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アガサにて

 大家さんの話は、延々と続いた。

 その間も、僕はあの猫と香坂さんの関係について考えていた。

 香坂さんは、あの猫の正体を知っているのだろうか。

 黒猫の姿が本当なのか、猫耳少女姿が本当なのかははっきりしないが、川で溺れていたあの恰好がやっぱり本当のものだろう。黒猫が本来のものなら、ずっと黒猫の姿を通してそ知らぬふりをしていればいいのだから。

母親の飼い猫だったなら、一度くらいは少女の姿を見たことがあってもおかしくない気もする。文字通り、猫を被っている可能性もあるが……。

何にしろ、そのことについて僕は誰にも言うことが出来ない。ましてや、飼い主である香坂さんに飼い猫が化け猫だなんて言うのは色々な意味で大問題だ。神経を疑われるか、『ハルちゃん』に処分されるかを覚悟しなくてはならない。


「ちょっと、中村くん、聞いてるのぉ?」


大家さんの不機嫌そうな声にはっと我にかえった。聞いてません、とは言いづらい。


「はい、ありがとうございました。昨日散歩してるときに近所のお店見て入ってみたいと思ってたので……参考になりました。後でコーヒーでも飲みに行こうかなと思います」

「そぉ? よかったわ、お役に立てて」

「それじゃあ、失礼します」

「これ、この辺のグルメマップ。わたしの友達が商店街の広報係でね。手描きなのよぉ、素敵でしょう」


と、紙を半ば強引に持たされた。素敵かはわからないが、分かりやすく駅前商店街の地図とおすすめスポットの情報が書かれていた。

僕は再び礼を言いドアを閉めると、ため息をついた。ここに来てから、やたらため息が増えた気がする。


「どうしたよ、ため息なんかついて」


能登谷が起き出して、ニュース番組を眺めているところだった。


「ちょっと大家さんの長話を聞く羽目になっちゃってさ」

「ああ、ウザいよなー、年寄りの長話」

「年寄りじゃないよ。大分若そう」


ただの若作りかも知れないが。


「にしては、テンション低いなー」

「能登谷の基準を僕に当てはめるなよ」

「お隣さんが気になり過ぎて、大家さんは眼中に入りませーんって感じか?」

「だから、そんなんじゃないって」

「すぐムキになって面白いなぁ、中村は」


能登谷はにまにま笑っている。

テレビは、ニュース番組から料理番組に切り替わったようで、耳慣れたオープニングテーマが流れ出した。


「あ! そうだ」

「何?」

「俺、バイトあるんだった……やべ、初出勤で遅刻とかシャレにならん」

「もうバイトしてるのか」

「そう。ファミレスのホール。早く友達と金欲しいからな」


能登谷のフットワークの軽さは僕も見習うべきかも知れない。


「じゃ、俺行くわ。昨日は楽しかった。お隣さんにもよろしくな」


そうして能登谷は去って行った。

料理番組では、春野菜のパスタを作っていた。そういえば、お腹がすいた。香坂さんに貰った煮物も、二人で食べ切ってしまった。冷蔵庫はほぼ空である。

大家さんにも言ったことだし、唯一耳に入れていた『アガサ』という喫茶店に行こうかと思った。マップを見ると、そんなに遠くなさそうだ。


僕は、ジャージから赤いネルシャツとカーキのチノパンに着替えようとした。そこで、洗濯機の中に水浸しの洋服一式があることを思い出す。川の水はお世辞にも綺麗とは言えないから、早く洗った方がいい。とりあえず、洗濯機を回すことにした。昨日は疲労でそんな気にならなかったが、シャワーも浴びた方がいい。


シャワーを浴びる間も、香坂さんと黒猫、時々久保田のことを考えていた。どうしても頭から離れてくれない。いまひとつすっきりしないままバスタオルで体を拭き、着替えて髪を乾かした。





