子どもながらにとても居た堪れなかった。
それからは母親も働くことになり、病室に一人という時間が増えた。
淋しい思いをさせてしまうけど、お母さん、一生懸命働くから。あなたは病気を治すことだけを考えてね。ゴメンね。
ゴメン。
二人ともそんなこと言わないで。二人は悪くないよ。悪いのは俺だから。俺さえ居なければ…
二人とも幸せだったかな。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
頬を伝って、泪が布団の上の手の甲に落ちる。一つ二つ…止めどなく溢れてくる。
ふと、目線を横に向けると母親が生けてくれた花が飾ってあった。
色彩豊かな綺麗な花。
この泪のせいだろうか、滲んでいて色も形もよくわからない。なんだか、歪んで、ボヤけていてセピア色に見える。
あれ、さっきまでは綺麗に咲いていたのに。枯れて始めてしまったのかな。
そういえば、母親もしばらく見舞いに来ていない。
息子の為に、毎回花を買ってくれた両親。それなのに何度も手術しても完治しない俺の心臓。
もういらないよ。
そんなの綺麗な花たち必要ない。
力なく振り払った手に花瓶が触れ、ガシャンと音を立てて色取り取りの花たちが床に散らばった。
・・・
まだ蕾の桜並木を歩いていると、小さな花屋が目に入った。レンガ造りの建物で、雰囲気のある佇まいをしていた。
その店先で水仕事をしている少女の姿が目に停まる。
まだ3月も初め。晴れているが気温もさほど暖かくない。寒くないのかななどと考えていたら、ふいに彼女が顔を上げた。
「あっ、いらっしゃいませ。いいお天気ですね」
にこりと微笑む少女。突然の出来事に言葉が出ない。
「今日も空が青いですね」
とてもゆっくりと言葉が紡がれていった。
あれ、どこかで聞いたことがある台詞だ。どこだっけと考えながら、返す言葉を探す。そうですね、とやっとの思いで振り絞った言葉を口にしながら空を見上げると、そこに青と白が視界いっぱいに広がる。
「えっ、なんで…」
「? 何がですか?」
思わず口に出してしまった。彼女の顔を見つめ慌てて何でもないと言い、また空を見上げるがそこにはいつものモノクロの空があった。
見間違いか。そんなことあるわけないと、苦笑いをしながら小さく溜息をついた。
「どうかしましたか?」
「あっ、いや。こんなとこに花屋なんてあったんだ。知らなかった」
「新しく引っ越してきたんですか?」
「いや、戻ってきたって感じかな」
「前に住んでいらしたんですか。いい街ですよね」
「そうだね。家の周りだけって思ってたんだけど、遠くまできてたみたい」
そうなんですかと彼女は嬉しそうに言った。
つい先日、俺は退院した。病状も落ち着き、日常生活おくる分には問題ないだろうと医師から言われた。
長いことベッドの上で過ごしていたからと、羽を伸ばすために散歩をしていたが、久々の外気に嬉しくなりいつのまにやら遠くまで来ていたのだと気がついた。
「君はここで働いてるの?」
「はい、あっ、でも働いてるっていうよりここ私の家なんで手伝いさせられてるだけなんですけど」
こんなに手伝ってるのにお小遣い少ないんですよと、彼女は頬を膨らませながら話してくれた。
笑ったり怒ったり、忙しいな。
ころころとよく変わる表情が印象的だった。