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嵐、来る

店員の満面の笑みに送り出され、僕たちは『アガサ』を出た。進む方向が同じなので、一緒に帰っているものだと思ったのだが、久保田はあれだけ喋っておいて黙り通しなうえに、ゆらゆらと無駄の多い歩き方な故に進みが遅い。次第に、彼のペースに合わせるのもアホらしくなってくる。


「久保田さん、僕先に行きますからね」

「ああ」


表情が全く変わらない。さっき少し表情が緩んだ気がしたのは、思い違いだったのだろうか。遂には道の真ん中で立ち止まって一服しだしたので、置いて行くことにする。当人は置いて行かれているなどとは全く考えていなさそうで、何故かむかっ腹がたった。


家に着くと、ベッドに倒れ込む。精神的に疲れてばかりである。しばらく目をつむって何も考えないように努める……が、無理だった。


あの黒猫は僕まで殺す気だろうか。


いや、まだあの黒猫の犯行だとは断定できないだろう。でも、そうなると人間の喉笛をかくような獣がもう一匹いることになる。それはとんでもない事態だ。

でも、一匹見たら三十匹はいると……いや、黒い悪魔と同列にしては……まあ、黒い悪魔なことは確かだけど。


死んだのは、ここの住人……。

しかも、香坂さんの元恋人……ついでに、久保田の数少ない友人。


恋に本格的に落ちる前から、玉砕したような気持ちになる。

いっそ久保田の忠告どおり、関わらなければいいのだ。

そうすれば、ごく普通のキャンパス・ライフを送れる、はず。


「にーちゃん‼︎」


傷が深くならないうちに……。


「とーるにい‼︎ いるんでしょ⁉︎」


あれ? 何か耳慣れた声がする……。


「あ、鍵開いてるじゃん!」


バァンとドアが、破れそうな勢いで開かれた音がした。

目を開けると、そこには妹のかなめがいた。

腰まであるロングヘアが逆立って見えるほどに、怒気が満ちている様子である。

そして、その後ろには香坂さんが青い顔をして立っていた。

さらに、その足元には黒猫ーーハルが澄ました顔で座っていた。


「何ふやけてんの! ケータイは繋がんないし、あたし仁美さんに拾われなかったら陽を浴び過ぎて干からびてたんだからー‼︎」

「要ちゃん、おさえて、おさえて……」


この嵐から逃れてきたはずなのに……。

妹が。

香坂さんと。

しかも、お互い下の名前で呼び合っているほどの仲にはなっていて。

その上、とんでもない化け猫かもしれないハルまでいて。


「聞いてるの、バカにいー!」


すこーん、とパンプスが飛んでくる。


「聞いてる……聞いてるから静かにして……にいちゃん、今頭整理するから……」





香坂さんが淹れてくれたダージリンで、何とか要の機嫌は持ち直したようだ。


「本当に、すいません、うちの妹ちょっと気が強くて……」

「そんな、元気なのはいいことですよ。要ちゃん、クッキーもあるんだけど」

「あ、やった! メレンゲのやつ‼︎」


あ、それ、僕があげたやつ……。


香坂さんは僕に苦笑いを返した。

うーん、こんな顔ばかりさせている気がする。本当に申し訳ない。


「んー、おいしい!」


要に悪びれたところは全く見られない。末っ子の特権か。クッキーをかじりながら、


「相変わらずつまんないね、透兄の部屋」


と、こぼしている。


「要ちゃん、家出してきたんですって」

「え」

「そう、そんで兄ちゃんとこ行こうって夜行バス乗ってきたの」

「お前……」

「そうしたら、携帯は繋がんないし、地図見て来たはいいけど兄ちゃんいないし。そこで仁美さんが声かけてくれてさー、本当助かったよ! ねー。ハルちゃん」


ハルは何故か妹の膝の上でご満悦である。

「にゃあ」と機嫌良く鳴いてさえ見せる。

「ざまあみろ」とでも言っているかのようだ。


「お前、人様巻き込んで、ねーじゃないだろう」

「こういう時だけ兄ちゃん面するんだから。とにかく、あたしはデスティニーランド行くまでは帰りませんから!」

「え?」

妹が口にしたのは、アミューズメントスポットのメッカだった。

「一度行ってみたかったんだよねー。あ、仁美さんも行きません? あと誰か連れて、そしたら、ダブルデート!」


ハルの耳がぴくりと動いた。

香坂さんと僕の目が合う。

こ、困ってる……。眉がハの字だ。そりゃあ、ほぼ初対面の男とデートなんて困るに決まっている。


「何言ってんだ要……」


香坂さん困ってるだろ! 空気読め!


「そうだ、能登谷くん誘おう! 何かそういうの詳しそうだし」


我が妹は久保田とはまた別方向でマイペースに、スマホを取り出して電話をかけ始める。

スマホをすぐさま奪い取りたいが、香坂さんの前で兄弟喧嘩というのもいただけない。

しかも要はソフト部のピッチャーで腕力だけはあるのだ。万年帰宅部だった僕がかなうはずもない。


「あれ、出ないや」

「能登谷、バイトだっつってたぞ……」


ほっとする反面、奴なら暴走機関車を止められたのではないかとも思った。


「あの……」


香坂さんがか細い声を出す。


「……久保田くん、だったらきっと空いてるんじゃないかな……?」


この人、とんでもないことを言い出した……。

さっき、関わると不幸になるとか言ってた奴の名前を出すとは。絶対傷付けるからそんなこと言えないけど。


「実は私もデスティニーランド行ったことなくって……行ってみたいかなって」


困っていたわけではないのか……?

香坂さんが余計わからなくなった。


「じゃ、決まりー! てか、久保田くんて誰? かっこいい?」


呑気を通り越して、ただの馬鹿に見える。

膝の上のハルは僕を恨みがましい目で見つめていた。


本当に、殺されるかも知れない……。


僕は背中がひんやりとした。

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