『アガサ』は商店街の入り口あたりにあった。クラシックな雰囲気の喫茶店である。ドアを開けると、からんからんとドアベルが鳴り、黒に白いフリル、ヘッドドレスを着けたメイド姿の店員がやって来た。何だか、昭和っぽい空気の喫茶店にそぐわぬアキバっぽい衣装だ。背は低く、ぽっちゃりめで癒し系の雰囲気を醸し出している。


「いらっしゃいませ! 一名様ですか?」


店員ははきはきと尋ねる。


「はい」

「お煙草はお吸いになりますか?」

「いえ」

「禁煙席はこちらになっております。どうぞお好きな席にお座りください」


おすすめ、と言われていた割に客は少なかった。禁煙席へ腰を下ろすと、ちょうど喫煙席の客が見える位置だった。


喫煙席には、男が一人。

今見たくない顔ナンバーワン。


久保田だった。


久保田は目ざとくこちらに気付き、不吉な見た目に反してひらひらと可愛らしく手を振った。

無視を決め込む。


久保田は手を挙げて店員を呼ぶと、何やら話しこんでいた。こちらに声は聞こえない。


「久保田さんとお知り合いなんですか?」


やがて、お冷とおしぼりを持ってきた店員がにこにこしながら聞いてくる。


「あら、でも久保田さん、お客様と相席出来ないかって」

「相席ですか?」

「コミュニケーションを図りたい、だそうです」

「……」

「無論私の奢り、だそうです」


奢りでも嫌だなぁ……でも、何か知っていそうだし。


「わかりました……と伝えて下さい」

「そうですか! 久保田さぁん、オッケーだそうですよ!」


何故か店員は嬉しそうだ。


「久保田さんにはかれこれ7年程お世話になっているんです。良い方ですよ」


彼女は7年以上ここの店員をしているのか。ということは、僕より歳上。そんな印象は受けなかったのでびっくりする。彼女は「ご注文決まりましたら、お呼びください」とお決まりの文句を言って久保田の方へ向かって行った。


久保田と店員はまた何事かを話し、彼は吸っていた煙草を灰皿にくしゃりと押し付けてから、僕の席へふらふらとやって来た。


「奇遇だね」


久保田はぼさぼさの癖っ毛とひげはそのままに、真っ黒なシャツとパンツに痩身を包んでいた。


「……どうも」

「センスがいい」

「センスも何も……大家さんのお勧めですよ」

「ああ、あの女狐」


穏やかならぬ呼称に思わず顔をしかめる。女狐的要素はない気がするのだが。

久保田はそれを意に介することなく、店員を呼んだ。


「モカ二杯、それにブルーベリーとクリームチーズのベーグルに、シナモントースト、あとチョコレート」


メニューも見ずに淡々と注文を言う。

……ていうか、


「僕の分まで勝手に頼んでませんか……」

「奢りなのだから、選択肢はない。私のセンスに委ねれば間違いはない」


どこから出るんだ、その自信。

突っ込みたいが、いい思いをする気がしないので沈黙を守る。

交流を深めたい、と言ってきた割に久保田は無口だった。貧乏揺すりをしながら、机を人差し指でトントン叩いている。

そのうち、コーヒーがやって来た。

久保田はシュガーポットからスプーン5杯ほどの砂糖を投入した。見ただけで気分が悪くなった。

僕はミルクだけを入れ、コーヒーを口にした。香りと酸味がちょうどよい。


「あの」

「何だ」

「何で僕のところへ来たんですか?」

「ここで会ったのも、おそらく必然」

「必然……?」


微妙に話が噛み合っていない気がする。


「香坂には、近づかない方がいい」

「……な、何でですか?」


久保田は、ぐびぐびとコーヒーを飲んでから、言った。


「香坂は、魔女だ」


非現実的な台詞に言葉を失う。


「104の人間は、不幸に遭う。魔女の所為で」


不吉な影を持った久保田の掠れた声は、妙に重たく響いた。


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