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data79:オペラの目覚め

 ────,79



 とてつもない早さで日々が過ぎていく。光陰矢の如しとはよく言ったものだ。

 窓の外では樹が枯れ、雪が積もり、嵐が吹き荒れ、花が咲き――それを幾たびも繰り返し、今はまた、まばゆい日差しがきらめいている。


 それを眺めながら今、最後の報告書が仕上がった。


 ならばもうここに留まる必要はない。

 はやる気持ちを抑えつつも急いで立ち上がった。残りふたりがそれを見て、少し笑うような気配とともに、こちらに倣って席を立つ。


 三人連れ立ってオフィスを出ると、廊下にはすでに仲間たちが集まっていた。


「エレベーターの定員て何人だっけ。二手に分かれたほうがいいね」


 副官がぽつりとそう言った。その声がどこか嬉しそうなのは、この日を誰ひとり欠けずに迎えられたことと、今ここにその全員が揃っているからだろう。

 それぞれの顔をざっと眺めてから、ソーヤは息を吐いた。


「……今まで、ありがとうな」

「何? これから死ぬみたいな言いかたはやめて」

「……、せめて少しは間を置けよ。情緒ってもんがねーのかおまえは」

「今そんなものが要るかって逆に聞きたいんだけど。……こっちは三十分前から待ってるんだから、余計な話してる場合じゃないでしょ」


 相変わらず口さがない女にぴしゃりと言われ、しかしそれも尤もだ、と苦笑する。


 みんなずっと、今日という日を待っていた。

 この時を迎えるために知識と頭脳と気力を振り絞り、あらゆる無理と無茶を押し通し、たまに倒れたり精神的に限界がきて軽く壊れたりもした。

 それらの苦労を乗り越えて、やっと自分たちは進めるのだ。


 次の段階、つまりは最終工程――()()()()()()に。



 ワタリが言ったとおりに二手に分かれてエレベーターに乗り込む。それに、どのみちこれからする作業も何手かに分かれることになっている。

 ある者は彼女を迎えに休眠室へ、またある者はラボで必要な機材を調達し、またある者は医務部へ行って器具や薬品を手に入れる。

 それぞれ誰が何をするかは事前にすべて決めてある。


 失敗は許されない。その原因となりうる混乱は予め排除しつくした。

 道は整然と渡されており、あとは決められた手順通りに作業を進めていくだけだ。


 それなのに、手が震えた。

 何度も何度も確かめてあらゆる方法で検証したはずなのに、ほんとうにこれでいいのかという不安が滲み、ときに息すら苦しくなる。

 もし理論に抜けがあったら、自分の担当する工程に不備があったら、もし彼女が復活しなかったら、どこかで何かが足りなかったらという疑念に頭が覆い尽くされる。


 これで上手くいかなかったら、二度目はあるか?

 その答えはもう知っている。ノーだ。

 少なくとも、別の方法をまた一から探さなくてはならなくなるし、それにまた何年かかるかわからない。

 その間に彼女が保たなくなる可能性もある。


 だから実質、チャンスは一度きり。


「……証明する」


 サイネは呟く。彼女にとっては、これからもここで生きていくために。


「やるだけやった」


 ユウラは独りごちる。自分が務めを果たしたことを認めるために。


「お願い……」


 タニラは祈る。そうしたいと、心から思って、そうする。


「……早く……」

「うん、会いたいね……」


 ニノリは拳を握り締める。その肩を、隣にいたアツキが優しく抱いた。


「頼むよ、ほんと、頼む……」


 エイワは両手を握り合わせて、眼を閉じた。



 そして、第一班の三人は、揃って植木鉢の前にいた。

 言葉はない。黙ったままひたすらに時が経つのを待たねばならなかった。


 傍らのモニターに内部の情報が表示されている。これはもともと植木鉢に備わった機能ではなく、ワタリが追加で設計したものだ。

 そこに記された、もろもろの値が目まぐるしく変化している。


 ソーヤに細胞を与えるために、ヒナトの身体は一度ばらばらに分解されていた。

 植木鉢の機能とオペラ自身の補完能力によってかろうじて生命は保たれていたものの、植木鉢から出られる状態では到底なく、そもそも意識のない仮死状態となっている。

 だから彼女を取り戻すのにまず最初に必要だったのは、失った身体をできる限り復元することだった。


 それは一朝一夕にはできない。

 何カ月もかけてオペラに働きかけるとともに、移植用の臓器を培養しなければならず、それにはどうしてもヒナト自身の生体情報が必要になる。


 幸か不幸か、ヒナトの身体はほとんどがオペラ細胞でできているため、臓器が適合しないということは理論上ありえない。

 しかし逆に移植された臓器の遺伝情報を読み込んで適応してしまうので、複数の臓器を移植するとなると完全にノーリスクというわけでもない。臓器同士が拒絶しあう可能性は充分にある。

