data70:神の御業、罪人の血
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昔、といっても十数年ばかり前のこと、ある女性ソアが妊娠した。
相手も同じくソアであり、それまでソア同士の交配など実験としても行ったことがなかったため、それが花園で初の事例となった。
彼らの子はアマランス処理こそ受けていないが、生まれついてソアと同等の高い能力を備えていた。
しかし特記するべき事項はそこではない。
花園ではその子どもを便宜的に天然ソアと呼んでいるが、天然ソアはアマランス疾患、つまり自己淘汰機能を克服していたのだ。
ある意味それで、この研究は完成したとも言える。
しかし研究を続けるか否かの判断をするのは現場の人間ではない。
上層部は短い議論によって、研究の続行を決めた。
天然ソアのような『完成されたアマランス・ベビー』を人工的に造りだすことが、花園の新たな目標となった。
そしてまた数多のソアが「第二世代」として製造された。
彼らには予めアマランス処理とともに、天然ソアの遺伝子が組み込まれている。
それにより問題のある部分だけが上書きされる、はずだった。
理論的には可能だったが、実際に行うとかなり高い確率で拒絶反応が出ることがわかった。
第二世代のソアの幼年死亡率が急激に上がってしまったのはそのためだ。
一方、比較的楽に対処できたのが、天然ソアが生まれたのと同時期に作られた最後の第一世代のソアだった。
彼らは天然ソアの遺伝子を組み込むことができなかったけれど、代わりにひと手間かけて移植処置をとることができたのだ。
そのために作られたのが、天然ソアの細胞をベースとして作られた万能細胞だった。
絶対に拒絶反応を出さず、速やかにエラー部分のみを修復する。
ソアにとって救世主となるこの細胞を、ラボは万感の思いを込めて神の御業と名付けた。
いつでもすぐにオペラを移植できるようソアの人数分の用意がなされたが、問題は、オペラ自身には増殖能力がないことだった。
誰かの細胞に移植して初めてそれは仕事をする。それ単体で保管しても、いつか腐って使えなくなる。
そこでラボはオペラに基盤となる人体を造り、それを植木鉢に封入した。
彼女、あるいは彼には、自我はない。
必要な時に必要な量だけ取り出され、それ以外では、植木鉢の底でずっと眠り続けている。
――そのはず、だった。
「ミチルはその培養ベースになったソアで、オペラたちはみんな彼女のクローンだ」
「……あいつも……?」
「ああ。だから顔や背格好が似てる。……本来ならおまえに合わせて男性体になるはずだったところを、そのための休眠が途中でストップしたんで女のままだった」
ソーヤは己の手のひらを見つめた。
人間の視力では捉えられないほど小さな細胞が、無数に集まって形作られている。
もしかしたらこの指が、掌が、その内側の骨や、脂肪、筋肉、神経のどれかが、あるいはすべてが。
想像すると胃がまた握りつぶされたような心地がして、ソーヤは呻いた。
すぐにワタリが背中をさする。
その気遣いがありがたいはずなのに、どうしても心の内で、これが彼じゃなかったらと思ってしまう。
今こうして横にいるのがあの子だったなら。
大丈夫ですよ、あたしはここにいます――そう言ってくれたなら、どんなにいいか。
「……ごめん」
まるでソーヤの心を見透かしたように、なぜかワタリが小さな声でそう言った。
・・・・・*
GHのソアは過半数が心神耗弱状態に陥ったため、その日は医務部に泊まることになった。
ただしベッドの数の都合上、全員ではない。さほど症状が重くない者は、緊急用の連絡装置を持たされて、自室に戻った。
ひとり、またひとりとドアの中に消えて行くのを、ワタリは見送る。
当然の結末だろう。彼女はすでに彼らにとってかけがえのない仲間だったのだから。
それを突然こんな形で失って、しかもソーヤのために、どれほど悲しくても口を噤まなければいけなかった。
それが表出した今、次に誰が倒れてもおかしくはない。
ワタリはずっと、まさに今のこの状況になることを憂慮していた。
