決心
「どうしてこんなところにいるの!」
香坂さんは少女へ走り寄り、男性に何度も頭を下げた。男性は彼女らしき女性と一緒に去って行く。しばらく小声で何がしかを喋っていたが、こちらへ戻って来る。
少女は、春先にしては厚着をしていた。全体に服がだぼだぼで無理に大人用のものを着ているような印象を受ける。
目深にかぶったニット帽の下の瞳は、子どもらしからぬ冷たい温度を持っていた。
「透さん、すいません……ちょっと、親戚の子が友達とはぐれちゃったみたいで……」
「仁美の従妹の泉美だ」
腕を組み高圧的な態度で少女は名乗る……が、不自然な服装といい、口調といい、目付きといい、ハルが変装したようにしか見えない。
「名乗ったら名乗り返すのが礼儀だろう。親に教わらなかったのか?」
「透……中村、透だよ。よろしく」
「まあ、よろしくする気もないが、しばらく行動を共にさせて貰う。いいな、仁美」
「え、ああ……うん、大丈夫ですか? 透さん」
仲間とはぐれたなら、迷子センターにでも行けばいいじゃないか……と言いたかったが、気圧されて承諾してしまった。
連れ立って歩き出そうとすると、泉美が僕に聞こえるように囁いた。
「仁美に、私たちに不用意に近付くな」
やはり子どもとは思えない、凄みのきいた声。
猫が、見ている。
香坂さんの恋人が感じた恐怖とは、このような感覚だったのだろうか。
そのあとは、何をするにも泉美に振り回されっぱなしだった。
香坂さんが気を遣ってくれて、人形たちが歌い踊る中をゴンドラで巡るアトラクションに乗ったのだが、ふんと鼻を鳴らしただけで興味を見せもしなかった。
他の乗り物に乗っても彼女は香坂さんの隣を独占し、喋ろうにもなかなかチャンスが作れない。香坂さんが何か言おうとしても、泉美がそれに即座に応じる。
唯一満足そうだったのは、昼食のフィッシュバーガーを食べているときぐらいだった。
「美味い……」
と呟いて、夢中で食らいついていた。その口に、鋭い八重歯があるのが見えて、やっぱり猫なんだなと思う。その時だけは、ちょっと可愛く見えた。
香坂さんはまた困ったような顔になっていた。僕と視線を合わせるにも、泉美の様子を伺っているように映る。
彼女が『魔女』なら、使い魔のはずの黒猫に翻弄されているのは妙ではないか。
彼女がハルをけしかけるなんて、きっと出来ない。
約束の5時はあっという間に訪れた。せっかくのデートも、半分は泉美のペースに巻き込まれたものだった。縮まったと思った香坂さんとの距離が、また幾らか離れてしまった気がする。
「透兄ー! こっちこっち」
要がぶんぶんと手を振る。要と久保田は、仲良く兎耳のヘアバンドと奇術師が被るみたいな帽子姿で平然としていた。楽しい時間を過ごしたようである。
要は近づくにつれ、泉美の存在に気付く。
「どしたの? この子」
「この子じゃない。泉美、だ」
「泉美ちゃん?」
「友人と離れてしまった所を助けて貰ったのだ。よろしくな」
態度が若干軟化しているような気がする。
「よろしくー……って、大変じゃない! お友達きっと探してるよー」
「連絡手段もないし、今日のうちは仁美たちについていく。連絡はそれからでも遅くないだろう」
エア友達だろうに、冷静にきりかえす泉美に、「うーん、ま、いっか」とたいして考えもせず納得する要。久保田は、相変わらずの無反応だった。
「じゃあ、行きますかー」
帰るのかと思ったら、要はシルエット城の方へと歩いていく。
「ちょっと待てよ、どこ行くんだ?」
「フェアリーランドの観覧車。予約券最初にとっといたんだー」
にんまり笑う要。黙って追従する久保田。泉美の反応を窺う香坂さん。まだ続くのか……とでも言いたげな泉美。
「ホントはもっと夜が良かったんだけどね。この時間なら予約もとりやすいって、ネットで見たの」
微妙な空気が漂っているのも気にしていない風に、要は先陣をきって歩いていく。
大勢の人が並ぶ横の通路から、予約券を見せて僕たちは観覧車へと向かった。七色のゴンドラがゆったり回っている。
「透兄たち、先に行ってよ」
要が言う。久しぶりに香坂さんの横に僕が並んだ。間に入ろうとした泉美の肩を、久保田が掴んだ。
「何をする……っ‼︎」
係員が赤いゴンドラの扉を開けた。僕と香坂さんが乗り込む。……が、いつまでたっても後に続く気配はなかった。
「ごゆっくり〜!」
要は笑顔で手を振っている。泉美は久保田に肩を掴まれたままじたばたしていた。
ままあることなのか、係員が「楽しんでいって下さい」と営業スマイルで扉を閉めた。
僕と香坂さんが、向かい合った形で残された。ゴンドラはゆったりと上昇していく。
「要……」
やってくれたな。
あいつはドッキリとかサプライズとか、そういうのに心躍る人種なのを忘れていた。
泉美の恨みがましい顔を忘れられるなら、心の中でガッツポーズでもとれるんだけど……。
「……」
「……」
沈黙が下りる。
今だけは、誰の邪魔も入らない。
後で泉美に何を言われてもいい。
「香坂さん」
「……はい」
「楽しかったです、とても」
「私も……です」
「僕、言いましたよね。香坂さんの、色んな面が見たいって」
「はい」
「それで、そんな権利ないって……」
「……ええ……」
香坂さんは外の景色も見ずに俯いてしまう。
「どんな事情があったとしても、僕だけは言います。香坂さんは、楽しんでいい。笑っていい。少なくとも、僕の前ではそうして欲しい」
さっき言えなかった言葉を僕は口にした。
恥ずかしさなんて、どこかへ吹っ飛んでいた。
「泣いたって構わないです、それですっきりするのなら。何か、重いものを抱えているなら、僕も持ちます。そうすれば、香坂さんの気持ちも軽くなりませんか?」
香坂さんが顔を上げた。
「透さんの気持ちは嬉しい。でも、私と接すれば……不幸に遭います。きっと」
香坂さん本人までもが、久保田と同じことを言う。
「それでも、僕は香坂さんを放っておけません。不幸に遭うなんて……そんなのわからないじゃないですか!」
香坂さんの引きずっているものを知っていても、口には出来ないのが歯がゆかった。
「……わかるんです」
「わかりません」
「……でも」
「不幸なんて、はね返します」
魔女でもいい。万に一つ、彼女に惑わされているとしても、構わない。
恋というのは、最初から人を惑わすものなのだから。
彼女が涙を浮かべながらも笑うのを見て、僕は、この人を守ろうと決心した。