 そのうえオペラ細胞自身に分裂能力がほとんどないため、この工程は困難を極めた。


 あくまでこの万能細胞は、他者に与えられるためだけに存在しているのだ。

 試行錯誤の中でそれを何度も思い知った。

 オペラは誰からも何も受け取らない。いつか尽きるまで、ひたすら自らを割いて分け与えるだけなのだ、と。


 ほんとうに、果ての見えない道筋だった。


 冷たい保存液に沈む、人の形を失ってぐちゃぐちゃになった彼女の姿を最初に目の当たりにしたときは、蘇生など無理なのではないかと思った。

 その状態で生きていることが信じられなかったし、惨たらしくすら感じた。


 それでも、諦めなかった。だから今日がある。

 やるべきことはすべてした。


 今のヒナトは内臓のひとつも欠けていない。手足も揃っている。

 臓器の働きに問題はなく、神経をきちんと伝達物質が走っていることも確認した。

 心臓が動いている。全身を血が巡っている。代謝もある。


 あとは目覚めるのを待つばかりなのに、その時間が永遠のように長い。


 ソーヤはついに堪えきれなくなって一歩前に出た。


 透明なガラスの水槽の、その縁に置いた手を、ほんとうはヒナトに向かって伸ばしたかった。

 凍えた身体を引っ張り出して抱き締めてやりたかった。

 そうして温めたなら、少しは早く眼を醒ますのではないかと、思わずにはいられない。


 それに、この容器の形はあまりにも棺に似ていて、できれば長くそこにいさせたくはないのだ。


「――体温が」


 ふいにワタリが呟く。その隣でミチルがはっと顔を上げる。

 ソーヤも思わず駆け寄って、三人は一緒にモニターを覗き込んだ。


 そこに表示されたヒナトの体温が、少しずつ上昇している。


「ヒナ」


 水槽の傍に戻る。

 少女の顔を覗き込む。ずっと低温保存されて青白くなっていた頬が、ほんのり肌色を取り戻している。

 そこに、たしかに生気が宿っている。


 ぽこ、と小さく間の抜けた音がして、針の先ほどの気泡が浮かぶ。

 呼吸をしている。


 ソーヤが眼を見開くのと同時に、いつか聞いたのと同じ懐かしい音が響く――がぼ、ぼこ、ごぶり。


「……ヒナ!」


 苦しそうに息を吐く彼女を、制服が汚れるのも構わずに水槽から引き揚げた。


 ヒナトの身体は氷のように冷たく強張っていて、がくがくと震えている。ソーヤはヒナトを抱いたままふり返りもせずに手を後ろに伸ばした。

 こうなることは予想していたので、ワタリが用意していた毛布を差し出してくる。

 それでヒナトを包んでいると、さらに背後からトレーが突き出される。そこには温かいココアが載っている。


 事態に気付いたらしい他の面々が集まってくるのが、気配と音でわかる。

 足音が。声が。期待の眼差しがソーヤの背に降り注ぐ。


 ヒナトはどうだろう。目覚めた直後にどれくらいの感覚があるのかわからない。


「……う……」


 だからソーヤはじっとその小さな声に耳を傾けた。


「ッけほ、……けふっ……、……ふー……」


 瞼がふるりと震えて、眦の筋肉がひくひくと痙攣している。

 それが花のようにゆっくりと開くのを、その下の懐かしいうぐいす色が見えるのを、見守る。


 ヒナトはぱちぱちと瞬きをして、ぼんやりとしていた。

 毛布越しに、その中でもぞもぞと手足を動かしているのを感じるけれど、しばらくはまともに歩けはしないだろう。

 時間をかけて身体の感覚を確かめたあと、ヒナトはゆっくり顔を上げてソーヤを見た。


 そして何秒か無言でソーヤの顔を見つめ――もしかすると記憶の保持に失敗したのかと、かすかにソーヤが絶望しかけたその刹那、口を開き。


「そ……や……ん……?」


 呂律が回っていなかったけれど、たしかに言った。

 ソーヤの名前を。


「……やっと目が覚めたかよ、この寝坊すけの……遅刻常習犯が……」

「ぁ…………で……? あ……し……」

「何言ってるかわかんねーよバカ野郎……ッ」

「……い……ひゃ……れ……」


 痛いです、と言ったらしいのはなんとなくわかったけれど、抱き締める力を加減する余裕など、ソーヤにはなかった。



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