彼らが休眠に入るよりも前から、オペラの存在も、それが人の形をしていることも知っていたから。
「……おまえはどうする」
背後からそう声をかけられて、振り向くとリクウが立っていた。
両手にそれぞれ連絡装置と睡眠導入剤を持ち、つまり自室に戻るか、ここに泊まっていくかを尋ねているのだ。
ワタリはそのふたつを交互に眺めてから、静かな声で言った。
「どっちも要らない。でも、――」
その回答を聞いたリクウは、夕焼け色の瞳を見開いた。
ふたりは連れ立って歩く。連絡通路を抜け、生活棟に向かって。
リクウもラボの人間である前にソアだったから、彼の自室はワタリたちと同じ区域にある。
ただ、階はひとつ違った。
目的地は六階の角部屋で、リクウに続いてワタリも入る。
どのソアも似たようなものだが、あまり外から物を持ち込めない環境で暮らしているため、リクウの部屋は殺風景だった。
リクウはワタリに椅子をすすめると、自分は向かいにあるベッドに腰かけた。
「……言われてみると眼がそっくりだ」
しみじみとした声音でそう言われ、その視線がいやに重くて、ワタリはつい目を伏せる。
視線を合わせたくなかった。
自分でこの場を設けたくせに、まだどこかで心の準備ができていない。
それでも、言わなければ、きっと前には進めない。
「聞きたいことが、あるって、言ったよね」
「ああ。……なんとなく予想はつくが」
「じゃあ答えてほしい。……自分がしたことを、後悔、してる?」
声が震えて、裏返った。
恐ろしかったのではない。いや、ある意味ではそうだが、これは怖れではなく、懼れだ。
この男が何と答えるか、それによってはワタリはほんとうに壊れてしまう。
そして、リクウはというと。
「俺はメイカを救った。そして俺自身のことも。その件については後悔はない」
「……そう」
「おまえのことを今日まで放ってたのはまた別だ。……気にならなかったわけじゃない。
でも俺には何も知らされなかった。生まれたのが男か女かすらも。そのうえ行動制限がかかってる……俺はガーデンに入れない。
だから探すのは無理だったし、メイカがどれくらい関わったかも知りようがなかった」
「そんなの、……言い訳じゃないか」
「否定はしない。だが俺にとってはこれが事実だ。
それに……心から後悔してる、反省してる……俺がそう言えば、おまえは納得するのか?」
そう言われてはっとした。
リクウの罪から、ワタリが生まれた。
彼がメイカを強姦したのがすべての始まりで――そのおぞましい凶行の結果として、ワタリはこの世に生を受けた。
ワタリがそれを知ったのは同期の休眠が始まったころだ。
天然ソアであるワタリは休眠を必要としない。
その代わりガーデン時代から、他のソアたちのために定期的にラボに呼ばれて、細胞を取られたりあれこれ調べられたりしていた。
自分が他と違う扱いを受けていることに疑問を抱いていたワタリは、ラボのコンピューターに侵入するようになった。
そして、あの文書を見つけてしまった。
受け入れがたい事実に、なんとか否定材料を探そうと調べるほどに、決定的な証拠がいくつも出てきた。
――僕は。
「納得なんてできるわけない……ずっと、ずっと僕は、なんで生きてるんだって、どうしてみんなは死んでしまうのに僕だけは死なないんだって、毎日そればっかり、……そればかり考えて、あ、頭がおかしくなりそうだった。
正直あなたを恨んでた、憎んでたって言ってもいい、あの人が……あなたに何もされなかったら、他のソアと同じように死んでたら、僕はそもそも存在しなかった。しないほうがよかった!
……自棄になって……あの日、たまたま弄った場所が、植木鉢の管理システムだった」
ワタリは立ち上がっていた。
同時に、あまりに手足が震えるので、今にも崩れそうだった。
「僕がやった。……僕が、ソーヤを殺したんだ……」
そう呟いて、ついにワタリはへたり込んだ。
――僕は、罪人になった。父親と同じ、あるいは、彼よりも重い罪を犯した。
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